キューバ共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

キューバ共和国/ペイントアート

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国名:キューバ共和国(Republic of Cuba)

首都:ハバナ(Havana)

人口:11,059,062人(2021年推定)

面積:110,860㎢(北海道の1.3倍)

気候:熱帯気候
・乾期は11月~4月。
・雨季は5月~10月。
・気温は1年を通して安定している。
・1月の平均気温は22~24℃。
・7月の平均気温は26~28℃。
・ハリケーンの影響を受けやすい。

経済:
・開発途上国
GDPは105億ドル(2019年推定)
・社会主義国家。政府がほとんどの産業を所有および運営している。
・2019年の憲法改正で私有財産と自由市場の権利が拡大された。
・投資は制限されており、政府の承認が必要。
・公的部門で働いている人は全体の75%。
・民間(主に自営業)で働いている人は全体の25%。
・ソビエト連邦の崩壊と以降の不況でGDPは大きく縮小したが、観光業の継続的な成長などの影響で1999年にプラス成長に転じた。
・2004年以降のGDP累積成長率はプラス43%。

人種:
・白人 65%(2010年推定)
・メスティーソ 25%
・黒人 10%

言語:
・スペイン語(公用語)
・ルクミ語
・ハイチクレオール語
・ガリシア語
・コルシカ語

宗教:
・クリスチャン 59.2%(2010年推定)
・フォーク・カトリシズム 17.4%
・その他 4%
・無宗教 23%

キューバ共和国

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第一書記:ラウル・カストロ(Raúl Castro)
大統領:ミゲル・ディアス=カネル(Miguel Díaz-Canel)
首相:マヌエル・マレロ(Manuel Marrero Cruz)

政治体制:マルクス・レーニン主義社会主義国
・最高指導者は共産党第一書記。
・一院制の一党体制。
・最高意思決定機関は人民権力全国会議。
ラウル・カストロ第一書記は故フィデル・カストロの弟
・大統領と首相の権限は限られている。
・選挙権は16歳以上のキューバ市民に与えられる。
・海外在住のキューバ市民に選挙権はない。

法律:キューバ共和国の憲法
・いかなる政党も候補者を指名したり選挙運動を行うことはできない。(共産党も)
・言論の自由と集会を行う権利を保障している。
・性別、人種、民族、出身、性的指向、性同一性または障害に基づく差別を禁止している。
・2019年の憲法改正で大統領、首相、議会議長および大臣の地位を一定レベルまで回復させた。

2002年9月9日 Sven Creutzmann/Mambo Photography/Getty Images/キューバ、首都ハバナ、フィデル・カストロ議長(当時)

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年3月時点)

治安:普通
・近年テロ事件は発生していない。
・社会主義体制を維持している。
・国内の犯罪発生数などの情報は公開されておらず、治安の実態を確認することは困難。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・置き引きやスリに注意。
・反政府組織はほとんど確認されていない。
・スラム街は麻薬を取り扱っているギャングや武装集団のたまり場になっている可能性が高いため、近づかないこと。

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・新聞社は数十社。全て国営。
・国営テレビ局は州の管理も含めると数十局。
・民間テレビ局はない。
・ラジオ局は数十局。全て国営。
報道と言論の自由を保障しているが、政府を批判するジャーナリストは最高3年の懲役刑を科される
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネット普及率は高い。
・検閲は厳しく、政府に否定的な意見はねじ伏せられる。
・メディアの私的所有は禁止。

【国営メディア/設立年】
・キューバビジョンインターナショナル 1986年
・Canal Educativo 2002年
・その他多数

【民間メディア】
なし

キューバ共和国/首都ハバナの市場

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2021年軍事力ランキング:76位

・軍人数:1,236,000人(推定)
  即戦力 50,000人
  予備兵 40,000人
  準軍組織 1,146,000人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:1.2億ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、キューバはスペインの植民地下に置かれていた。

・キューバはゆっくりと発展し、他のカリブ海の島とは異なる多様な農業文化を構築した

・1741年、イギリス海軍がキューバ南部のグアンタナモ湾に侵攻。スペイン軍はこれを迎え撃った。

・1762年、イギリス海軍がハバナを包囲。不意を突かれたスペインは領土の一部を明け渡すことになった。

・1763年、イギリス、スペイン、フランスがパリ条約に署名。スペインは米フロリダ州をイギリスに提供し、代わりにキューバを取り戻した。(七年戦争終結)

