エリトリア国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:エリトリア国(Eritrea)

首都:アスマラ(Asmara)

人口:6,081,196人(2020年推定)

面積:121,320㎢(日本の0.55倍)

気候:熱帯気候
・熱帯、温帯、亜熱帯地域に分かれる。
・アフリカ大陸で最も標高の高い高原を有す。
・首都アスマラは標高2350m地点に位置する。
・高地の年間平均気温は約15℃。夏は穏やか、冬は寒い。
・紅海沿岸地域は極めて暑い。夏場の最高気温は40~50℃に達することも珍しくない。
・低地の砂漠化が進んでいる。

経済:
・開発途上国
・インフォーマル経済。
GDPは約20億ドル(2019年推定)
・難民問題に悩まされている。
・失業率は不明。
・独立戦争(1961~1991年)後のGDPの伸びは堅調。(近年は停滞気味)
・人口の80%が農業で生計を立てている。
・紅海沿いの町の主要産業は漁業。
・主要産業はサービス業。(主に銀行業)
・観光産業は独立戦争の影響でほぼ未開発状態。
・政府は予算を公表しておらず、財政状態の評価は困難。
・干ばつの影響で穀物価格が高止まりしている。
・2003年のインフレ率は23%(推定)。

人種:
・ティグリニア人 55%
・ティグレ人 30%
・サホ人 4%
・クナマ人 2%
・ラシャイダ人 2%
・ビリン人 2%
・その他 5%

言語:公用語を定義していない。
・ティグリニャ語
・ティグレ語
・クナマ語
・ビレン語
・ナラ語
・サホ語
・アファル語
・ベジャ語

宗教:
・キリスト教 62.9%
・イスラム教 36.6%
・その他 0.5%
・イスラム教徒の99%はスンニ派。シーア派1%未満と考えられている。

エリトリア国

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書記長:イサイアス・アフェウェルキ(Isaias Afwerki)
大統領:イサイアス・アフェウェルキ(Isaias Afwerki)

政治体制:一党支配制
独立(1993年)以来、立法選挙と大統領選挙を行ったことがない
・1997年に新憲法を公布したが、エチオピアとの国境紛争の影響で施行できず、総選挙も未実施のまま。
・2019年にエチオピアとの国交を回復した。
・一党支配制、他の政党を組織することは許可されない。
・世界で最も独裁的な国家のひとつに数えられている。

法律:エリトリアの憲法
・裁判所は民事、軍事、特別の3つ。
・表向きは憲法で司法権の独立を保障している。
・国内で活動する弁護士は極めて少ないと考えられている。
・特別裁判所の判決に異議を申し立てることはできない。
・軍や警察による厳しい尋問、拷問が横行している。
・私刑が横行している。
・人権侵害に対する訴えを起こすことができない。
・民間放送、出版物、外国メディアの閲覧などは憲法で禁止されている。
・大統領が司法を支配している。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・避難勧告発令中(2020年12月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2020年12月時点)

治安:悪い
・隣国エチオピアで発生した紛争の影響で国境付近への移動が制限されているものと思われる。
・軍と警察による厳しい治安維持活動の影響で、犯罪の発生率は低いと考えられている。
・エチオピアとの和平協定に反対する反政府組織が国内および国境付近で活動している。
・市民の生活環境は極めて悪く、難民問題(国内外)に悩まされている。
・近年、テロが発生したという報告はない。

エリトリア国/水をくむ少年

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・新聞社は4社。すべて国営。
・国営テレビは2局。
・民間テレビ局はない。
・ラジオ局は3つ。すべて国営。
・インターネットのつながる地域は少ないと考えられている。
・言論と報道の自由という概念は存在しない。
・かつて存在した民間新聞社(8社)はすべて閉鎖。活動していたジャーナリストは軒並み逮捕された。

【国営メディア/設立年】
・Eri-TV1 1960年
・Eri-TV2
・Eri-TV3 

【民間メディア】
なし

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2020年軍事力ランキング:-位

・軍人数:250,000~300,000人(推定)
  即戦力 250,000~300,000人
  予備兵 0人

・陸軍を保有

・国防予算:2.9億ドル

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1700年代

・1700年代、現在のエリトリア国の境界は確立していなかった。

・エチオピアの都市のひとつと考えられていた。

・1734年、アフリカの民族、アファールが現在のエリトリアおよび周辺地域を手中に治めたと伝えられている。

1800年代

・1869年、イタリア王国の海運会社、ルバッティーノ社が紅海沿岸の町、アッサブ(現在のエリトリア国の一部)を購入。

・1882年、アッサブがイタリア王朝の管理下に置かれる。

・1887年、エリトリア鉄道敷設工事着工。

・1888年、エリトリア鉄道部分開通。1932年まで運行した。

・1889年、ウッチャリ条約でエチオピア帝国が定義される。これにより、現在のエリトリアの国境が確立した。

・1890年、エリトリア全土がイタリア王国の植民地になる

・イタリア王国エリトリア政府は各地に工場を建設し、町やインフラへの投資を加速させた。

1900年~第一次世界大戦

・ティグリニア人の一部がイタリア王国の支配に抵抗し、小規模な争いが各地で発生する。

・イタリア王国はボタン、食用油、パスタ、建材、包装肉、タバコ、皮革、その他の家庭用品の工場を各地に建設し、数千から数万人の現地民を雇った。

・1911年、エリトリア鉄道が首都アスマラに到達。(延伸工事)

