目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:エスワティニ王国(Kingdom of Eswatini)
首都:ムババーネ(Mbabane)
人口:1,160,164人(2020年推定)
面積:17,364㎢(四国とほぼ同じ)
気候:温暖湿潤気候
・西は山岳地帯、東は丘陵地帯。
・気候は標高によって異なる。
・雨季(夏)は11月~4月。
・乾期(冬)は5月~10月。
・年間降水量は標高によって異なる。多い地域は1,500mm以上。
・海抜約1,200mの首都ムババーネの夏場の平均気温は最低が13~15℃、最高は23~25℃。
・首都ムババーネの冬場の平均気温は最低が16~21℃、最高は29~32℃。
・海抜約100mの町ビッグベンドの夏場の平均気温は最低が13~15℃、最高は23~25℃。
・ビッグベンドの冬場の平均気温は最低が8~17℃、最高は25~29℃。
・熱帯低気圧の影響を受けることは少ない。
・観光に最適な時期は6月~9月。ただし、低地は暑く、高所は寒いため、服装に注意が必要。
経済:
・開発途上国
・GDPは39億ドル(2020年推定)
・主要産業は農業とサービス業。
・主要輸出パートナーは南アフリカ(60%)、EU(9%)、アメリカ(9%)
・主要輸入パートナーは南アフリカ(96%)、EU(1%)、日本(1%)
・主要輸出品はソフトドリンク、砂糖、木材、錦糸、柑橘類、缶詰など。
・人口の約75%が自給自足生活を営んでいる。
・失業率は40~45%と推定されている。
・貧困ライン以下の生活を余儀なくされている国民は人口の約70%。
・経済成長率は近隣諸国に後れを取っており、2001年以降の実質GDP伸に率は平均2.8%にとどまっている。
・砂糖生産量はアフリカで4位、世界で25位。
・政府を含む公共部門は絶対君主制の影響で非効率的。
・政府は企業に投資を促しているが、不便なインフラと政府のガバナンス不足の影響で伸び悩んでいる。
人種:
・スワジ族 84.3%(2019年人口レビュー推定)
・ズールー族 9.9%
・ツォンガ族 2.5%
・インド人 0.8%
・パキスタン人 0.8%
・ポルトガル人 0.5%
言語:
・英語(公用語)
・スワジ語(公用語)
・その他
宗教:
・アフリカシオニズム 40%(2019年人口レビュー推定)
・ローマカトリック 20%
・イスラム教 2%
・その他のクリスチャン 30%
・不明 8%
エスワティニ王国
政治(目次に戻る
君主:ムスワティ3世(Mswati III)
首相:クレオパ・ドラミニ(Cleopas Dlamini)
政治体制:絶対君主制
・国家元首は国王。
・上院の議員定数は31人、任期は5年。
・下院の議員定数は76人、任期は5年。
・新しく選出される国王は独身でなければならない。
・最高意思決定者は国王。議会と首相の権限は限られている。
・政党の結成および活動は禁じられている。
法律:エスワティニ王国の憲法
・国王とイングウェンヤマ(支配者に与えられる称号)はスワジ国家の永遠の象徴。
・良心、信念、表現、意見、平和的な集会および結社の自由を保障していない。
・生存権を完全に保障できていない。
・裁判を受ける権利が完全に保障されていない。
・女性の権利の保障に欠陥がある。たとえば、女性は強制結婚から保護されていない。
・司法の公平性および独立性に欠陥がある。
・裁判官は国王の指示に従い、判決を下すクセがある。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年8月時点)
治安:良くはない
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・反政府勢力やイスラムジハード組織の活動は報告されていない。
・近隣諸国に比べると犯罪発生率は低い。
・繁華街(特に夜間)では路上強盗や窃盗に巻き込まれる可能性がある。
・スリ、置き引き、引ったくりに注意。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない。
・パスポートやキャッシュカードなどの貴重品は持ち歩かず、安全な場所に保管する。
・南アフリカとモザンビークにつながる道路周辺ではカージャックが多発している。
・抗議活動やデモが発生する兆候が見られた時は外出を避ける。
・夜間の外出は控える。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は2社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局はない。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は数局あると伝えられている。
