フィンランド共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:フィンランド共和国(Republic of Finland)

首都:ヘルシンキ(Helsinki)

人口:5,571,665人(2021年推定)

面積:338,431㎢(日本の0.9倍)

気候:亜寒帯気候
・冬が長く、とても寒い。
・年間降水量は地域によって多少異なる。(北部:400mm、中部:650mm、南部:700mm)
・気温は地域によって異なるが、基本寒い。
・北部の最低気温はマイナス50℃を下回ることもある。
・南部の最高気温は夏のピーク時で30℃近くまで上昇するが、夜は寒い。
・北部の真冬(気温が氷点下以下まで下がる)の期間は10月~5月。
・南部の真冬の期間は11月~3月。北部に比べるとかなり暖かい。
・観光に適した時期は6月~8月。
・6月は真夜中の太陽(白夜)を見れる期間が長い。

経済:
・先進国
GDPは2,700億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはドイツ(14%)、スウェーデン(10%)、オランダ(7%)
・主要輸入パートナーはドイツ(16%)、ロシア(13%)、スウェーデン(11%)
・主要輸出品は電気および光学機器、機械、輸送機械、紙およびパルプ、化学薬品など。
・若者の失業率の高さ(2020年:20.6%)が社会問題になっている。
・農業に適した土地ではないが、他のEU諸国に比べるとはるかに効率的かつ生産的に農作物を栽培している。
・富裕層と貧困層の所得格差が社会問題になっている。
・サイテク産業と製造業の成長が経済を支えている。
・ヨーロッパで3番目に人口の少ない国。(1位はアイスランド、2位はノルウェー)

人種:
・フィンランド人 93.4%(2006年国勢調査)
・スウェーデン人 5.6%
・ロシア人 0.5%
・エストニア人 0.3%
・その他 0.2%

言語:
・フィンランド語 87.9%(公用語:2017年推定)
・スウェーデン語 5.2%(公用語)
・ロシア語 1.4%
・その他 5.5%

宗教:
・キリスト教 73.7%(2017年推定)
・不明 26.3%

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大統領:サウリ・ニーニスト(Sauli Niinistö)
首相:サンナ・マリン(Sanna Marin)

政治体制:共和制
・EU加盟国。
・国家元首は大統領、任期は6年、1回再選可能。
・一院制。議員定数は200人、任期は4年。
・単独過半数を達成したことのある政党は社会民主党のみ。
・1916年の議会選挙以来、単独過半数を達成した政党はない。
・参政権は18歳以上。
・リベラル政党が過半数を占めているが、近年、保守派が台頭している。

法律:フィンランド共和国の憲法
・司法の独立を保障している。
・あらゆる権利を保障している。
・嫌いなものは独裁体制と軍事政権。
・1944年以来、死刑を執行していない。
・警察は裁判所の令状なしで捜査および押収手続きを行うことができるため、欧州人権裁判所と議会のオンブズマンは不適切な取り締まりが行われている可能性があると警告している。
・女性の権利(参政権、財産権など)を最も早く確立した国のひとつ。

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年4月時点)

治安:平和
・世界を代表する治安のよい国のひとつ。
・世界幸福度ランキングで4連覇(2018年~)を達成した。
・オーロラを観測できると幸せな気分になる。
・イスラムジハード組織や反政府勢力の活動は確認されていない。
・近年、国内で自爆テロなどの凶悪事件は発生していない。
・不審者がいないわけではないので、油断はしないほうがよい。
・繁華街ではスリや置き引きに注意。

フィンランド共和国/首都ヘルシンキの港

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・世界で最も透明性と平等に重点を置いている国のひとつ。
・新聞社は200社以上。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は20局以上。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は70局。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネット普及率は高い。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
・フィンランド放送会社 1958年

【民間メディア】
・MTV3
・Nelonen
・Yle Teema&Fem
・その他多数

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2021年軍事力ランキング:56位

・軍人数:315,500人(推定)
  即戦力 21,500人
  予備兵 280,000人
  準軍組織 14,000人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:58億ドル(推定)

フィンランド共和国/雪道

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1700年代

・1700年代、フィンランド王国(現在のフィンランド共和国)はスウェーデン王国の植民地だった。

・1700年~1721年、フィンランドは大北方戦争(バルト帝国連合軍vsロシア帝国連合軍)の影響で荒廃し、農民は貧困の悪化と不作に悩まされた。

<大北方戦争:勝者ロシア帝国連合軍>
・両軍参加者:50万~60万人(推定)
・両軍負傷者:10万~20万人(推定)
・両軍死亡者:30万人(推定)
・民間人死亡者:10万人(推定)

