目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:ミャンマー連邦共和国(Federal Republic of Myanmar)
首都:ネピドー(Naypyidaw)
人口:56,590,071人(2021年推定)
面積:676,578㎢(日本の1.8倍)
気候:亜熱帯気候
・北部の平均気温は20~24℃。
・南部の平均気温は1年を通して31~32℃。
・年間降雨量は地域によって大きく異なる。多い地域は5,000mm以上。
・ハリケーンおよび雨季の大雨に悩まされている。
・気温の上昇と一部地域の干ばつに悩まされている。
・観光におすすめの時期は11月~4月。
・蒸し暑い雨季(5月~10月)の観光はおすすめしない。
経済:
・開発途上国
・GDPは686億ドル(2019年推定)
・2019年のGDP伸び率は6.3%。
・主要産業はサービスと農業。
・近年の経済成長率は世界トップクラス。
・失業率は30%以上。(政府調査:推定)
・人口の約26%が貧困ライン以下の生活を送っている。
・深刻な電力不足に悩まされている。(人口の約30%が電気を使用していない)
・メタンフェタミンの生産量世界1位。
・ヘロインの生産量は世界2位。(1位はアフガニスタン)
人種(民族):
・ビルマ族 68%(2014年国勢調査)
・シャン族 9%
・カレン族 7%
・ベンガル人 1.8%
・ラカイン人 1.7%
・その他多数
言語:
・ビルマ語 65%(2014年国勢調査、公用語)
・シャン語 6.4%
・カレン語 5.2%
・チン語 1.6%
・モン語 1.5%
・ラカイン語 1.5%
・その他多数
宗教:
・仏教 88%(2014年国勢調査)
・キリスト教 6.2%
・イスラム教 4.2%
・部族の宗教 0.8%
・ヒンドゥー教 0.5%
・その他
ミャンマー連邦共和国
政治(目次に戻る
最高指導者:ミン・アウン・フライン(Min Aung Hlaing)
大統領代行:ミン・スエ(Myint Swe)
政治体制:軍事独裁体制
・2011年に軍事独裁政権から民主政権に移行した。
・2021年1月末の軍事クーデターで軍事独裁政権に逆戻りした。
・国家元首は最高指導者。
・国の事実上の指導者(国家顧問)はアウンサンスーチー氏だった。
・最高意思決定機関は最高指導者と議会。
・二院制。(上院定数:224人、下院定数:440人)
・第一党はスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)だった。
・陸軍幕僚のミン・アウン・フライン司令官が最高指導者に就任した。
法律:ミャンマー連邦共和国の憲法
・司法権の独立を保障しておらず、軍が裁判に介入する。
・憲法は軍の大量虐殺および政敵の処刑を認めている。
・軍と警察は基本的人権を踏みにじる。
・最高指導者は法律を好きなように書き換えることができる。
・軍はメタンフェタミンとヘロインの輸出を管理している。
・軍はロヒンギャの市民の家を焼き、女子供をレイプし、踏みつけ、これまでに数千~数万人を虐殺している。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年2月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年2月時点)
治安:悪い
・2021年1月31日の軍事クーデターで軍事政権に逆戻りした。
・2022年1月まで非常事態宣言下に置かれる予定。
・ミン・アウン・ラインが最高指導者に就任。アウンサンスーチー氏の民主政権は崩壊した。
・ロヒンギャ救世軍(ARSA)の活動エリアと考えられている北西部周辺には近づかない方がよい。
・軍および警察当局の取り締まりが強化されたと伝えられており、入国はおすすめしない。
・ミン・アウン。ライン最高指導者はロヒンギャの大量虐殺に深く関わっている。
・軍事政権復活の影響で、国内情勢はより一層悪化すると考えられている。
・コロナ、麻疹、風疹、デング熱、狂犬病、マラリアなどの感染症に注意。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は20社ほど。そのうち3社は国営。
・国営テレビ局は3社。
・民間テレビ局は1局。
・ラジオ局は10局ほど。
・報道と言論の自由を一切保障していない。
・主要メディア媒体はラジオとテレビ。
・インターネットの普及率は不明。
・民主化以降、スマートフォンが急速に普及した。
・検閲はとても厳しい。
・他国の衛星テレビを受信できる。
【国営メディア/設立年】
・4デジタル 1960年頃
・ミャンマーラジオ・テレビ 1946年
・ミャワディテレビ 1995年
【民間メディア】
・MM
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:38位
