リトアニア共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:リトアニア共和国(Republic of Lithuania)

首都:ヴィリニュス(Vilnius)

人口:2,731,464人(2021年推定)

面積:65,200㎢(北海道の0.8倍)

気候:冷帯湿潤気候、大陸性気候
・冬は非常に寒く、夏は穏やかで適度に雨が降る。
・気温は地域によって大きく異なる。内陸部は寒い。
・大西洋から暖かい空気が入ると、真冬でも氷点下を超える場合があるが、ロシア側から冷気が入るとマイナス20℃を下回ることも珍しくない。
・降雪量はロシアや北欧に比べると少ない。
・港湾都市クライペダの夏場の平均気温は最低が10~15℃、最高は17~22℃。

・クライペダの冬場の平均気温は最低がマイナス3~2℃、最高は1~6℃。
・東部に位置する首都ヴィリニュスの夏場の平均気温は最低が8~13℃、最高は17~24℃。
・首都ヴィリニュスの冬場の平均気温は最低がマイナス6~0℃、最高はマイナス1~3℃。
・観光に最適な時期は6月~8月。

経済:
・先進国
GDPは557億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはロシア(15%)、ラトビア(10%)、ポーランド(8%)
・主要輸入パートナーはロシア(13%)、ドイツ(12%)、ポーランド(11%)

・主要輸出品は精製燃料、機械類、化学薬品、繊維、食品類、プラスチック。

・ソビエト崩壊後、他のバルト3国と共にEUに加盟し、高い経済成長を達成した。
・財政状態は健全。総債務はGDPの約40%で安定している。
・世界で最も魅力のあるビジネスのしやすい国のひとつ。
・若者の高失業率問題に悩まされている。(2020年7月:23.1%)
・旧ソビエト連邦の中で最もリベラルな改革を実施した国のひとつ。
・主要農作物は小麦、テンサイ、大麦、ジャガイモ、エンドウ豆、オーツ麦、ライ麦。

人種
・リトアニア人 84.2%(2011年国勢調査)
・ポーランド人 6.6%
・ロシア人 5.8%
・ベラルーシ人 1.2%
・ウクライナ人 1.2%
・その他 1.8%

言語:
・リトアニア語 84.9%(公用語)(2011年国勢調査)
・ロシア語 7.2%
・ポーランド語 5.3%
・ベラルーシ語 0.2%
・ウクライナ語 0.2%
・その他 2.2%

宗教:
・ローマカトリック 77.2%(2011年国勢調査)
・東方正教会 4.1%
・古儀式派 0.8%
・その他 1.68%
・無宗教 6.1%
・宗教に興味がない 10.1%

リトアニア共和国

政治(目次に戻る

大統領:ギタナス・ナウセダ(Gitanas Nausėda)
首相:イングリダ・シモニーテ(Ingrida Šimonytė)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は5年、1回再選可能。
・一院制、議員定数は141人、任期は4年。
・保守派とリベラル派の勢力は拮抗しており、単独過半数を獲得することは困難。
・2020年の議会選挙は保守派の祖国同盟が141議席中50議席を獲得した。
・近年、リベラル派の社会民主党と労働党は苦戦を強いられている。
・主要野党で保守派の農民と緑の連合(グリーンズ)は他の保守政党とは一線を画している。
・大統領は外交政策、首相は国内政策を主に担当している。

法律:リトアニア共和国の憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・憲法は更新され続けており、最新の改正は2016年に行われた。
・リトアニア人はブルガリア、ラトビア、ポーランド、ルーマニア、スロバキアと並んで同性カップルを法的に認めていない数少ないEU加盟国の1つである。
・子どもの権利を保障する法律を施行しているが、家庭内暴力、いじめ、虐待問題に悩まされている。

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年6月時点)

治安:普通
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府組織の活動は報告されていない。
・強盗や窃盗事件の発生が報告されている。
・照明のない通りや路地は避けた方がよい。
・バー、パブ、スナック、ナイトクラブではお酒関連のトラブルに注意。
・首都ヴィリニュスの治安は比較的安定している。
・物乞いや浮浪者には近づかない。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。未登録のタクシーは避けること。
・南西部エリアを移動する際は、ロシアの飛び地(カリーニングラード州)があることを理解しておくこと。