・大北方戦争は飢饉、疫病、社会的混乱、そして人口の致命的な減少を招いた。記録によると、フィンランドの人口は一連の戦争でほぼ半分に減少したと伝えられている。

・1730年代、フィンランドの国王はロシアと平和的な関係を構築したいと考え、多くの市民もこれに賛同したが、一部は復讐を切望し、スウェーデンと共に戦うと誓った。

・1750年代、自治政府は農民にジャガイモの栽培を推奨し、農業に大きな変化をもたらした。

・フィンランドの民の90%は農民に分類され、聖職者、貴族、王族の生活を支えていた。

・1771年、スウェーデンのグスタフ王がクーデターを主導し、議会制を廃止したうえで立憲君主制を復活させた。

・1784年、フィンランドで開発された最初の熱気球が飛行に成功。

・1788年~1790年、スウェーデンとロシアの新たな戦争が勃発し、フィンランドも少なからず影響を受けた。

・1790年代、フィンランドは農業と貿易で収益を上げ、農民の生活も幾分改善された。

1800年代

・1808年2月、フィンランド戦争勃発。(スウェーデン王国vsロシア帝国)

・1809年9月、フィンランド戦争終結。スウェーデンはフィンランド、オーランド諸島、ラップランドの一部、西ボスニアの一部を失った。これにより、フィンランドはロシア帝国の一部になり、国名を「フィンランド大公国」に改めた。

・ロシアの統治は年を追うごとに微妙に変化したが、スウェーデン王国の法律は廃止されなかったため、フィンランドの農民の生活は以前とほとんど変わらず、さらに、ロシア帝国の義務(兵役など)の大半を免除されていた。当時、ロシアの皇帝はクレムリンから遠く離れた小国フィンランドを重視せず、自由な生活を与えても帝国の統治に影響はないと考えていた。

・1830年代、フィンランドの自治政府、海外の商社、比較的裕福な土地所有者は、貯えた富を産業に投資した。

・1830年代後半、ロシアに対する小規模なナショナリスト運動が全国各地で展開され始めるようになった。

・1860年代、自治政府は経済法を大きく見直し、港、鉄道、電信線などのインフラストラクチャーの構築を開始した。当時、国内市場はまだ小さかったが、1860年以降、森林資源と農作物の輸出は急速に成長した。

・1860年代以降の工業化は、林業、製造業、鉱業を少しずつ強化した。フィンランドの主要産業は第二次世界大戦以降もしばらくは農業だったが、この時代の工業化が現在の繁栄の基礎を築いた。

・1863年、自治政府はフィンランド語を行政の主要言語のひとつとして使用するようになった。

・1880年代、フィンランド語の行政言語化を受け、自由主義とナショナリズム運動はさらに加速し、保守的なスウェーデン語を話す貴族と農民による階級闘争が全国各地で発生した。

・労働者階級は階級闘争を強調するヴァルパス派とナショナリストを強調するメケリン派に分かれたが、ロシアに対する抗議は協力して行ったと伝えられている。

・1890年代、フィンランドで活動する起業家はドイツ、イギリス、アメリカの技術革新に追いつくことができなかったため、工業化の勢いは鈍化した。

・1892年、議会がフィンランド語を公用語にする法案を可決。これにより、フィンランドの公用語はスウェーデン語とフィンランド語の2つになった。

フィンランド共和国/湖

1900年~第一次世界大戦

・1906年、ロシア革命(1905年)とそれに伴うゼネラル・ストライキの結果、自治政府はより民主的なエドゥスクンタ議会に置き換えられた。

・新しいフィンランド議会は女性の権利を大きく見直し、ヨーロッパで初めて女性の参政権を認めた。しかし、地方選挙では納税額が投票に大きな影響を与えていたため、裕福な者はより多くの票を投じ、女性を含む貧しい者は票を投じることができなかった。

・1916年、総選挙で勝利した社会民主党のオルカリ・トコイが首相に就任した。

・1917年、フィンランドの自治政府はロシアで発生した二月革命の勢いを利用し、議会のシステムをより民主的なものに変更した。その後、トコイ首相はロシアの臨時政府との交渉で帝国の維持に協力すると姿勢を見せたが、合意には至らなかった。

・1917年7月、社会民主党はロシア革命に伴う議会解散令の公布に反対したが、社会主義者は賛成に投票した。

・1917年8月、権力と体制の意見の不一致により、社会民主党は議会を去った。

・1917年11月、ロシアで発生した十月革命はフィンランドの政治をひっくり返し、議会は非社会主義の完全なる独立を望んだ。

・1917年11月15日、ソビエトのポルシェビキ党は完全な独立の権利を含む「ロシアの市民のための自己決定の一般的権利」を宣言した。

・1917年11月15日、フィンランド議会は自治政府を「完全なる独立した政府」に格上げする法案を可決した。

・1917年12月6日、議会が独立を宣言する法案を可決。これにより、「フィンランド共和国」はソビエトから独立した。

・1917年12月18日、ソビエトがフィンランドの独立を認める法令を施行。

・1918年1月27日、フィンランド内戦勃発。(フィンランド・ドイツ連合軍vs赤軍)