・報道と言論の自由を保障しておらず、国王および政府に批判的なジャーナリストは起訴される可能性がある。
・主要メディア媒体はラジオ。
・南アフリカのテレビを受信できる。
・インターネットの普及率は40~45%。
・検閲は厳しい。
・国王はメディアを厳しく統制している。
【国営メディア/設立年】
・エスワティニテレビ 1970年
【民間メディア】
・ー
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:ー位
・軍人数:3,000人(推定)
即戦力 3,000人
予備兵 0人
準軍組織 0人
・陸軍を保有。
・独立以来、外国の紛争に関与したことはない。
・国防予算:1億ドル(推定)
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代:スワジ人はポンゴロ川の北部に定住した。
・スワジ人はマプト王国、現在のモザンビーク。ンドワンドウェ王国との紛争に参戦し、その後さらに北に押しやられた。君主は現在のムロシェニの麓に首都シセルウェニを設置した。
1800年代
・1881年:イギリスはアフリカを分割したにもかかわらず、スワジランドの独立を認める条約に署名した。
・1884年:ロンドン条約(署名国:イギリスと南アフリカ)発効。
・1894年:イギリスとボーア諸共和国(現在の南アフリカ)はロンドン条約に基づきスワジランドを統治することに合意した。
・1899年10月:第二次ボーア戦争勃発。(イギリスvsボーア諸共和国)
1900年~第一次世界大戦
・エスワティニ(旧スワジランド)は第一次世界大戦に関与していない。
・1902年5月:第二次ボーア戦争終結。ボーア諸共和国はイギリスの管理下に置かれた。
<第二次ボーア戦争>
・両軍参加者:70万~80万人(推定)
・両軍負傷者:10万~15万人(推定)
・両軍死亡者:30,000~35,000人(推定)
・民間人死亡者:20,000~50,000人(推定)
・1903年:ラボツィベニ・ムドルリがスワジランド保護区の初代君主(女王)に就任。スワジランドはヨーロッパと非ヨーロッパ(先住民保護区)地域に分割され、前者は国土の約3分の2を管理した。
・1907年:スワジランドはイギリス高等弁務官が南アフリカで発行した法律に基づき統治された。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・エスワティニ(旧スワジランド)は第二次世界大戦に関与していない。
・1921年12月:ソブーザ2世が王位を継承。ソブーザ2世は、スワジランド保護区の中小企業に免許を与えるスワジ商業帰還アマドダを設立し、教育を推進するためにスワジ国立学校システムを確立した。
・1920年代~1940年代:スワジランド保護区はイギリス政府の弱体化に伴う抵抗を推進し、南アフリカ連邦へのスワジランド併合を却下した。
終戦~現在
・1962年:ングワネ民族解放会議(NNLC)が結成される。
・1964年:憲法施行。
・1964年:ソブーザ2世がインボコドボ国民運動(INM)を設立。INMは立法評議会を支配した。
・1967年:ソブーザ2世は立法評議会を解散し、二院制議会に移行したのち秘密選挙を実施した。INMは上下両院を完全に支配し、議席を獲得できなかったNNLCが主要反対派勢力に浮上した。
・1968年9月6日:「スワジランド」がイギリスから独立。新憲法を採択し、イギリス議会の権限は議会に移譲された。
・1972年5月:独立後初の議会選挙。INMは24議席中21議席、NNLCは残り3議席を獲得した。
・1973年:ソブーザ2世は憲法を一時停止したうえで、政党活動を禁じた。
・1977年:ソブーザ2世は王族に反対する反抗的な議会を廃止し、伝統的な部族コミュニティ制度に移行すると宣言した。
・1978年:新憲法施行。議員の候補者はティンクンドラ(地方議会)政治システムで選定し、秘密投票で選出されることになった。君主は議員の一部の任命権限を保持し、議会の権限は君主よりはるかに低く、サポート役と認識された。
・1979年:新議会発足。
・1982年:スワジランドの伝統を継承ならびに助言する政府機関スワジランド全国評議会が最高国家評議会(Liqoqo)に改名された。(メンバーは全て王族)
・1982年8月:ソブーザ2世崩御。デゼリウェ女王が暫定摂政に就任した。
・1983年:人民統一民主運動(PUDEMO)が結成された。
・1983年8月9日:ソジサ・ドラミニ王子がデゼリウェ女王を追放し、暫定君主に就任した。