リトアニア共和国/首都ヴィリニュスの市場

マスメディア(目次に戻る

・主要新聞社は3社。
・近年、インターネットの普及に伴い、新聞社が相次いで閉鎖している。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は10局以上。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は46局。
・報道と言論の自由を保障しているが、政府はロシア語のテレビ番組を制限し、非難されている。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は80~85%。
・あるテレビ番組は放送中にナチス式敬礼を行い、打ち切られた。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
・リトアニア国立ラジオテレビ 1926年

【民間メディア】
TV3
・LNK
・LRTTELEVIZIJA
・その他

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2021年軍事力ランキング:85位

・軍人数:53,000人(推定)
  即戦力 18,500人
  予備兵 20,000人
  準軍組織 14,500人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:9億ドル(推定)

リトアニア共和国/首都ヴィリニュスの議会

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1700年代

・1700年代、現在のリトアニアはポーランド・リトアニア連邦の一部だった。

・1710年代、リトアニアの領土は大北方戦争(1700年~1721年)の間に荒廃し、疫病や飢饉などの影響で人口の約40%が死亡した。

・1791年5月:ポーランド・リトアニア連邦が新憲法を批准。これは1787年の合衆国憲法に次ぐ世界で2番目に古い成文化された憲法と呼ばれている。

・ポーランド・リトアニア連邦は1772年、1792年、1795年にそれぞれロシア帝国、プロイセン、ハプスブルク家によって分割された。分割後、この地域の最大の領土はロシア帝国の一部になった。

1800年代

・1830年11月:ポーランド議会がロシア軍に対する武装蜂起を起こす。一連の戦争は約1年続き、ポーランド軍はロシアに打ち負かされた。(11月蜂起)

<11月蜂起>
・両軍参加者:30万~35万人(推定)
・両軍負傷者:数万人
・両軍死亡者:60,000~75,000人(推定)

・1840年:ロシアはリトアニアの第3法令を廃止した。

・1863年1月:ポーランド国民政府と反乱連合軍がロシア軍に対する新たな武装蜂起を起こす。戦争は1年以上続き、連合軍はロシアに打ち負かされた。(1月蜂起)

<1月蜂起>
・両軍参加者:50万人以上(推定)
・両軍負傷者:数万人
・両軍死亡者:50,000~60,000人(推定)

・1864年:リトアニア語とラテンアルファベットの教育が禁止される。その後、リトアニア語の書物の取り扱いも禁止された。

・ロシアの政策は市民の抵抗に比例して厳しくなり、リトアニアのジャーナリズムは打ちのめされ、その影響はカトリック教会にも波及した。

・1867年~1868年:リトアニアを含む地域内で深刻な飢饉が発生。多くのリトアニア人がアメリカに亡命した。記録によると、1868年から1914年の間に、当時の人口の約20%に相当する約64万人がリトアニアを去ったという。

・1879年:ロシアはリトアニアを含む州全体を覆うカウナス要塞の建設を開始した。

リトアニア共和国/沿岸地域

1900年~第一次世界大戦

・1905年12月:首都ヴィリニュスに集結したリトアニアの代表者たちはロシアに地方自治の権利を要求した。ロシアは学校教育などにおける母国語の使用を許可し、カトリック教会の再建を認めた。

・1914年7月:第一次世界大戦勃発。

・1915年9月:ドイツ軍がリトアニアを含む周辺地域を占領。首都ヴィリニュスは陥落した。

・1918年11月、第一次世界大戦終結。リトアニアはドイツの占領下から解放された。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1918年12月:リトアニア独立戦争(リトアニア・ボルシェビキ戦争)勃発。リトアニア政府はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(ロシアSFSR)の独立を却下する条約を却下した。

