エチオピア連邦民主共和国の国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在
  ・ティグライ危機

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:エチオピア連邦民主共和国(Federal Democratic Republic of Ethiopia)

首都:アジス・アベバ(Addis Ababa)

人口:108,386,391人(2020年推定)

面積:1,127,127㎢(日本の3倍)

気候:
・地域によって大きく異なる。
・高地は涼しく、低地は暑い。
・首都アジス・アベバは標高約2,400m地点に位置する。
・年間平均気温は15~17℃。
・高地の最高気温は年間を通じて20~25℃ほど。
・高地の最低気温は5~10℃。
・年間降水量は1,000~1,500mm。
・雨季は7月と8月。
・東部の低地エリアはとても暑く、乾燥している。
・砂漠エリアは極めて熱い。

経済:
・開発途上国
・都市部と地方都市の格差が極めて大きい。
GDPは約928億ドル(2019年)
・2000年以降の経済成長率は世界トップクラス。
・経済成長を支えているセクターはほぼ国営。
・インフォーマル経済。
・人口1億人超。アフリカで2番目に多い。
・主要産業は農業と漁業。
農業部門はGDPの40%、輸出80%、労働人口の85%を占めている
・市民の大半が自給自足生活を送っている。
・主要輸出品はコーヒー豆、トウモロコシ、ジャガイモ、サトウキビ、豆類、大麦、ゴマなど。
・鉱業部門の規模は小さい。主要採掘物は金。
・国内の電力需要の約90%を水力発電で賄っている。
・エチオピア航空はアフリカで最も収益性の高い航空会社と呼ばれている。
・都市部の鉄道網開発を急ピッチで進めている。
・観光業は発展途上。
・経済協力開発機構(OECD)から毎年30億ドル以上の予算を受け取っている。

人種:
・オロモ民族 34%
・アムハラ民族 27%
・ソマリア民族 6%
・ティグリニャ民族 6%
・シダマ民族 4%
・グラゲ民族 3%
・民族グループ数は80以上。(推定)

言語:
・オロモ語34%
・アムハラ語29%
・ソマリア語6%
・ティグリニャ語6%
・シダマ語2%
・ウォライタ語2%
・言語数は86種類。(推定)
・消滅した言語も複数存在すると伝えられている。
小中学校の必須科目は英語

宗教:
・エチオピア正教会 43.5%
・イスラム教 31.9%
・プロテスタント 18.5%
・現地の宗教 2.7%
・カトリック 0.4%
・その他 0.5%

エチオピア連邦民主共和国

政治(目次に戻る

大統領:サーレ・ワーク・ゼウデ(Sahle Work Zewde)
首相:アビィ・アハメド(Abiy_Ahmed)

政治体制:連邦共和制
・二院制。連邦院(上院:110議席)と人民衆議院(下院:547議席)で構成される。
・大統領は下院選挙で選出。任期は6年。
・首相は議会選挙後に第一党から選出される。任期は5年。
1991年にティグレ人民解放戦線(TPLF)が独裁政権を打倒
・革命後、TPLFを含むエチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)が議席を独占している。
・EPRDFは議席の98%を独占。地方選挙でも圧倒的な強さで1,904議席中1,903を獲得している。

法律:エチオピアの憲法
・司法の独立は一応保障されている。
・裁判所は連邦最高裁判所と地方裁判所で構成。
・私刑が横行している。
・誘拐による結婚が60%以上を占める。(90%を超える地域もある)
・障害を持って生まれた乳児は処理される。
・憲法は形骸化しており、基本的人権は尊重されない。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・退避勧告発令中(2020年11月時点)

治安:かなり危険
エリトリア国およびソマリア連邦共和国との国境付近は極めて危険
・ティグライ地域で反政府勢力が攻勢を強めている。
・感染症注意情報発令中。(ポリオ、マラリア、コロナウイルス)
・各地で民族間衝突が発生している。
・首都アジス・アベバやその他の西部繁華街は比較的安全と言われている。
・繁華街でも強盗、誘拐などに注意。
・内戦の影響で兵器類が市場に出回っている。

エチオピア連邦民主共和国/ナイル川

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は数十社。(推定)
・国営テレビ局は1社。
・受信できる民間テレビ局は10以上。(推定)
・ラジオ局は数十社。(推定)
・インターネット網は整備されておらず、検閲も厳しい。
・インターネット使用者数は総人口の5%以下。
報道の自由は保障されていない
・反政府組織に否定的なジャーナリストは殺害される。
・TPLFに否定的なジャーナリストも殺害の対象。
・メディアは政府が独占している。