・1918年5月15,フィンランド内戦終結、フィンランド・ドイツ連合が勝利した。これを受け、ドイツはフィンランド王国の復活を目論んだが、第一次世界大戦の敗北で計画は頓挫した。

<フィンランド内戦>
・両軍参加者:18万~25万人(推定)
・両軍負傷者:数万人
・両軍死亡者:40,000~50,000人(推定)

・1919年7月17日、新憲法公布。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年代、議会は大規模な農業改革を開始し、貴族によって支配されていた土地を分割したうえで、野心的な農民に公平に売却した。これにより、人口の大多数を占める農民は政府の強力な支持者になった。

・オーランド諸島でスウェーデン王国への復帰を支持する抗議活動が展開されたため、フィンランド議会は諸島に自治権を与えた。しかし、諸島の住民は申し出を却下し、国際連盟に仲裁を要求した。結果、オーランド諸島はスウェーデン語を保持する権利を確保し、諸島の中立的な地位を確立する国際条約が締結され、フィンランド政府は諸島に軍事基地や軍隊を配備することを禁じられた。

・1929年、ファシストを支持する反政府勢力ラプア運動が誕生し、反共産主義のフィンランド人から多くの支持を集めた。

・1932年、ラプア運動を支持する民兵がクーデターを決行。しかし、政府軍に制圧され、ラプア運動は解散し、首謀者たちは投獄された。

・1930年代、ソビエトはフィンランドに対する政策を強化し始め、ラドガ湖とフィンランド湾を行き来するフィンランド商船を取り締まり、1937年には航行を禁止した。

・1939年8月、ナチスドイツとソビエトがモロトフ・リッベントロップ協定に署名。ナチスはフィンランドとバルト諸国をソビエトの領土と認めた。なお、バルト諸国はソビエトの圧力に屈して独立を失ったが、フィンランドは激しく抵抗した。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・1939年11月30日、冬戦争勃発。ソビエト軍はフィンランドへの侵攻を開始した。(フィンランドvsソビエト)

・1940年3月13日、冬戦争終結。モスクワ講和条約により、フィンランドは領土の11%をソビエトに割譲した。しかし、ソビエトはこの戦争で兵士を40万人近く失い、国際的な評判を大きく損ない、国際連盟から追放された。

<冬戦争>
・両軍参加者:80万~100万人(推定)
・両軍負傷者:数十万人
・両軍死亡者:15万~20万人(推定)
・ロシア兵の凍死・病死者:15万~18万人(推定)

・1940年9月、ナチスはフィンランド政府に対し、領土の通過を許可すれば武器取引に応じると提案し、フィンランド議会は提案を受け入れた。

・1940年12月、ナチスとフィンランドが軍事協定に署名。

・1941年6月、大祖国戦争(継続戦争)勃発。(フィンランド&ナチスvsソビエト&イギリス)

・1941年12月6日、イギリスがフィンランドに宣戦布告。

フィンランド政府はユダヤ人の大量虐殺に関与しなかったが、1944年までナチスの事実上の同盟国である共同参戦国として扱われた。

・1944年9月、大祖国戦争(継続戦争)終結。ソビエトが勝利した。

<大祖国戦争(継続戦争)>
・両軍参加者:300万~500万人(推定)
・両軍負傷者:数十万人
・両軍死亡者:80万~100万人(推定)
・民間人死亡者:不明

・1944年9月15日、ラップランド戦争勃発。(フィンランドvsナチスドイツ)

・1944年9月19日、ソビエトと和平協定を締結、独立を維持した。

・1945年4月27日、ラップランド戦争終結、フィンランドは独立を維持した。

<ラップランド戦争>
・両軍参加者:28万~30万人(推定)
・両軍負傷者:数千人
・両軍死亡者:1,500~2,000人(推定)

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

・フィンランドはソビエトの勢力圏内の国とは異なり、民主主義を擁護し、民間人の損失を抑えることに成功した。しかし、ナチスの他の同盟国よりも厳しく罰せられ、産業の中心地の1つ、都市ヴィイプリを含む領土の8分の1を失い、多額の賠償金を命じられた。

フィンランド共和国/首都ヘルシンキ

終戦~現在

・1947年と1948年にソビエトと締結した条約には、フィンランドの義務、拘束、賠償、さらに領土の譲歩が含まれていた。なお、この条約は1991年のソビエト崩壊に合わせて廃止されたが、フィンランドがソビエトに割譲した領土はロシアの土地として管理されている。

・戦後、大統領に就任したユホ・クスティ・パーシキヴィは、フィンランドの外交政策の本質的な要素は、ソビエトから攻撃を受けないという保証を得ることと考え、中立政策を推進した