・1919年8月:リトアニア独立戦争(リトアニア・ボルシェビキ戦争)終結。リトアニアはロシアSFSRを打ち負かし、独立を勝ち取った。

・1919年8月:第二次リトアニア独立戦争(リトアニア・ベルモン戦争)勃発。リトアニアは西ロシアの反政府勢力と対峙した。

・1919年12月:第二次リトアニア独立戦争(リトアニア・ベルモン戦争)終結。リトアニアは反政府勢力を打ち負かし、完全な独立を勝ち取った。

・1920年:ソビエトはモスクワ条約に基づき、リトアニアの独立を公式に承認した。

・1926年:左翼勢力が選挙で勝利したことを受け、ナショナリスト党の指導者アンターナス・スメトナが軍事クーデターで権力を奪取した。

・1938年:ポーランドはナチスドイツの侵攻の脅威を受け、外交関係を絶っていたリトアニアに最後通告を送った。ポーランド政府はリトアニアに、48時間以内にワルシャワとの外交関係を確立するよう要求し、戦争より平和を優先するリトアニア政府は最後通告を受け入れた。

・1939年9月:第二次世界大戦勃発。

・1939年:モロトフ・リッベントロップ秘密協定(ヒトラー・スターリン協定)に基づき、東ヨーロッパはソビエトとナチスに分割され、バルト三国はソビエトに乗っ取られた。ポーランド侵攻後、ソビエト軍はリトアニア人が首都と見なしたヴィリニュスを占領し、軍事基地の建設を強制した。

・1940年:ソビエト軍がリトアニアに侵攻。スメトナ大統領は国外に逃亡し、リトアニアはソビエトに併合された。これにより、リトアニアは国名を「リトアニア・ソビエト社会主義共和国(リトアニアSSR)」に変更した。

・スターリン・ソビエトはリトアニアSSRのソビエト化を開始し、すべての土地を国有化した。その後、大きな農場は分割され、小地主に分配された。

・1940年~1941年:すべての農民を破産させる爆発的な農業税の引き上げにより集団化は加速し、銀行、大企業、不動産の国有化が進められ、リトアニアの経済はガタガタになった。

・1941年:数千人のリトアニア人がシベリアに強制送還された。

・1941年6月:ナチスドイツがソビエトに侵攻、リトアニアSSRを占領した。

・1944年7月:スターリン・ソビエトは首都ヴィリニュスをナチスから強奪し、リトアニアSSRを再建した。

・1945年9月:第二次世界大戦終結。リトアニアはヒトラーとスターリンの占領下で国民78万人を失ったと推定されている。

リトアニア共和国/赤ちゃん

終戦~現在

・1945年~1953年:ソビエトはリトアニア人約12万人を国外に追放し、数千人を政治犯として逮捕、投獄した。この間、多くの知識人と大半のカトリック司祭が国外追放されたと伝えられている。

・1950年代:反ソビエトと独立を求めるパルチザンは各地でゲリラ戦を展開したが、ソビエト軍の攻撃に打ちのめされ、拘束された数千人はシベリアの収容所に収容された。

・リトアニア自由戦士連合の最後の公式司令官であるアドルファ・スラマナウスカスは1956年10月に拘束され、翌年11月に処刑された。

・1988年:作家や知識人などで構成されるグループがリトアニア復興運動を設立。指導者たちは、首都ビリニュスで開催された集会で、ソビエトはリトアニアを不法占領したと宣言した。

・1988年:リトアニア共産党の党首リンガウダス・ソンガイラが解任され、アルギルダス・ブラザウスカスが後任に指名された。

・1989年:議会がリトアニアSSRの主権宣言を承認。これを受け、リトアニア共産党はソビエト共産党からの独立を宣言した。

・1990年:議会選挙。リトアニア復興運動が過半数を獲得。党首のヴィータウタス・ランズベルギスが議会議長に選出された。

・1990年3月11日:リトアニアSSRはリトアニア国家再建法を宣言した。この時バルト三国は独立闘争の最前線にあり、リトアニアSSRはソビエトから最初に独立を宣言した国だった。

・1990年3月15日、ソビエトがリトアニアSSRの独立を却下。指導部はリトアニアSSRに禁輸措置を科し、燃料供給を停止し、深刻な経済的困難を引き起こした。これを受けリトアニア政府は、交渉を待つ間、独立を一時停止することに同意した。

・1991年1月:リトアニアSSRとロシアの交渉は進展せず、経済は混乱状態に陥っていたため、リトアニアSSRのランズベルギス議長は約1年続いた独立の停止を終了した。ソビエト軍はリトアニアSSRの裏切りに激怒し、首都ヴィリニュスのテレビ塔近くにいた民間人13人を射殺し、数百人に鉄拳を叩き込んだ。