【国営メディア/設立年】
・エチオピア放送公社 1964年

【受信できる民間メディア】
EBS TV(唯一の民間テレビ局)
・中東の放送局
・欧州の放送局

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2020年軍事力ランキング:60位

・軍人数:162,000人(推定)
  即戦力 162,000人
  予備兵 0人

・陸軍と空軍を保有

・国防予算:3.5億ドル

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1700年代

・18世紀、エチオピアではイスラム教徒とキリスト教徒の争いが絶えなかった。

・現在のエチオピア連邦民主共和国およびその周辺地域で最も強い影響を誇った民族は「オロモ族」だった。

・17~18世紀にかけて、一部地域のオロモ民族がイスラム教に改宗する。

・オロモ民族とアムハラ民族は友好関係を築いていた。

1800年代

・エチオピアを治めた王は他国との関係や交易を断ち、孤立していた。

・1855年、テオドロス2世が王位を継承、国の近代化と独裁体制の強化を推し進めた。

・北オロモ民兵とティグリニャ民族はテオドロス2世の治世に反対し、何度も反乱を起こした。さらに、オスマンとエジプト帝国もしつこく攻撃を仕掛け、テオドロス2世の治世は崩壊した。

・1868年、テオドロス2世がイギリス遠征中に自殺。テクル・ギヨルギスが王位を継ぐ。

・1871年、テクル・ギヨルギス王は2つの戦争で敗北、獄死した。

・1872年、メルチャ・カッサイが王位を継承。ヨハンネス4世に名を改める。

・1889年3月10日、ヨハンネス4世はガラバットの戦いで敗北、殺害された。

・1889年3月10日、メネリク2世がエチオピアの新皇帝に就任。

・1889年5月、ウッチャリ条約に署名。北部エリアをイタリア軍に明け渡す代わりに、国の主権を保持した

・1888年~1892年、エチオピア大飢饉で人口の約3分の1、数百万人が餓死した。

・1896年3月、イタリアによる侵略戦争、第一次エチオピア戦争勃発。エチオピアが勝利する。

・1896年10月26日、暫定平和条約締結。イタリアがエチオピアの独立を認める。

エチオピア連邦民主共和国/兄弟

1900年~第一次世界大戦

・1913年、メネリク2世死去。孫のリジイヤスが王位を継承する。

・イスラム教を推進するリジイヤスの治世にキリスト教徒が抵抗し、内戦に発展。

・1916年、リジイヤスはキリスト教の貴族軍に敗れ、追放。貴族軍はメネリク2世の娘、ザウディトゥを皇后に指名し、彼女のいとこのラス・タファリ・マコネンを王子にした。

・エチオピアは第一世界大戦の影響を受けていない。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1930年、ザウディトゥ皇后死去。

・1930年、ラス・タファリ・マコネン王子が皇帝に就任。ハイレ・セラシエ皇帝に名を改める。

・1932年、セラシエ皇帝が反乱軍のひとつ、ジンマ王国を併合。

・1935年10月、ファシストイタリアによる侵略戦争、第二次エチオピア戦争勃発。セラシエ皇帝は国際連盟に控訴し、イギリスに亡命した。

・1936年初頭、イタリアのベニート・ムッソリーニが勝利を宣言。(エチオピア植民地時代)

・1937年2月19日~21日、イタリア軍によるエチオピア人虐殺事件が発生。(通称イェカティット12)民間人約3万人が虐殺されたと伝えられている。

・1937年、奴隷制廃止。

・1939年9月1日、第二次世界大戦勃発。

・1940年、イギリスが東アフリカ戦線に介入。

・1941年、イギリス率いるアフリカ連合軍がファシストイタリアに勝利。エリオピアの主権を取り戻す。

・1942年8月26日、セラシエ皇帝が奴隷制に関連する法を抹消すると宣言。

・1944年12月、英エチオピア協定調印。イギリスがエチオピアの完全な主権を承認した。

終戦~現在

・1947年、イタリアがエチオピアの独立を承認。

・1952年、エチオピアとエリトリア国が連合を結成。

・1961年9月1日、エチオピアがエリトリアを併合。エリトリア独立戦争勃発。

・1970年代初頭、エチオピア独立戦争と独裁政権に反対する反政府共産主義勢力が、ソビエトのブレジネフ書記長の支援を受け始める。

・1974年9月、エチオピア革命勃発。セラシエ皇帝は地位を失い、投獄される。

・1974年末、社会主義エチオピア暫定政権(通称デルグ)樹立。

・1975年3月21日、君主制廃止。

・1976年12月、ソビエトと軍事援助協定を締結。

・1977年2月、デルグを主導したタファリ・ベンティ将軍と高官たちが処刑される。

・1977年4月、アメリカとの軍事援助協定を破棄。

・1977年7月13日、ソマリア政府がデルグの大虐殺に抵抗、オガデン戦争勃発。(エチオピアvsソマリア)