・1952年、北欧諸国と市民の往来を許可する条約を締結。これにより、締結国の市民はパスポートなしで国境を越え、仕事や社会保障給付を請求できるようになった。

・1950年代~1960年代、スウェーデンで賃金の高い仕事を得るフィンランド人が急増した。

・1961年、欧州自由貿易連合に加盟。

・1970年代、フィンランド経済は第二次世界大戦の混乱と賠償金を克服し、右肩上がりで急成長した。

・1973年、欧州共同体(EC)に加盟。

・1970年代後半、一人当たりのGDPは日本とイギリスのレベルに達した。フィンランドの経済発展は輸出主導のアジア諸国と密接に関連していた。

・1975年8月1日、フィンランドの首都ヘルシンキに集まった35ヵ国がヘルシンキ合意(拘束力なし)に署名。当時のヨーロッパ諸国(アルバニアとアンドラを除く)、アメリカ、カナダを含む35カ国は、ソビエト圏と西側諸国との緊張の緩和を推進する文書に合意した。

<ヘルシンキ合意の要点>
1.主権の平等と主権に内在する権利の尊重
2.脅迫や強制力の使用を控える
3.領土の不可侵性
4.領土保全状態の堅持
5.紛争の平和的解決
6.内政不干渉
7.思想、良心、宗教または信念の自由を含む、人権および基本的自由の尊重
8.人々の平等な権利と自己決定
9.国家間の協力
10.国際法に基づく義務の誠実な履行

・1980年代、アメリカと西欧に留学するフィンランド人が急増し、工業化の勢いが加速した。

・冷戦時代、フィンランドは西側諸国とソビエトの間にあるグレーゾーンと認識され、中立を固く守った。その後も、フィンランドはソビエトと国境を接する他の国とは異なり、資本主義を維持した。

・1991年、フィンランドは経済の異様な過熱とその後のバブル崩壊、固定相場制、ソビエトの崩壊、地方市場の低迷が引き起こした不況に直面し、株式市場と住宅価格は約50%下落した。1980年代の成長は債務に基づいており、デフォルトはGDPを15%縮小し、失業率は20%まで悪化した。さらに、これらの問題への対処は労働組合の反対に直面し、政治家は支出の削減に苦労し、公的債務はGDPの約60%まで上昇した。

・1993年、フィンランド大恐慌は底を打ち、経済は回復の兆しを見せ始めた。

・1995年、EUに加盟。

・1995年~2003年、パーヴォ・リッポネン首相はいくつかの国営企業を完全または部分的に民営化した。

・2000年代、フィンランドはEUと北大西洋条約機構(NATO)との関係を確立したことで、ロシアの侵攻に対処する能力を格段に向上させた。フィンランド軍はNATOと国連の作戦に兵士を約1,000人派遣している。ただし、フィンランドはNATOには加盟しておらず(ロシアに配慮している)、スウェーデンと共に中立の立場を維持すると主張している。

文化(目次に戻る

・一部の少数民族(サーメ人、ロマ人、ユダヤ人、タタール人など)も独自の文化を維持している。

・都市圏の若者はアメリカの自由な文化を崇拝している。

・フィンランド人は非常に内向的で、小さな話にほとんど興味を示さず、プライベートを大切にすると信じられている。

・宗教に興味を示さない若者が増えている。

・サウナをこよなく愛しており、ほぼ全ての住宅にマイサウナがあると伝えられている。

・世界最大の野外ヘビーメタル音楽祭の1つ、トゥスカオープンエアメタルフェスティバルを毎年開催している。

・フィンランド料理は、欧州、フェノスカンジア、西ロシアの要素を組み合わせたもの。

・健康的な料理を好む傾向にある。

・主食はパンとオートミール。主菜は肉と魚介類全般、野菜、ベリー、牛乳など。

フィンランド共和国/トナカイのマグカップ

スポーツ(目次に戻る

・最も人気のあるスポーツはアイスホッケーとF1。

・その他の人気スポーツはサッカー、フロアボール、バンディ、スキー、国技のペサパッロ。

・ペサパッロは野球に似ているがルールは大きく異なる。

・アイスホッケー代表チームは世界選手権を3度制している。

・オリンピックの獲得メダル数は470個(金:144個、銀:148個、銅:178個)

1908年のロンドン五輪以来、全てのオリンピックでメダルを獲得している。この記録を保持している国はフィンランドとスウェーデンのみ

【有名スポーツ選手】

・ミカ・ハッキネン(Mika Häkkinen)F1ドライバー。1998年と1999年の世界チャンピオン。

・ヤンネ・アホネン(Janne Ahonen)スキージャンプの選手。オリンピックメダリスト。

その他(目次に戻る

オーロラを観測できる

世界幸福度ランキングで4連覇(2018年~)を達成した。

フィンランド共和国/首都ヘルシンキ
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