エクアドル共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:エクアドル共和国(Republic of Ecuador)

首都:キト(Quito)

人口:16,904,867人(2021年推定)

面積:283,560㎢(本州の1.5倍)

気候:熱帯気候
・熱帯気候だが高温多湿のエリアは東部と沿岸北部の一部のみ。
・沿岸最北部はマングローブエリアで年中雨が降っている。年間降雨量は2,500mm以上。
・東部のアマゾンエリアは特に雨が多く、年間3,000mmを超えることも珍しくない。
・アンデス山脈の東、国の中央エリアの年間降雨量は4,000mm以上。
・赤道以北の乾期は7月~11月、以南は5月~12月。

・気温は地域のよって大きく異なるため、羽織れるものを準備しておくこと。
・首都キトは海抜2,850m地点に位置し、かなり涼しい。
・首都キトの気温は1年を通して安定している。(最低:0~10℃、最高:19~21℃)
・アンデス山脈の高地の都市は首都キトより乾燥し、寒い。
・観光におすすめの時期は比較的雨の少ない7月~8月。
・世界で最も多くの生物が暮らしている国のひとつ。
・ガラパゴス諸島には38種の固有種、16,000種以上の植物、106種の固有の爬虫類、138種の固有の両生類、および推定6,000種の蝶が生息している。

経済:
・開発途上国
GDPは966億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはアメリカ(31%)、ベトナム(8%)、チリ(7%)
・主要輸入パートナーはアメリカ(19%)、中国(19%)、コロンビア(8%)
・主要輸出品は石油、バナナ、切り花、エビ、カカオ、コーヒーなど。

・バナナの輸出量世界一。
・輸出収入の3分の1以上を石油が占めている。
・2020年のGDPはコロナウイルスの影響で7.4%縮小した。
・貧富の差の拡大が社会問題になっている。
・貧困ライン以下の生活を送っている市民は人口の約25%。

人種:
・メスティーソ71.9%(CIAワールドファクトブック推定)
・モントゥビオ7.4%
・アフリカ系7.2%
・先住民族7%
・白人6.1%
・その他0.4%

言語:
・スペイン語(公用語)
・ケチュア語
・その他の先住民族の言語

宗教:
・ローマカトリック 95%(CIAワールドファクトブック推定)
・プロテスタント 4%
・ユダヤ教 0.1%
・東方正教会 0.2%
・仏教 0.1%
・イスラム教 0.001%
・その他

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大統領:レニン・モレノ(Lenín Moreno)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は4年、1回再選可能。
・一院制、議員定数は137人、任期は4年。
・女性議員の比率は約50%。
・近年の主要政党は主に中道右派と中道左派。ポピュリスト党の支持率は低下傾向にある。
・政治家の汚職に厳しい。

法律:エクアドル共和国の憲法
・司法の独立を保障している。
・2008年の憲法改正で憲法裁判所を創設した。
・犯罪者に厳しく、刑務所での拷問が常態化していると噂されている。
・気候問題などの抗議活動は場合によっては起訴され、懲役刑を科される可能性がある。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年5月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年5月時点)

治安:悪い
・近年、自爆テロなどの無差別殺人は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府勢力の活動は報告されていない。
・強盗殺人、殺人、誘拐、強姦、レイプなどの凶悪事件が頻繁に発生している。
・麻薬密売組織の活動エリア(主に北部国境付近)は危険地帯なので近づかないこと。
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・北部国境付近ではコロンビアの反政府ゲリラ組織が活動しており、危険。
・銃火器が市場に大量に出回っているため、誰が銃を持っているか分からない。
・高級腕時計や貴金属類は身につけないこと。
・パスポートやキャッシュカードは極力持ち歩かず、安全な場所に保管したい。
・現地の最新情報を入手し、危ないと伝えられている場所には近づかない。

エクアドル共和国/ガラパゴス諸島のゾウガメ

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は6社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は6局。
・民間ラジオ局は6局。
・報道と言論の自由を保障しているが、政府に批判的なジャーナリストは暴力と脅迫に直面する可能性がある。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネット普及率は80~85%。
・政府は一部のオンラインコンテンツを検閲している。
・2013年の法改正で当局はメディアに制裁を科すことができるようになった。