・キューバで働く奴隷たちはハイチで革命が起きたことを知り、奴隷でも力を合わせればヨーロッパの強国から独立を勝ち取ることができると知った。

・奴隷たちは支配者にストライキなどの圧力をかけることで一定の賃金を獲得し、農業の発展に貢献した。

1800年代

・1790年代から1820年代の間に約33万人の奴隷がアフリカからキューバに輸入されたと伝えられている。

・1812年、奴隷たちがスペイン自治政府に対する反乱を起こす。一連の闘争は数カ月続いたが、鎮圧された。(アポンテ奴隷反乱)

・1826年、独立を求める最初の大規模な武装蜂起が発生。スペイン軍はこれを鎮圧し、リーダーのフランシスコ・デ・アグエロとアンドレス・マヌエル・サンチェスを処刑した。

・1830年代、独立を求める抗議が各地で発生し、指導者のホセ・アントニオ・サコが大衆を率いた。ホセはスペインの専制政治と奴隷貿易を非難し、革命を起こすと主張したが、スペイン軍はこれを厳しく取り締まり、独立は実現しなかった。

・1835年、スペインはイギリスの圧力に屈し、奴隷貿易の廃止を誓約する条約に署名した。しかし、奴隷の密輸は各地で続いた。

・1840年代、スペインは独立を求める運動を力でねじ伏せ、数百人の黒人奴隷をむち打ち拷問に処し、死ぬまで叩き続けた。この処刑は知識人や専門家の怒りを引き起こし、抗議運動はさらに過熱した。

・1868年10月10日、第一次キューバ独立戦争勃発。(キューバの反政府勢力vsスペイン軍)

・キューバの反政府勢力は根本的な社会経済改革、奴隷制の廃止、そして完全な独立を求め、戦った。

・1878年5月28日、第一次キューバ独立戦争終結、スペインの勝利。和平協定に基づき臨時政府が設立された。

<第一次キューバ独立戦争>
両軍参加者:50万人~60万人(推定)
両軍負傷者:10万人以上
両軍死亡者:15万人~20万人(推定)
民間人死者:10万人(推定)

・1886年、奴隷制廃止。

・1895年2月24日、キューバ独立戦争勃発。(キューバの反政府勢力vsスペイン軍)

・1898年2月15日、キューバ独立戦争終結、アメリカが仲裁に入り、和平協定が結ばれた。

・1898年8月12日、アメリカとスペインがキューバの完全な独立を認める議定書に署名。

・1898年12月10日、アメリカとスペインがパリ条約に署名。スペインはキューバをアメリカに移管した。なお、キューバも独立に向けた協議に参加しようとしたが、アメリカは許可しなかった。

キューバ共和国/ビーチ

1900年~第一次世界大戦

・1902年5月20日、「キューバ共和国」がアメリカから独立。トマス・エストラーダ・パルマが初代大統領に就任した。

・アメリカは新憲法の下でキューバの問題に介入できる権利(主に財政と対外関係)を保持した。

・1900年~1905年、アメリカの企業がキューバの経済を牽引し、国土の10%を所有するまでに成長した。当時、米企業は鉱石輸出の80%を管理し、国内の砂糖工場とタバコ工場をほぼ全て所有していた。

・1903年、米キューバ互恵条約締結。アメリカはキューバの砂糖にかかる関税を20%引き下げた。これにより、キューバの砂糖はアメリカに大量輸入された。

・1906年9月、軍事クーデター発生。パルマ政権は崩壊した。

・1906年9月28日、アメリカ軍がキューバに侵攻。退役軍人で構成された反政府勢力を抑え込み、軍事政権の樹立を阻止した。

・1906年9月29日、ウィリアム・ハワード・タフトがキューバの臨時政府知事に就任。

・1906年10月23日、米ルーズベルト大統領がタフト臨時政府知事の就任を公式に承認。

・1909年1月、大統領選挙。アメリカの監視の下で民主的な選挙が行われ、ホセ・ミゲル・ゴメスが大統領に就任した。

・1909年2月6日、アメリカ軍撤退。

・1913年5月、大統領選挙。マリオ・ガルシア・メノカルが勝利した。

・1917年4月7日、ドイツに宣戦布告、第一次世界大戦に介入した。キューバの兵士がヨーロッパに派遣されることはなかったが、国内の基地はドイツの攻撃から西インド諸島を守るうえで非常に重要な役割を果たした。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年、大統領選挙。アルフレド・サヤスが勝利した。