・軍人数:515,000人(推定)
即戦力 405,000人
予備兵 0人
準軍組織 110,000人
・陸海空軍を保有。
・国防予算:20億ドル
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、現在のミャンマー連邦共和国の領土内では、複数の王国が国の支配権をかけて争っていた。
・1759年、コンバウン王朝がミャンマーの大部分を統一。
・統一戦争に敗れたハンタワディ軍に武器を提供していたフランスとイギリスは国外に撤退した。
・1765年8月、ビルマ・シャム(タイ)戦争勃発。(コンバウン王朝vsアユタユ王国)
・1765年12月、清緬戦争勃発。(コンバウン王朝vs清王朝)
・1767年4月、ビルマ・シャム戦争終結、コンパウン王朝の勝利。領土を守り抜いた。
・1769年12月、清緬戦争終結、コンバウン王朝の勝利。
・コンバウン王朝は隣国との戦争に明け暮れ、戦いに巻き込まれた多くの民間人が死亡した。
1800年代
・1800年代初頭、コンバウン王朝は領土拡大を目指し、西に侵攻した。
・コンバウン軍は順調に領土を広げ、1819年にイギリス領インドの国境付近に到達した。
・1821~1822年、イギリスはコンバウン王朝の領土内で暴動を扇動し、ミャンマーに再び進出するタイミングを伺った。
・1824年3月、第一次英緬戦争勃発。(ミャンマーvsイギリス)
・1826年2月、第一次英緬戦争終結、イギリスの勝利。コンバウン王朝は自国の西側の領土の大半を割譲した。
・イギリスはコンバウン王朝に多額の賠償を科し、経済を押しつぶした。
・1852年4月、第二次英緬戦争勃発。(ミャンマーvsイギリス)
・1853年1月、第二次英緬戦争終結、イギリスの勝利。コンバウン王朝は自国の領土の大半を割譲した。
・1885年11月27日、第三次英緬戦争勃発。(ミャンマーvsイギリス)
・1885年11月29日、第三次英緬戦争終結、イギリスの完勝。
・1885年11月29日、イギリスはコンバウン王朝を解体し、ミャンマー全土を併合した。
・1886年、ミャンマーはインドの州のひとつなった。(ビルマ州誕生)
・ミャンマーの文化は君主制の崩壊と新たな宗教や移民の流入で劇的に変化した。
・1890年代、ミャンマーのゲリラ部隊はイギリスの統治に抵抗し続けたが、イギリス軍の攻撃に屈した。
1900年~第一次世界大戦
・ビルマ州は第一次世界大戦に関与していない。
・1900年代初頭、イギリスは州内における宗教団体の活動を許可した。
・各地で様々な団体がナショナリスト運動を起こし、青年仏教協会(YMBA)が誕生した。
・YMBAはビルマ人団体総評議会(GCBA)と名を改め、イギリスの統治に抗議した。
・1910年代、ビルマ州の指導者たちは国内の政治体制を改革することで国は回復すると信じ、イギリスから自治権を取り戻すために抗議し続けた。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・1920年、インド政府の法改正に伴い、ビルマ州の自治権が強化される。また、ビルマ人の政治家を増やす試みも同時に実施された。
・1920年、イギリスの統治および新しい大学法に抗議する学生が初のストライキを決行。平和的な抗議は市民の共感を呼んだ。
・1930年12月、いくつかの地方都市で地方税の施行に反対する抗議が発生し、全国的な暴動に発展した。
・1937年、イギリスはビルマ州をインドから分離し、新しい議会の設立を許可した。(イギリス領ビルマ国)
・1937年、バー・モウが初代首相に就任。
・1938年、中央部の油田で発生したストライキが全国的なゼネラルストライキに発展した。
・1939年9月、第二次世界大戦勃発。
・1941年12月、大日本帝国軍がイギリス領ビルマに侵攻。
・日本軍の侵攻を受け、イギリス自治政府は崩壊した。
・1942年5月、日本軍がビルマ全土を占領。(大日本帝国領ビルマ国誕生)
・日本軍の侵攻に伴い、50万~100万人(推定)が国外に非難し、数万~数十万人が死亡したと伝えられている。
・1943~1944年、ビルマ国内における連合軍と日本軍の戦いで、民間人10万~25万人(推定)が死亡した。
・1945年8月、ビルマを占領した日本軍が降伏。ビルマは連合軍の管理下に置かれた。
・1945年9月、第二次世界大戦終結。
終戦~現在
・1947年7月19日、ビルマの独立とミャンマー軍の創設に尽力したアウン・サンが暗殺される。
・1948年1月4日、「ビルマ国」が独立を宣言。サオ・シュエ・タイクが初代大統領に就任した。
・1950年代初頭、ビルマはアメリカの支援を受け、北部地域における中国共産党の領土支配に抵抗した。その後、中国軍は国外に撤退した。
・1955年、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)。開催国はインドネシア、ビルマ、パキスタン、スリランカ、インドの5カ国。