【国営メディア/設立年】
・エクアドルテレビ 2007年

【民間メディア】
・TCテレビ
・エクアビサ
・RTS
・Gamavision
・Teleamazonas
・テレラマ

エクアドル共和国/首都キト

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2021年軍事力ランキング:69位

・軍人数:160,500人(推定)
  即戦力 40,000人
  予備兵 120,000人
  準軍組織 500人

・陸海空軍を保有。

・国防予算:24億ドル(推定)

歴史(目次に戻る

1700年代

・1700年代、現在のエクアドル共和国と周辺地域はスペイン王国の支配下に置かれていた。

・1720年代、沿岸地域の経済は海運と貿易を中心に発展し、最大都市グアヤキルは黄熱病やマラリアに絶え間なく悩まされていたにもかかわらず、スペインに大きな利益をもたらした。

・1730年代、グアヤキルはラテンアメリカの西海岸で最大の貿易センターに成長し、多くのアフリカ人奴隷を運び込む拠点になった。

・1750年代、エクアドルの繊維生産は1690年代から50%ほど減少し、市民の生活は徐々に悪化した。

・1767年、スペインのカルロス3世がエクアドル内で活動していたイエズス会の国外追放を決定。先住民族はこの決定に強く反発した。

・1770年代、一部の先住民族とスペイン移民のエリート層も貿易の縮小で深刻な経済的苦境に陥った。

・1790年代、エクアドルの経済は1700年から推定80%縮小し、都市は荒廃し、各地で餓死する者が相次いだと伝えられている。

エクアドル共和国/アンデス山脈

1800年代

・1800年代初頭、各地で独立を訴える抗議運動、暴力、紛争が発生し始める。

・1808年、フランスのナポレオン王の兄弟、ジョセフ・ボナパルトがスペインの新国王に就任。フランスによる王位の奪取に不満を抱いたスペイン人は、スペイン国内とエクアドルなどの植民地で軍事組織を設立し、キトの主要な独立推進グループも対フランス自警団を創設した。

・1809年8月、エクアドルの独立推進グループはボナパルト国王に従う自治政府を打倒し、権力を掌握した。

・1810年、エクアドルに帰還したスペイン王国軍はフランスから権力を奪取した独立推進グループを反乱軍と見なし、厳しく取り締まった。伝えられるところによると、スペイン軍は独立推進グループを拘束する中で多くの罪のない市民を虐待したという。

・1811年12月、キトの独立推進グループは議会を創設したうえでスペインから独立すると宣言し、2か月後に新憲法を公布した。

・1812年1月、自称エクアドル政府は南部のペルー王朝に対する侵略戦争を開始した。

・1812年12月、自称エクアドル政府はペルー王朝の軍隊に打ち負かされ、撤退した。

・1820年10月9日、港湾都市グアヤキルの反政府勢力が現地の駐屯軍を打倒し、スペインからの独立を宣言。指導者たちはベネズエラ、エクアドル、ペルーの武闘派独立推進グループと知識人による新内閣を設立し、都市を守る目的で軍隊を編成したうえで、全国の団体やグループに独立戦争を開始するよう促した。

・グアヤキルの独立宣言は他の都市に急速に広まり、いくつかの都市で戦闘が発生した。その後、都市ポルトビエホは1820年10月18日、南部経済の中心地クエンカは1820年11月3日に独立を宣言し、キトの独立推進グループも行動を開始した。

・1820年11月7日、エクアドル独立戦争勃発。(エクアドル愛国者軍vsスペイン・ペルー王朝連合軍)