・イタリア王国エリトリア領は第一次世界大戦の影響を受けなかった。

・イタリア王国エリトリア政府は、公共事業部門で多くの現地民を雇った。

・第一次世界大戦中のイタリア人入植者の数は、4,000人ほどだったと伝えられている。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1922年、ベニート・ムッソリーニ政権誕生。(イタリア王国)

・1936年5月、ムッソリーニ政権、イタリア帝国誕生を宣言。

・1936年5月、イタリア帝国領エリトリア、エチオピア、ソマリランドが合併。

・イタリア帝国は、現在のエリトリアの紅海沿岸都市をアフリカ産業の中心地に選んだ。

・アスマラ(現在の首都)の開発が進む。人口は数年で500%以上増加した。

・1930年代、コーヒーの輸出が急増した。

・1940年頃、アスマラの中小企業の数は2,000を超え、建設、機械、繊維、食品加工、電気関連分野の工場や事務所が次々に建設された。

・1940年頃、アスマラは「ローマより近代的な町」「ニューローマ」と言われるまでに成長した。

・1941年1月、イギリス軍がエリトリアを征服。侵攻に伴い、インフラと工業地帯の大部分が壊滅した。(ゲリラ戦争勃発)

・1943年9月、イタリア帝国、連合国と休戦協定を結ぶ。(降伏)

・1943年10月、イギリス軍が抵抗勢力との戦いに勝利する。(ゲリラ戦争終結)

・1945年4月28日、ムッソリーニ、イタリアのパルチザンで処刑される。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

・ニューローマと呼ばれたアスマラは、第二次世界大戦中の侵略およびゲリラ戦で壊滅した。

・アスマラに入植したイタリア人の大半が帰国もしくは他国(米、AUS、中東など)に向かった。

終戦~現在

・1950年12月、国連決議により、エチオピア・エリトリア連合成立。

・1952年3月25日、キリスト教徒とイスラム教徒の68人で構成される議会が成立。

・1952年9月11日、憲法制定。

・1952年12月、国連決議によりエチオピアとエリトリアが合併。皇帝はエチオピアのハイレ・セラシエ。

・1958年12月、エチオピアとの合併に反対するエリトリア解放運動(ELM)誕生。

・1960年、エリトリア解放戦線(ELF)誕生。

・1961年9月1日、エリトリア独立戦争勃発。(ELFvsエチオピア・エリトリア帝国)

・1962年、ハイレ・セラシエ皇帝が議会の解散とエリトリアの併合を宣言。

・1972年、エリトリア人民解放戦線(EPLF)誕生。

・1974年、クーデターによりハイレ・セラシエ皇帝が追放される。

・1974年、暫定軍事政権が社会主義エチオピアの設立を宣言。

・1975~1977年、ELFとEPLFはエチオピア軍との戦いを次々に制し、エリトリア全土を占領した。

・1978~1986年、社会主義エチオピアの暫定軍事政権はELFやEPLFなどの独立運動組織を攻撃したが、勢いを止めることはできなかった。

・1989年11月、ジミー・カーター米大統領の仲介により、EPLFとエチオピア暫定軍事政権が和平協定に調印。

・1991年5月24日、EPLFがエリトリア暫定政府(PGE)を設立。

・1991年5月24日、エリトリア独立戦争終結。両軍の死亡者数(民間人含む)は100万人以上と言われている。

・1993年4月23日~25日、国連の監視のもと、エリトリアの独立を決める国民投票が実施される。

・1993年4月27日、「エリトリア国」が独立を宣言。

・1993年5月28日、国連に加盟。

・1996年7月、エリトリア憲法批准。

・1998年5月6日、エリトリア・エチオピア戦争勃発。エリトリアが国際法を犯してエチオピアの領土に侵入、戦争に発展した。

・2000年6月18日、両政府、停戦に合意。

・2000年12月12日、和平協定調印。(アルジェ協定)

・2002年4月、国際司法裁判所が両国の国境争いに対する判決を言い渡す。エチオピア政府は、エリトリアに領土の一部を奪われたと反発した。

・国際司法裁判所の判決以降も両国の小競り合いは続いた。

・2018年6月5日、エリトリアとエチオピア政府、完全な和平に至ったと宣言。

・2018年6月下旬、エリトリア代表団がエチオピア政府と会談。

・2018年7月、エチオピアとエリトリアの首脳が戦争状態を正式に終結させる共同声明に署名

文化(目次に戻る

・最も支持されている飲み物はコーヒー。

家庭を訪問した際に食事を勧められた場合、少なくとも3回は辞退するのが礼儀

・9つの民族グループは独自の文化を形成している。

・海外の文化や情報を取得することは憲法で禁じられている。

エリトリア国/宗教施設

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカーと自転車競技。

・アフリカ大陸サイクリング選手権で大成功を収めている。(数年連続優勝)

・夏季オリンピックデビューは2000年シドニー。

・冬季オリンピックデビューは2018年平昌。

・アテネオリンピック男子10,000mで初のメダル(銅)を獲得。

【有名スポーツ選手】

・ゼルセナイ・タデーゼ(Zersenay Tadese)陸上選手。エリトリア国初のオリンピックメダリスト。

その他(目次に戻る

・コーヒー豆の一大生産地。

2018年に隣国エチオピアとの完全な和平に至った

エリトリア国/動物市場
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