赤道ギニア共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:赤道ギニア共和国(Equatorial Guinea)

首都:マラボ(Malabo)

人口:1,454,789人(2020年推定)

面積:28,051㎢(北海道の0.3倍)

気候:熱帯気候
・雨季は4月~6月と9月~11月。
・乾期は12月~3月。
降雨量は内陸部より沿岸地域の方が多い
・気温は1年を通して安定している。(最低:20~23℃、最高:27~31℃)
・ゲリラ豪雨に悩まされている。
・内陸部の大部分は熱帯雨林。

・マラリア、麻疹、風疹、狂犬病などの感染症に注意。
・内陸エリアは野生のゴリラ、チンパンジー、ヒョウ、ゾウなど、野生動物の宝庫。

経済:
・開発途上国
GDPは118億ドル(2019年推定)
・極度の貧困に悩まされている。
・インフォーマル経済。
・2014年の石油価格暴落でGDPは50%以上低下した。
・公務員の汚職と横領が常態化している。
・インフラは極めて脆弱。石油の輸出で得た利益をほとんど活かせていない。

・石油の輸出で得た利益は大統領一家の口座に振り込まれている。
オビアン・ンゲマ大統領はアフリカを代表する大富豪のひとり
・人口の4分の3が貧困ライン以下の生活を送っている。
・水道水は極めて不衛生なので、間違っても飲まないこと。氷も注意。

人種(民族):
・ファン族 85.7%(推定)
・ブビ族 6.5%
・モドワ族 3.6%
・アノボネセ族 1.6%
・ブジェバ族 1.1%
・その他 1.4%

言語:
・スペイン語(公用語)
・フランス語(公用語)
・ポルトガル語(公用語)
・バンドゥー語
・英語
・その他の民族の言語

宗教:
・ローマカトリック 88%(推定)
・プロテスタント 5%
・イスラム教 2%
・その他 5%

赤道ギニア共和国

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大統領:テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴ(Teodoro Obiang Nguema Mbasogo)
首相:フランシスコ・パスクアル・オバマ・アスエ(Francisco Pascual Obama Asue)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領。
ガバナンスという概念は存在せず、汚職と横領が蔓延している
・オビアン・ンゲマ大統領は軍事クーデターで権力を掌握した。
・オビアン・ンゲマ大統領は40年以上権力を独占している。
・大統領および議会選挙は必ずオビアン・ンゲマ大統領の党が圧勝する。
・複数政党制だが、不正選挙で一党独裁体制を確立している。
・一院制。議員定数は100人。任期は5年。
・石油と天然ガスの利益は大統領一家の口座に振り込まれる。
・オビアン・ンゲマ大統領はアフリカを代表する大富豪になり、国民の4分の3はその影響で極度の貧困に陥った。

法律:赤道ギニア共和国の憲法
・司法の独立を保障していない。司法制度の最高責任者は大統領。
・基本的人権を保障していない。
・女性と少数民族に対する暴力と差別、人身売買などが常態化している。
・世界で最も腐敗した法律と呼ばれている。
・弾圧、拷問、処刑が常態化している。2007年には与党の腐敗を告発した野党党首が治安部隊の拷問で死亡している。
・治安部隊は許可なく個人宅に侵入し、犯罪者、外国人などの容疑者を逮捕できる。

赤道ギニア共和国/テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴ大統領

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渡航情報:
外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年3月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年3月時点)

治安:良くはない
・近年、国内でテロ事件は発生してない。
・イスラム過激派組織や反政府組織の活動は報告されていない。
・貧困や所得格差に不満を持つ団体が活動している。
・沿岸地域では海賊が活動している。
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・武装強盗に遭遇した時は抵抗しないこと。
・パスポートは極力持ち歩かず、金庫に保管しておくこと。
・銃や爆弾が市場に出回っている。

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は6社。
・国営テレビ局は2社。
・民間テレビ局はない。
・国営ラジオ局は3社。
・民間ラジオ局はない。
・大統領の息子が運営するラジオ局は1社。
・報道と言論の自由を保障していない。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネット普及率は低い。
・検閲は厳しく、政府に批判的なジャーナリストは投獄される。
・ジャーナリストは当局の監視の対象。

【国営メディア/設立年】
・TVGE 1968年
・アマンガTV 1980年頃

【民間メディア】
・ー

赤道ギニア共和国/建設労働者(ロイター通信)

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:2.500人(推定)
  即戦力 2,500人
  予備兵 0人
  準軍組織 0人

・陸海空軍を保有。

・国防予算:ー億ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、現在の赤道ギニア共和国と周辺国はポルトガルとスペインの植民地下に置かれていた。