・1991年2月9日:独立の是非を問う国民投票。有権者は独立を支持した。

・1991年9月:ロシアでクーデター未遂事件とそれに関連する様々な混乱や抗議が発生。

・1991年9月6日:リトアニアSSRはソビエトからの独立を宣言し、国名を「リトアニア共和国」に変更した。

・1991年9月17日:国連に加盟。

・1992年:新憲法施行。リトアニア共産党はリトアニア民主労働党に改名し、総選挙でリトアニア復興運動に勝利し、連立政権を発足した。

・1993年:大統領選挙。リトアニア復興運動のアルギルダス・ブラザウスカスが勝利した。この年、リトアニアは欧州評議会に加盟し、新通貨のリタスを導入した。

・1993年末:リトアニア国内のソビエト基地からソビエト軍が完全撤退。

・1994年:北大西洋条約機構(NATO)のパートナーシッププログラムに参加。これに合わせて隣国ポーランドと友好条約を締結した。

・1995年:2つの商業銀行が経営破綻。政治スキャンダルは続いた。

・1996年:経済と銀行危機の余波でスタンケビチウス首相が解任された。

・1996年:総選挙。中道右派による連立政権が誕生した。

・1997年:アルギルダス・ブラザウスカス大統領がロシアを訪問し、国境条約および協力協定に署名した。

・1998年2月:大統領選挙。ヴァルダス・アダムクスが勝利した。

・1999年:政府は国営石油会社の支配株をアメリカのエネルギー企業、ウィリアムズインターナショナルに売却することに合意した。

・1999年:保守党のロランダス・パクサス首相が辞任。アンドリュス・クビリウスが後任に選ばれた。

・2000年:総選挙。中道右派による連立政権が復活。パクサス元首相は自由党議員として首相に再任した。

・2001年7月:民営化やその他の経済改革をめぐる争いで連立政権が崩壊。アルギルダス・ブラザウスカス元大統領が首相に就任した。ブラザウスカス首相はEUとNATOに加盟すると約束した。