・1983年8月18日:ヌトンビ女王が暫定摂政に就任。
・1986年4月25日:ヌトンビ女王の夫であるマホセティヴ王子が君主に就任。ムスワティ3世の称号を獲得した。
・1986年5月:ムスワティ3世が反抗的な最高国家評議会(Liqoqo)を解散。
・1991年:ムスワティ3世は新国家委員会を設立し、ティンクンドラ(地方議会)政治システムを再び導入することに合意したが、人民統一民主運動(PUDEMO)はこの提案を拒否した。
・1992年:国王は政治改革を検討する第二委員会を設立した。
・1992年:PUDEMOが第二委員会の提案を拒否したため。ムスワティ3世は議会を解散し、次の選挙まで国を支配すると宣言した。
・1997年:労働組合のスワジランド連盟(SFTU)がゼネストを決行、国の労働者の約半数が参加した。政府はゼネストを違法と宣言した。
・2003年10月:議会選挙。民主運動家のオーブド・ドラミニが議席を獲得。
・2004年3月:国連はスワジランドのHIV/ AIDS陽性率に懸念を表明した。
・2004年7月:ムスワティ3世は新しい数名の妻を収容する豪華な宮殿の建設を承認した。
・2005年8月:新憲法施行。
・2007年7月:商業首都マンジニで民主改革を求める数千人規模の抗議が発生。ムスワティ3世はこれを厳しく取り締まった。
・2010年9月:国軍が民主化を求める活動家約50人を逮捕。その翌日、激しい抗議デモがマンジニで勃発した。
・2011年11月:政府の予算管理ミスにより、公的部門の労働者の給与は滞った。国際通貨基金(IMF)はスワジランド議会および政府の予算管理ミスを怠慢と呼び、非難した。ムスワティ3世は隣国の南アフリカに融資を求めたが、南アフリカ政府は民主改革に応じないムスワティ3世を非難し、融資を拒否した。
・2013年8月:議会選挙。政党は選挙への参加を禁じられたため、候補者は全て無所属で出馬した。
・2018年4月:ムスワティ3世は独立50周年を記念して国名をスワジランドから「エスワティニ王国」に変更した。エスワティニという単語は、ムスワティ3世の名に由来している。
・2018年9月19日:多くの労働者がエスワティニ労働組合会議(TUCOSWA)主催のストライキに参加し、広範囲にわたる混乱を引き起こした。
・2021年5月:法学部の学生タバニ・ンコモニエの遺体が商業首都マンジニの近郊で発見された。警察はンコモニエは自動車事故で死亡したと主張したが、他の学生たちが警察官に殺されたと告発したことで激しい抗議活動が勃発した。抗議者たちは#JusticeforThabaniを組織し、警察の残虐行為の終結を求め、その後、デモは民主化を求める呼びかけに変わった。ムスワティ3世は反抗的な学生を非難したうえで抗議活動を禁止し、火に油を注いだ。
・2021年6月:民主化を求めるデモが全国で勃発し、暴動、略奪、警察や兵士との街頭小競り合いに発展した。この市民不安は、エスワティニの民主化を阻止する王族に対する長年の怒りと、政府が請願を禁止する法律を施行したことで始まった。
・民主化を求める抗議者たちはムスワティ3世に関連する多くの施設を焼き払い、治安部隊は抗議者を激しく暴行したと伝えられている。ニューヨーク・タイムズ紙は、「独立以来、最も爆発的なデモ」と報じた。
・ロイター通信などによると、治安部隊は少なくとも市民20人を殺害し、数百人が拘留されたという。政府はインターネットを遮断し、期間中、外部の団体や組織は現地にほとんどアクセスできなくなった。ムスワティ3世は国外に逃亡したと伝えられているが、政府はこの主張を却下し、デモの終結を呼びかけている。
文化(目次に戻る
・先住民族の文化や伝統はほとんど文書化されておらず、謎に包まれている。
・村長は地域のリーダーであり、気に入った女性を好きなだけ娶(めと)ることができる。
・成人人口の26~28%がHIV/ AIDS陽性者と推定されている。
・平均寿命は2018年時点で58歳、世界で12番目に低い。
・総人口の平均年齢値は約20歳。14歳以下が総人口の約38%を占めている。
・結婚前に妊娠した女性は罰金(牛1頭)を科される。
スポーツ(目次に戻る
・人気スポーツはサッカー、ラグビー、クリケット、ゴルフ、テニス、陸上競技、競泳など。
・国王はスポーツ活動を奨励しているが、国際大会で好成績を上げたことはない。
・オリンピックでメダルを獲得したことはない。
・1992年のアルベールビルオリンピックで冬季五輪デビューを果たしたが、以降の大会には出場できていない。
その他(目次に戻る
・絶対君主制の廃止を求める抗議活動が続いている。(2021年8月)
・ムスワティ3世は15人の妻との贅沢なライフスタイルを確立し、市民を厳しく扱ったとして非難されている。