・1977年11月、メンギスツ・ハイレ・マリアム中佐が国家統一を宣言。中佐は前任者とつながりのある関係者、推定数万人を処刑した。

・1978年3月23日、オガデン戦争終結。キューバの支援を受けたエチオピアの勝利。

・1983年~1985年の大飢饉で約100万人が死亡。(推定)

・1984年、エチオピア労働者党(WPE)設立。

・1987年9月10日、エチオピア人民民主共和国成立。メンギスツ中佐が大統領に就任した。

・1989年、「ティグレ人民解放戦線(TPLF)」が、他の民族グループの反政府組織と合併し、エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)を設立。

・EPRDFはTPLF、アムハラ民主党(ADP)、オロモ人民民主党(ODP)、南エチオピア人民民主運動(SEPDM)の4政党で構成される。

・1991年5月、EPRDFが首都に進出。メンギスツ大統領は家族とジンバフエに亡命する。

・1991年5月24日、エリトリア独立戦争終結。エリトリア国の独立が認められる。

・1991年5月29日、エリトリア国が独立を宣言。

・1991年7月、EPRDFがエチオピア暫定政府を設立。

・1992年6月、オロモ人民民主党(ODP)がEPRDFから脱退。

・1993年3月、南エチオピア人民民主運動(SEPDM)もEPRDFから脱退。

・1993年5月24日、エチオピア暫定政府を治めたメレス・ゼウィがエリトリアの独立を承認。

・1995年5月、総選挙実施。EPRDFが議席を独占。メレス・ゼウィが首相に就任する。

・1995年8月21日、憲法制定。国名を「エチオピア連邦民主共和国」に改める。

・1998年5月6日、エリトリア・エチオピア戦争勃発。両軍合わせて数十万人が死亡した。(2018年に終結)

・2001年、エチオピア軍はジブチに設置された米軍訓練拠点で訓練を開始。アメリカの対テロ戦争に協力した。

・2006年、メンギスツ元大統領が大量虐殺(50万~200万人を処刑)の罪で死刑判決を受ける。ただし、ジンバブエは引き渡しに同意していない。

・2011年、大エチオピア再生ダム建設開始。

・2012年8月20日、メレス・ゼウィ首相死去。ハイレマリアム・デサレンが新首相に就任。

・2013年10月7日、ムラトゥ・テショメが大統領に就任。

・2018年4月2日、アビィ・アハメドが首相に就任。

・2018年10月25日、サーレ・ワーク・ゼウデが大統領に就任。エチオピア初の女性大統領。

・2019年、アハメド首相がノーベル平和賞を受賞。エリトリア国との和平を評価されての受賞だった

・2020年6月29日、ミュージシャンのハチャル・フンデッサが暗殺される。オロモ民族は暗殺に猛抗議しデモを主導、少なくとも200人が死亡した。

・2020年9月、アメリカのトランプ大統領が大エチオピア再生ダム建設に干渉。エチオピア、エジプト、スーダンの関係悪化を招く。

ロイター通信/エチオピア連邦民主共和国ティグレ人民解放戦線(TPLF)