・2002年11月:チェコのプラハで開催されたNATOサミットにオブザーバーとして参加。

・2002年12月:EUの首脳は2004年のサミットにリトアニアを招待すると発表した。

・2003年1月:大統領選挙。ロランダス・パクサス元首相が大統領に選出された。

・2003年5月:EUへの加盟の是非を問う国民投票。有権者は加盟に賛成した。

・2003年12月:議会はパクサス大統領とロシアの組織犯罪との関連を指摘し、弾劾に向けた手続きを開始した。

・2004年3月:NATOに加盟。

・2004年4月:議会はパクサス大統領のロシア関連スキャンダルを厳しく非難し、弾劾した。

・2004年5月:EUに加盟。

・2004年6月:大統領選挙。ヴァルダス・アダムクス元大統領が再選。

・2004年10月:議会選挙。新連立政権が発足し、アルギルダス・ブラザウスカス首相の残留が決まった。

・2004年11月:新しいEU憲法を批准。

・2004年12月:イグナリナ原子力発電所の1号機は、EUの入国要件に基づき運用を停止した。

・2005年1月:ヴァリオニス外相がソビエトKGBの予備軍の将校だったことを認めた。これを受け、議会は外相と他の高官2人の調査を開始した。

・2006年5月:労働党が連立政権から離脱。アルギルダス・ブラザウスカス首相は辞任し、ゲディミナス・キルキラスが後任に指名された。

・2008年5月:EUリスボン条約を批准。

・2008年5月:欧州委員会は、2007年1月1日時点のリトアニアのインフレ率に基づき、リトアニアのユーロ圏加盟申請を却下した。

・2008年5月:リトアニアはエネルギー問題をめぐるEUとロシアのパートナーシップ交渉を停止させると主張したが、他の加盟国からの圧力を受け、拒否権を取り下げた。

・2008年6月:議会は国内におけるソビエトとナチスのシンボルの使用を禁止した。法律は旧ソビエト国家の中で最も厳しい制限を課している。

・2008年10月:議会選挙。保守的な祖国同盟党が第一党になる。ゲディミナス・キルキラス首相の社会民主党は野党に降格した。

・2008年11月:祖国同盟党のリーダー、アンドリュス・クビリウス元首相の中道右派連立政権が発足。クビリウス元首相は首相に返り咲いた。

・2009年4月:リトアニアの第1四半期GDPは前年同期比マイナス12.6%を記録。リーマン・ショックはリトアニアを含むEUに深刻な影響を与えた。

・2009年5月:大統領選挙。EU予算委員を務めた無党派のダリア・グリバウスカイテが有効票の68%以上を獲得。リトアニア初の女性大統領になった。

・2009年12月:EU加盟要件に基づき、イグナリナ原子力発電所の2号機が運用を停止した。

・2012年12月:議会選挙。社会民主党の指導者アルギルダス・ブトケビチウスが労働党などと連立を組み、首相に就任した。

・2013年7月:リトアニアがEU議長国(任期は半年)に就任。

・2013年10月:リトアニアはウクライナのEU加盟を推進したが、これにロシアが激しく反発し、論争に発展した。その後、ロシアはリトアニアの乳製品の輸入を禁止した。

・2014年4月:アメリカ主導のNATOはウクライナ危機をめぐるロシアの動きを却下し、バルト諸国における軍事的プレゼンスを強化した。

・2014年4月:リトアニア政府はロシアの国家テレビチャンネルの放送を一時停止し、「放送内容は統一ロシアを加速させようとするプロパガンダであり、極めて危険」と非難した。

・2014年5月:大統領選挙。ダリア・グリバウスカイテ大統領が決選投票で勝利し、再選を果たした。大統領の2期連続選手はリトアニア史上初。

・2015年1月:ユーロ圏に加盟。

・2015年2月:バルト海地域におけるロシアの脅威が高まる中、政府は2008年に終了した徴兵制を再開する計画があると発表した。

・2015年3月:NATOはバルト三国での活動を強化。この地域で主要な軍事演習を実施した。

・2016年11月:議会選挙。リトアニア農民と緑の連合(LVZS)が第1党の社会民主党に勝利。サウリュス・スクヴェルネリスが新連立政権の首相に就任した。

・2019年6月:大統領選挙。資本家のギタナス・ナウシェダが有効票の66.5%を獲得し、最有力候補の保守的なイングリダ・シモニテ元財務相を撃破した。

・2020年11月:議会選挙。イングリダ・シモニテ元財務相の保守的な祖国同盟党が勝利。キリスト教民主党や中道派と連立政権を組み、首相に就任した。

文化(目次に戻る

・主にソビエト、北欧、ゲルマン、スラブの影響を受けている。

・最も古い大学はビリニュス大学。1579年に設立された。

・リトアニア料理は北部の気候に適した食材を主に使っている。

・主食は小麦とジャガイモ。主菜は肉類全般、地元の野菜、乳製品。

・西側諸国の文化を積極的に取り入れているが、アメリカの影響はそこまで受けていない。

・比較的地味で真面目な文化と考えられている。

リトアニア共和国/女子サッカー代表チーム

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはバスケットボール、サッカー、陸上競技、自転車競技。

・プロアスリートを目指す選手はリトアニア体育アカデミーで教育を受けることが多い。

・人口300万人弱の小国だが、かなりのスポーツ強豪国。

・複数のプロリーグを運営している。

・バスケットボールの世界ランキング(FIBA)最高位は4位。当時、ある政府当局者は、「人口3億人のアメリカ、人口4,700万人のスペイン、人口4,000万人のアルゼンチンの後ろに人口300万人のリトアニアが迫っている...」と述べた。

・サッカー代表はFIFAワールドカップ出場を目指している。

・オリンピックでのメダル獲得数は25個。(金:6個、銀:6個、銅:13個)

【有名スポーツ選手】

・ウィルギリウス・アレクナ(Virgilijus Alekna)男子円盤投げ選手。五輪で連覇を達成。

その他(目次に戻る

旧ソビエトの中で最もリベラルな改革を実行した国のひとつ

・人口300万人弱の小国だが、隣国ベラルーシやロシアと激しく対立している。

リトアニア共和国/首都ヴィリニュスの夜景
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