1820年12月20日、スペイン軍が愛国者軍から都市クエンカを奪取。

1821年9月12日、フアチ地方で大規模な戦闘が発生。スペイン軍は大敗を喫し、戦闘に参加した兵の大半を失った。

・1821年11月19日、両軍は都市ババオヨで90日間の休戦協定に合意した。

・1822年5月、エクアドル独立戦争終結、愛国者軍が勝利し、エクアドルは大コロンビアのひとつになった。

・1828年~1829年、エクアドルはペルーと国境をめぐる武力闘争に直面し、港湾都市グアヤキルはほぼ壊滅した。

・1829年後半、大コロンビアがエクアドルとペルーの国境を強制修正し、両国はそれに合意した。

・1830年5月13日、「エクアドル共和国」が大コロンビアからの独立を宣言。

・1830年8月、制憲議会がエクアドルの憲法を公布。

・1832年、カウカ州の奪取を目指すエクアドル軍がコロンビアに侵攻。しかし、侵略戦争は失敗に終わり、エクアドル軍は何も得られず、負債だけが残った。

・1840年2月16日、スペイン王朝がエクアドルの独立を承認。

・1845年、共和国の創設者のひとり、フアンホ・セフローレス大統領(元将軍)に対する全国規模の暴動が発生し、セフローレス大統領は海外に逃亡した。

・1845年4月、政権を奪取した反政府勢力は軍事政権を創設し、クーデターに反対する国軍と戦った。

・1851年、軍事クーデター発生。ホセ・マリア・ウルビーナ将軍率いる反政府勢力は軍事政権を打倒した。

・1850年代後半、エクアドルは無政府状態に陥り、混沌としていた。軍事クーデターで政権を奪取したウルビーナ将軍は大統領に就任したが、国をまとめることはできなかった。

・1857年、エクアドル・ペルー戦争勃発。エクアドルはペルーからアマゾン流域の領土を奪うために戦った。

・1860年、エクアドル・ペルー戦争終結。エクアドルはペルーに敗れ、領土の奪取に失敗した。

・1869年、ガブリエル・ガルシア・モレノが大統領に就任。

・モレノ大統領はエクアドルの保守主義の第一人者であり、リベラル派の激しい抵抗に直面した。

・1869年末、モレノ大統領暗殺未遂事件発生。容疑者は過激な左翼組織の構成員だった。

・1870年代、エクアドルの貿易輸出額は50年代の10倍以上に増加し、最も重要な輸出品であるカカオの生産量は、同期間中に650万kgからから1,800万kgに急成長した。

・1875年8月6日、左翼組織の構成員数人がモレノ大統領の暗殺に成功した。

・1895年、自由党のエロイ・アルファロが大統領に就任。保守主義から政権を奪取することにようやく成功した。

1900年~第一次世界大戦

・エクアドルは第一次世界大戦に関与していない。

・リベラルなアルファロ大統領は主に沿岸地域の低所得層を支援した。また、港湾都市グアヤキルとキトを結ぶ鉄道の建設、新たな教会、多くの公立学校を設立し、高く評価された。

・1900年代後半、アルファロ大統領は上流と中産階級のエリートで構成される自由党の保守派の抵抗に直面したが、リベラルな政策を貫いた。

・1912年8月、大統領選挙。自由党のレオニダス・プラザが大統領に就任した。

・リベラル政策を継承したプラザ大統領はインフラの開発と貿易の強化に予算を投入した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・エクアドルは第二次世界大戦に関与していない。

・1924年7月、エクアドルとペルーがポンセ・カストロ・オヤンウレン議定書に調印。両国はアメリカの指示に従い、アマゾンの領土問題とそれに伴う紛争を公正に解決することに合意した。

・1925年7月、軍事クーデター発生。リベラル派から政権を奪取した保守的な若手将校連盟は社会改革、経済衰退への対処、通貨を分配する中央銀行の設立、新しい予算システムなどを構築した。

1935年9月、エクアドルとペルーの当局者はワシントンD.C.で領土問題の交渉を開始した。

・1936年7月6日、エクアドルとペルーがウロア・ビテリ協定に合意。当時、両国が保有していたアマゾン地域の境界線が確立したが、エクアドルは協定を最終条約とは見なさなかった。

・1937年9月、エクアドルとペルーの交渉は破綻し、アマゾンの領土問題とそれに関連する衝突は一層激しくなった。

・1941年7月5日、エクアドル・ペルー戦争勃発。(エクアドルvsペルー)

・1942年1月29日、エクアドルとペルーはリオ議定書に署名させられ、ペルー軍はエクアドル国内から撤退した。

・1942年1月31日、エクアドル・ペルー戦争終結、ペルーの戦略的勝利。当時、エクアドル政府は内部の政治問題に没頭しており、戦争を戦い抜く力はなかった。

<エクアドル・ペルー戦争>
・両軍参加者:30,000~35,000人(推定)
・両軍負傷者:500~1,000人(推定)
・両軍死亡者:800~1,500人(推定)