・ポルトガル人は奴隷、サトウキビ、その他様々な農作物をヨーロッパやアメリカ大陸に輸出し、利益を上げた。

・1778年、ポルトガルとスペイン王朝がエルパルド条約に署名。これにより、現在の赤道ギニアと周辺国はスペインの領土になった。(スペイン領赤道ギニア)

・スペイン人は奴隷貿易を拡大しようとしたが、アフリカ大陸固有の感染病に苦しみ、事業は思うように発展しなかった。

・先住民族たちは植民地下に反対し各地で反乱を起こしたが、スペイン軍(以前はポルトガル軍)にねじ伏せられた。

1800年代

・1800年代初頭、スペインは赤道ギニアの沿岸エリアなどを拠点とする大西洋奴隷貿易を確立した。

・フランス軍はスペインの領土に何度も侵攻し、大規模農園などの開発の進むエリアを少しずつ奪取した。

・1817年、スペイン王朝が奴隷制の廃止を決定。

・1841年、スペイン王朝は赤道ギニアを含むアフリカの植民地をイギリスに売却しようとしたが、世論と議会の反発を受け、提案を取り消した。

・1844年、イギリス議会は赤道ギニアおよびビオコ島を含む島々をスペインの領土と公式に認めた。しかし、スペインは領土の開発に投資せず、農園やその他の施設はなかなか発展しなかった。

・1862年、ビオコ島で黄熱病が流行し、定住していたヨーロッパ人の大半が死亡した。しかし、生き残った一部の関係者と先住民族は農園の開発を続け、赤道ギニアは少しずつ発展した。

・1870年代、自治政府は比較的気候の安定している高地に農園を整備するよう推奨し、標高3,011mのピコバジーレ(火山)の麓の開発を促進した。これらの政策により、内陸部の熱帯雨林はほとんど手つかずのまま残された。

赤道ギニア共和国/熱帯雨林

1900年~第一次世界大戦

・赤道ギニアは第一次世界大戦に関与していない。

・1900年、フランスとスペインがパリ条約に合意。これにより、スペインはアフリカ大陸の多くの領土を失い、交渉チームの責任者は翌年自殺した。

・1904年、スペイン議会が赤道ギニアの土地の取り扱いに関する規制を改訂。多くのスペイン人労働者が赤道ギニアに移住し、農園開発に投資した。

・1910年、スペインの植民地支配に反対するブビ族の少数派による反乱が発生。自治政府はこれを鎮圧した。

・1914年、自治政府とリベリアが労働者の受け入れに関する協定に合意。これにより、多くのリベリア人労働者が赤道ギニアに移住し、農園を所有する裕福なスペイン人のために働いた。

・当時、赤道ギニアの経済成長を妨げていた主要因は慢性的な労働力不足だった。

・ビオコ島の内陸部に押し込まれた先住民のブビ族はアルコール依存症、性病、天然痘、睡眠病などの流行で大打撃を受けていた。自治政府は土地の全てを知り尽くすブビ族の力を必要としたが、支援は得られなかった。

・1917年、ブビ族の少数派による反乱が発生。自治政府はこれを厳しく取り締まり、首謀者を処刑したうえで、ブビ族の武装を解除した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・赤道ギニアは第二次世界大戦に関与していない。

・1926年、スペイン議会がビオコ島と都市リオニムをスペイン領赤道ギニアに正式に統合。

・1927年~1930年、カカオとコーヒーの輸出額は順調に増加し、自治政府は沿岸エリアの都市開発を促進した。当時の労働者は主にリベリア、ナイジェリア、カメルーンから移住した移民契約労働者だった。

・1930年、リベリアが1914年に締結した労働者受け入れ協定の停止を発表。スペインは強く反対した。

・1936年7月、スペイン内戦勃発。(政府vsナショナリスト軍)

・1936年9月、赤道ギニアのナショナリスト軍はスペイン共和国政府の支援を受ける都市リオニムを占領した。

・1936年11月、赤道ギニアの自治政府軍は敗亡し、ナショナリスト軍が全土を支配した

・1936年12月、スペインのフランシスコ・フランコ大元帥は赤道ギニアを奪取したナショナリスト軍の司令官、フアン・フォンタン・ロベを軍事自治政府の総督に任命した。

・1939年4月、スペイン内戦終結。ナショナリスト軍が勝利し、スペイン第二共和政は終了した。

・一連の内戦で赤道ギニアの市民の多くが隣国に逃亡したため、カカオとコーヒー農園は慢性的な労働力不足に苦しめられた。

終戦~現在

・1950年代初頭、赤道ギニアはアフリカで最も生産性の高い農業地帯になった。

・1959年、ポルトガル政府の働きかけにより、スペイン政府は赤道ギニアの地位を「植民地」から「州」に引き上げた。

・1965年、赤道ギニアの一人あたりのGDPはアフリカで最も高くなり、識字率は90%を超えた。その後も発展は続き、自治政府は初の国際空港を整備し、病院の建設を加速させた。