・ビルマ政府は民主主義および公平を尊重し、イスラエルと中華人民共和国を国家として最初に認めた国のひとつになった。
・1958年、議会が二つの派閥に分裂する。
・1960年、議会選挙。クリーン反ファシスト人民自由連盟(クリーンAFPFL)が過半数を獲得。
・1962年3月2日、ネ・ウィン将軍率いる陸軍が軍事クーデターを決行。
・1962年3月2日、ネ・ウィン将軍が連邦革命評議会(URC)の議長に就任。(ビルマ社会主義共和国誕生)
・1974年、新憲法施行。
・軍事政権下のビルマ経済は停滞し、世界で最も貧しい国のひとつになった。
・1988年3月、軍事政権の不祥事と抑圧に対する市民の不満が爆発する。(8888蜂起)
<8888蜂起>
・抗議者:100万~400万人
・負傷者:数万人
・死亡者:350~10,000人(推定:数万という説もある)
・ソウ・マウン将軍が州法秩序回復評議会(SLORC)を結成。
・1988年6月18日、SLORCは国の名をビルマ社会主義共和国から「ミャンマー連合」に変更した。
・1988年7月、ネ・ウィン最高指導者が辞任。
・1988年9月、議会選挙。有権者の90%が軍事政権以外の党に投票し、暫定民主政権が誕生した。
・1988年9月18日、ソウ・マウン将軍率いるSLORCが軍事クーデタ-を決行。憲法を廃止し、戒厳令を発出した。
・SLORCは指示に従わない抗議者を射殺し、8888蜂起を力でねじ伏せた。
・1990年5月、議会選挙。アウンサンスーチー氏の国民民主連盟(NLD)が492議席中392議席を獲得した。しかし、SLORCは権力の移行を拒否した。
・1991年、アウンサンスーチー氏がノーベル平和賞を受賞。
・SLORCは国家平和発展評議会(SPDC)に名を改め、2011年までミャンマーを統治し続けた。
・2005年11月、首都の名をネピドーに変更。
・2006年3月27日、東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟。
・2007年8月、燃料価格の高騰に抗議するサフラン革命が起こる。平和的な集会を厳しく取り締まったSPDCに非難が集まり、新たな経済制裁につながった。
・2008年5月、サイクロン「ナルギス」上陸。13万人が死亡または行方不明になり、100万人以上が家を失った。被害総額は約100億ドル(1兆円)。
・SPDCは国連に人道支援を要請したが、経済制裁の影響で各国の支援は予定より大きく遅れた。
・2008年5月10日、新憲法施行。国の名をミャンマー連合から「ミャンマー連邦共和国」に改めた。
・2010年、議会選挙。軍の支援を受ける連邦団結発展党が勝利を宣言したが、民主化支援団体はこの主張を却下した。
・2010年11月13日、アウンサンスーチー氏が自宅軟禁から解放される。
・2011年3月30日、軍事政権崩壊。
・2011年10月、スーチー氏と新政府による協議の結果、政治犯の約10分の1に恩赦が与えられ、労働組合が合法化された。
・2011年12月、スーチー氏とヒラリー・クリントン米国務長官が会談。
・2012年4月、補欠選挙。NLDが45議席中43議席を獲得。
・2015年11月18日、議会選挙。NLDが過半数を獲得。
・2016年2月1日、新議会発足。
・2016年3月15日、ティン・チョーが大統領に就任。
・2016年4月6日、スーチー氏が国家顧問に就任。
・スーチー氏は軍によるロヒンギャの迫害および大量虐殺を擁護し、世界から非難された。
・2019年12月、スーチー氏がハーグの国際司法裁判所に出廷。ミャンマー軍のロヒンギャに対する大量虐殺の申し立てを否定し、軍の行動を擁護した。
・2020年11月8日、議会選挙。NLDが再び軍の支援を受ける連邦団結発展党に圧勝した。
・2021年2月1日、陸軍のミン・アウン・フライン司令官が軍事クーデターを決行。非常事態を宣言した。
・2021年2月1日、ミャンマー軍はスーチー氏と他の政府高官を逮捕したと発表した。
文化(目次に戻る
・仏教の影響を強く受けている。
・名前を呼ぶ際には年齢や身分に関係なく敬語を使用する。(〇〇さん、○○村長、〇〇氏など)
・親と教師を知恵の象徴のひとつと見なし、敬っている。
・人の頭に触ることは失礼と見なされる。
・足を指さす、人に足を向けることはさらに無礼と見なされる。
・ミャンマー料理はインド、中国、タイ料理の影響を受けている。
スポーツ(目次に戻る
・一番人気はサッカー。
・その他の人気スポーツはゴルフ、セパタクロー、バスケットボール、クリケット。
・オリンピックでメダルを獲得したことはない。
・三度の飯よりサッカー観戦が好き。
その他(目次に戻る
・アウンサンスーチー氏はミャンマーの民主主義の象徴と呼ばれている。
・ロヒンギャ難民問題に世界が注目している。
・2021年1月31日の軍事クーデターで民主政権は崩壊、スーチー氏は逮捕された。