ティグライ危機

・2021年3月、ティグライ地域の医療機関の大半は破壊された。国境なき医師団(MSF)報告。

・2021年2月26日、国際人権NGOアムネスティ・インターナショナルがレポートを公表。

・2021年2月19日、エリトリア政府、エチオピアのティグライ地域でエリトリア軍が市民数百人を虐殺したと報じたAP通信のレポートを却下。

・2021年2月1日、ティグレ人民解放戦線(TPLF)の元リーダー、デブレツィオン・ゲブレミチャエル氏は声明で、「政府軍はティグライの市民を虐殺した」と述べた。

・2021年1月、ティグライ緊急調整センター(ECC)、ティグライ地域で「数十万人が餓死する可能性がある」と警告。

・2020年12月23日、ベニシャングル・グムズ地域(民族境界線沿い)で虐殺事件が発生し、100人以上が死亡。

・2020年12月、エチオピア国防軍は、ティグレ人民解放戦線(TPLF)の指導者の所在に関する情報に約25万ドル(2,600万円)の懸賞金をかける。

・2020年12月11日、エチオピア政府、北部ティグライ地域の難民キャンプから逃れた「エリトリア難民数千人」を元の難民キャンプに戻すと発表。

・2020年12月8日、エチオピア政府、ティグライ地域の検問所を突破しようとした国連職員に発砲

・2020年12月、国連とエチオピア、ティグライ地域への援助を許可する協定に署名

・2020年12月1日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、難民の栄養失調と飢餓を警告。

・2020年11月29日、赤十字病院、医療用物資が「危険なほど不足」していると警告。

・2020年11月28日、アビィ・アハメド首相、州都メケレを「完全に支配した」と宣言。

・2020年11月25日、政府軍、州都メケレへの攻撃を開始

・2020年11月22日、国連、エチオピア政府軍によるティグライ地域への「最後通告」について、市民を巻き込む致命的な戦争犯罪につながると懸念を表明。

・2020年11月22日、アビィ・アハメド首相がティグレ人民解放戦線(TPLF)に降伏する機会を与える。

・2020年11月、国連のアントニオ・グテーレス事務総長、「即時の一時停戦」を求める。

・2020年11月、国連、「本格的な人道的危機」が発生していると警告。

・2020年11月14日、TPLFが、近隣地域の空港などをロケット弾で攻撃

・2020年11月13日、国連はマイカドラの町で発生したと伝えられている大量殺戮について、事実であれば「戦争犯罪」の可能性もあると述べた。

・2020年11月、ティグライ地域、南西エリアに位置するマイカドラの町で、数百人が刺されるなどして死亡した。

・2020年11月4日、TPLFが政府軍の軍事キャンプを攻撃。TPLFは関与を否定している。

・2020年9月、アハメド政権はコロナウイルスへの対応として国内での選挙活動を禁じ、TPLFはこれに猛反発した。TPLFはこの制限を、「中央政権の独裁体制を強化する違法行為」と見なしている。

・国内最大の民族グループはオロモ民族。TPLFはこれに属する。

・オロモ民族グループとソマリア民族グループの衝突が長年続いてる。

・1970年代~1980年代、政府の崩壊、干ばつ、飢饉で100万人以上が死亡、約800万人が影響を受けたと伝えられている。指導者はマルクス主義の独裁者、メンギスツ・ハイレ・マリアム。

・1989年、TPLFは他の反政府組織と合併、エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)を結成。

・1991年、EPRDFの軍事攻勢により、メンギスツ・ハイレ・マリアム政権崩壊

・1991年7月、EPRDF、オロモ解放戦線(OLF)などが87名の国民議会を形成。エチオピア暫定政府(TGE)を設立。

・2018年4月2日、アビィ・アハメドが首相に就任。

・2018年7月、エチオピアとエリトリア国の首脳が20年ぶりに会談、和平協定に署名

・2018年10月25日、サーレ・ワーク・ゼウデが大統領に就任。エチオピア初の女性大統領。

・2018年の避難民数は推定140万人。

・2019年、アハメド首相がノーベル平和賞を受賞。

・政府とTPLFの緊張関係は年々悪化している。

・TPLFはエリトリア国との和平を認めていない。

オロモ民族グループによる虐殺(数十人規模)が横行。オロモに属するアハメド首相はこれを非難している。

文化(目次に戻る

80以上の民族が多種多様な文化を構築している

・都市部の服装は西欧化、その他のエリアは伝統的な民族衣装を着用している。

・エチオピア料理は野菜と香辛料を多用し、とてもスパイシー。

・イタリアの植民地時代の影響で、パスタが人気。

・食後のコーヒータイムを大切にしている。

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はサッカー。ただし、代表チームはそこまで強くない。

・中長距離走(陸上)の強豪国。

最も有名なスポーツ選手は故アベベ・ビキラ

・ケネニサ・ベケレは、オリンピックや世界選手権などで金メダルを26個獲得。マラソンのベストタイムは2:01:41。

【有名スポーツ選手】

・アベベ・ビキラ(Abebe Bikila)1964年東京オリンピック金メダリスト、世界を代表する長距離ランナーのひとり。

・ケネニサ・ベケレ(Kenenisa Bekele)オリンピック金メダリスト、エチオピア史上最強の長距離ランナーと呼ばれている。

・ティルネシュ・ディババ(Tirunesh Dibaba)オリンピック金メダリスト、女性長距離ランナー。

その他(目次に戻る

民族間の深刻な争いは現在も収まっておらず、新たな内戦の危機に直面している。(政府とTPLFの対立)

・アフリカ随一の高い経済成長率を誇る。

エチオピア連邦民主共和国/コーヒー豆
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