・1944年5月、軍と民間組織のよる大規模なストライキが発生し、ペルーとの戦争に敗れたカルロス・アルベルト・アロヨ・デル・リオ大統領は追放された。

エクアドル共和国/ガラパゴス諸島

終戦~現在

・1945年12月、国連に加盟。

・1948年8月、大統領選挙。ガロ・プラザが大統領に就任した。

・プラザ大統領は以前の大統領とは異なり、民主主義の原則と実践をコミットした。

・1950年代、バナナブームの影響でエクアドルの経済と政治は比較的安定した。

・1952年、大統領選挙、ホセ・マリア・ベラスコ・イバラが3度目の大統領に選出された。

・1953年、エクアドルがリオ議定書から撤退し、ブラジルとアメリカが示したアマゾンの所有権に強く反対した。

・1960年9月29日、エクアドルのホセ・マリア・ベラスコ・イバラ大統領はリオ議定書を無効と宣言。しかし、キューバを除く中南米諸国はエクアドルの宣言を承認せず、アメリカは抗議の手紙を送った。

・1963年、軍事クーデター発生。軍は「カルロス・フリオ・アローズメナ・モンロイ大統領は共産主義者」と非難し、打倒した。エクアドルで活動した元CIAエージェントのフィリップ・エイジーによると、アメリカはキューバとの決別を拒否したモンロイ政権の打倒するために、エクアドル軍を支援したという。

・1964年7月、軍事政権は農地改革法で農民の生活を改善しようとしたが、法律はうまく機能しなかった。

・1965年、軍事政権はバナナの輸出収入の劇的な減少と経済危機に直面した。この時、アメリカ政府と米州開発銀行はエクアドルに寛大な援助を提供したが、軍事政権はこれを活かすことができなかった。

・1966年3月29日、キトの大学で軍事政権に抗議する暴力的な抗争が発生。その後、軍事政権の指導者はショックを受け、辞任した。

・1966年3月30日、無党派のバナナ生産者、クレメンテ・イェロヴィ・インダブルが暫定大統領に就任。

・1966年10月、大統領選挙。無党派のオットー・アロセメナ・ゴメスが大統領に就任した。

・1967年5月、新憲法公布。

・1968年6月、大統領選挙。ホセ・マリア・ベラスコ・イバラが5度目の大統領に選出された。

・1970年6月22日、ベラスコ大統領は議会と最高裁判所を解散し、全権力を自分に集結させた。

・1972年2月15日、軍事クーデター発生。ベラスコ大統領は追放され、陸軍参謀総長率いる3人の将軍が権力を奪取し、ギレルモ・ロドリゲスが大統領に就任した。

・1973年、石油輸出国機構(OPEC)に加盟。

・1976年1月11日、軍事クーデター発生。ギレルモ・ロドリゲス大統領は追放され、アルフレド・ポベダ(海軍)、ルイス・レオロ(空軍)、ギジェルモ・ドゥラン(陸軍)で構成される最高政府評議会が創設された。

・1978年1月、憲法改正国民投票。社会経済的発展における国家の役割の承認、経済における労働者の管理部門の合法化、一院制の採用、選挙権などが制定された。

・1979年、大統領選挙。ハイメ・ロルドス・アギレラが大統領に就任し、軍事政権は解散した。

・1981年1月22日、コンドル山脈の国境付近でエクアドルとペルー軍が衝突。戦闘は約2週間ほどで終結したが、両国の関係は緊張した。

・1981年5月24日、ロルドス大統領、ファーストレディ、国防相が飛行機事故で死亡。オスバルド・ウルタドが暫定大統領に就任した。

・1982年~1983年、エルニーニョの影響で深刻な干ばつと洪水が発生し、エクアドルの土地と経済は大打撃を受けた。アナリストによると、インフラストラクチャーへの損害は推定700億円、国際収支損失は推定400億円ほどだったという。結果、1983年のGDPは3.3%縮小した。