・1966年、国連委員会が赤道ギニアを視察。スペイン政府は国連と安保理から植民地の独立を認めるよう圧力を受けた。

・1967年、赤道ギニアの一人あたりの病床数がスペインを追い抜く。

・1967年10月27日、スペイン議会が赤道ギニアの独立に向けた憲法制定会議を開くと発表。会議には赤道ギニアの代表41人も出席した。

・1968年3月、スペイン議会が赤道ギニアの独立を認めると宣言。憲法制定会議は新しい選挙法と憲法草案を作成した。

・1968年7月、ブビ族の指導者がニューヨークの国連本部で独立の必要性を訴える演説を行う。

・1968年8月11日、初の国民投票。国連オブザーバーの監視の元、63%が独立と新憲法を支持した。

・1968年9月、初の大統領選挙。フランシスコ・マシアス・ヌゲマが初代大統領に就任した。

・1968年10月12日、「赤道ギニア共和国」が独立を宣言。

・1968年12月24日、マシアス・ヌゲマ大統領の指示により、政府に批判的な検察官や野党関係者150人がクーデターを企てた罪で処刑される。

・マシアス・ヌゲマ大統領はマルクス主義に反対する野党勢力や支持者を徹底的に弾圧した。

・1970年7月、マシアス・ヌゲマ大統領は野党の活動を禁じ、一党独裁体制を確立した。

・1972年、中国、ソビエト、キューバとの関係を強化。マシアス・ヌゲマ大統領はソビエトと貿易協定および海運条約を締結し、中国とはさらに密接な関係を構築した。

・スペインと西側諸国は赤道ギニアの共産主義化を非難した。

・1974年、世界教会協議会が赤道ギニアの独裁政治に関する報告書を発表。協議会は1968年以来、全人口の約4分の1が海外に逃亡し、推定8万人が処刑されたと報告した。また、少数民族ブビ族の大量虐殺も報告で明らかになった。

・1979年8月3日、軍事クーデター発生。テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴ率いる軍が政権を奪取し、叔父のマシアス・ヌゲマ大統領を拘束した。

・1979年8月3日、オビアン・ンゲマが大統領に就任。

・1979年9月29日、マシアス・ヌゲマ元大統領が銃殺刑に処される。

・1995年、アメリカの石油会社、モービル(現在のエクソンモービル)が赤道ギニアで油田を発見。政府はモービルの開発に投資し、利益を上げた。

・2004年、軍事クーデター未遂事件発生。ヨーロッパと南アフリカの支援を受ける傭兵によるオビアン・ンゲマ大統領拘束作戦は失敗した。伝えられるところによると、欧州はクーデターに3億~25億円を投資したという。

・2006年、オビアン・ンゲマ大統領の個人資産が6億ドル(650億円)を超える。(フォーブス紙の見積もり)

・2006年、拷問禁止令を発効。しかし、人権団体の報告によると、刑務所では囚人の拷問や処刑が続いているという。

・2021年3月7日、都市バータの軍事基地で大規模な爆発が発生。市民100人以上が死亡し、少なくとも600人が負傷した。オビアン・ンゲマ大統領はスペインとアメリカに支援を求めている。

・赤道ギニアは石油の輸出で大きく発展するはずだったが、利益はオビアン・ンゲマ大統領とその家族、一部の政府高官だけを潤した。その結果、赤道ギニアはアフリカで最も開発指数の低い国になった。

・現在、赤道ギニアの子供の約20%が5歳未満で死亡し、人口の50%以上が清潔な飲料水にアクセスできず、成人の約75%が貧困ライン以下の生活を呼びなくされている。

赤道ギニア共和国/首都マラボ

文化(目次に戻る

・スペインの伝統と習慣の影響を強く受けている。

・先住民族の文化は文書化されておらず、分からないことが多い。

・赤道ギニア発のポピュラー音楽はない。

赤道ギニア共和国/子供たち

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、クリケット、水泳、陸上。

・2008年のアフリカ女子サッカー選手権大会で悲願の初優勝を果たした。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

【有名スポーツ選手】

・エリック・ムサンバニ(Eric Moussambani)水泳選手。2000年シドニー五輪の100m自由形で史上最も遅い記録をマークした。しかし、最後まで諦めずに泳ぎ切った姿が感動と反響を呼び、国際的な名誉を獲得した。

その他(目次に戻る

・現職のオビアン・ンゲマ大統領は1979年の軍事クーデターで政権を奪取して以来、独裁体制を維持している。

独立後、赤道ギニアはアフリカでもっとも開発の遅れている国のひとつになった

赤道ギニア共和国/キリン
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