・1987年3月5日、M7.1の巨大地震が発生。死亡者は推定1,000人、行方不明者は推定4,000人、10万~15万人が国内避難民になり、エクアドル経済に深刻な打撃を与えた。(経済損失は推定1,200億円)

・1995年1月26日、セネパ戦争勃発。(エクアドルvsペルー)

・1995年2月28日、セネパ戦争終結。両国はコンドル山脈の国境付近から撤退することに合意した。

・1995年3月28日、エクアドルとペルーが停戦協定に署名。

・1998年10月26日、アルゼンチン、ブラジル、チリ、アメリカの調停チームの支援を受け、エクアドルとペルーが和平協定「ブラジリア大統領法」に署名。

・1999年5月13日、エクアドルとペルーの国境が確立。

・1999年6月17日、多国籍軍MOMEPの部隊がコンドル山脈とアマゾン流域の紛争地帯から撤退。

・2000年1月21日、軍事クーデター未遂事件発生。

・2002年、大統領選挙。元陸軍大佐のルシオ・グティエレスが大統領に就任した。

・2004年12月、グティエレス大統領は最高裁判所の判事を突然更迭し、政府寄りの新しい判事を任命した。

・2005年4月、エクアドル軍と市民はグティエレス大統領の独裁を厳しく非難し、全国で抗議運動を展開した。その後、数週間に渡る激しい抗議運動とストライキの結果、グティエレス大統領は辞任した。

・2007年1月15日、大統領に週にした社会民主党のラファエル・コレアは制憲議会を召喚し、貧困に焦点を当てると約束した。

・2008年、制憲議会が新憲法を公布。

・2006年~2016年、エクアドルの貧困率は人口あたり36.7%から22.5%に減少し、一人当たりのGDP成長率は年プラス1.5%を記録した。

・コレア大統領は社会福祉プログラムに投資し、貧困率を低下させ、エクアドルの平均的な生活水準を大きく向上させると同時に、経済を成長させた。

・2015年、コレア大統領は緊縮政策と相続税の引き上げを導入し、全国的な非難に直面した。

・2017年、大統領選挙。レニン・モレノが大統領に就任。

・2018年、モレノ大統領は憲法改正国民投票を主導し、大統領任期の制限(無制限→1回)を復活させた。

・2018年10月、モレノ大統領はベネズエラのニコラス・マドゥロ政権との外交関係を断ち切った。

・2019年3月、南米諸島連合から脱退。

・2019年6月、モレノ大統領はガラパゴス諸島への米軍機の運航を許可した。

・2021年4月、大統領選挙。保守的な元銀行家のギジェル・モラッソが亡命した元大統領のラファエル・コレアに支持された左翼経済学者のアンドレス・アラウスを破った。

文化(目次に戻る

・キリスト教とスペインの影響を強く受けている。

・沿岸部エリアと高地エリアの文化には大きな違いがあり、差別や暴力の原因になっている。

・各地域の文化は地理的条件に基づいて構築されており、各地域間の軋轢を生みだした。地域主義はエクアドルの経済と治安に深刻な影響を与えている。

・料理は地域によって大きく異なる。

・主食は米と豆類。主菜は肉と魚介類全般、バナナ、とうもろこし、玉ねぎなど。

エクアドル共和国/カーニバル

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、野球、バレーボール、バスケットボール、テニス。

・サッカー代表チームは2002年、2006年、2014年のFIFAワールドカップで決勝トーナメントに進出した。

・いくつかの沿岸地域はサーフィンセンターとして機能しており、1年を通して多くのサーファーで賑わっている。

・オリンピックでのメダル獲得数は2個。(金:1個、銀:1個)

・2018年の平昌五輪で冬季オリンピックに初出場した。

・アンデス山脈の麓の街ではウィンタースポーツが盛ん。

【有名スポーツ選手】

・ジェファーソン・ペレス(Jefferson Pérez)競歩選手。エクアドルで唯一のオリンピックメダリスト。

その他(目次に戻る

・ガラパゴス諸島には38種の固有種、16,000種以上の植物、106種の固有の爬虫類、138種の固有の両生類、および推定6,000種の蝶が生息している。

・2021年5月24日にギジェル・モラッソが新大統領に就任する。

エクアドル共和国/沿岸地域の市場

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