・1925年、大統領選挙。ヘラルド・マチャドが新大統領に就任した。マチャド大統領は高速道路などの大規模な土木工事を推進し、インフラを強化した。

・マチャド大統領はアメリカのホテルやレストランを各地に誘致し、観光業を大きく発展させ、観光ブームはギャンブルと売春の増加につながった。

・1928年、大統領選挙。キューバの憲法は大統領の再選を認めていないが、マチャド大統領は憲法を改正したと主張し、再選を果たした。

・1929年、世界恐慌の影響で砂糖の価格が暴落し観光ブームも勢いを失った。

・1931年、マチャド大統領が政府に批判的な新聞社に閉鎖を命じる大統領令に署名。反抗的なジャーナリストを逮捕した。

・1933年5月、米国大使がマチャド大統領に辞任を求め、野党グループとの交渉を開始。

・1933年8月、マチャド大統領がアメリカに亡命。アメリカが臨時政府の樹立を宣言した

・1933年9月、臨時政府がラモン・グラウを大統領に指名。

・1933年9月、グラウ大統領はハバナ大学に自治権を与え、女性に参政権を与え、8時間労働制を布告するなど様々な規則を発表した。

・1933年10月、グラウ大統領は全産業の労働者の50%をキューバの市民で構築する新たな法律を可決した。

・1934年1月、グラウ大統領の政策に反対する右派勢力が無血クーデターを決行。アメリカもこの運動を支援し、グラウ政権は崩壊した。

・1934年~1940年、政府は脆弱な政治構造に直面し、大統領をコロコロ変えた。

・1940年、大統領選挙。フルヘンシオ・バティスタが大統領に就任した。バティスタ大統領はアメリカから財政および軍事支援を受け、ストライキ権などの労働者の権利をことごとく取り消した。その結果、アメリカの企業はキューバの砂糖産業をほぼ手中に収め、国土の70%を所有することに成功した。

・アメリカ政府は首都ハバナで麻薬、ギャンブル、売春ビジネスを確立し、アメリカを拠点とする大規模な多国籍企業と有利な契約を結んだ。

・1944年、大統領選挙。ラモン・グラウ・サンマルティンが勝利した。

終戦~現在

・1952年3月10日、軍事クーデター発生。フルヘンシオ・バティスタ元大統領率いる反政府組織が政権を奪取し、カルロス・プリオ・ソカラス大統領は追放された。

・1952年3月27日、アメリカがバティスタ大統領と新政府を公式に承認。

・1956年12月、フィデル・カストロと約80人の支持者がバティスタ政府に対する反乱を開始。

・1958年、カストロは大衆の支持を集め、政府に対する暴動を本格化させた。

カストロとチェ・ゲバラは、バティスタ政権の打倒を目指す7月26日運動を組織した。一方、アメリカはキューバに貿易制裁を課し、バティスタ大統領に亡命するよう促した。

・1959年1月1日、バティスタ大統領がドミニカ共和国に亡命。バティスタ政権は崩壊した。これにより、チェ・ゲバラは抵抗を受けることなく首都ハバナに部隊を進めることができた。

・1959年1月8日、カストロ軍が首都ハバナを占拠。マヌエル・ウルティア・レオが暫定大統領に就任した。

・1959年2月4日、カストロは新たな公共事業プロジェクト、約20万世帯に農業を認可する農地改革、およびさまざまな産業の国有化計画を含む大規模な改革計画を発表した。

・アメリカはキューバ革命に好意的に反応し、ラテンアメリカに民主主義をもたらした運動の一部と見なした。しかし、カストロの共産主義の合法化とそれに続く前政権関係者の大量処刑執行により、両国の関係は悪化した

・1960年から1964年、アメリカはキューバに制裁を科し、最終的には両国間の貿易の停止と米国内のキューバ政府所有資産を完全凍結した。

・1960年2月、ソビエトとの通商協定に合意。

・1960年3月、米アイゼンハワー大統領がカストロ政権打倒を目指す中央情報局(CIA)の作戦を承認。

・1960年9月、国内外の状況を監視する革命防衛委員会(CDR)設立。

・1961年4月17日、CIAの支援を受けるキューバゲリラ軍がピッグス湾からキューバに上陸し、カストロ政権打倒作戦を開始。(ピッグス湾侵攻)

・1961年4月20日、ピッグス湾侵攻終結。キューバゲリラ軍は降伏し、米ジョン・F・ケネディ大統領は作戦失敗を認めたうえで全責任を負うと宣言した。この勝利でカストロとキューバ政府の支持率は急上昇した。

・カストロはソビエト第一書記ニキータ・フルシチョフに将来の侵略に備え、キューバへの核ミサイル配備を要請。フルシチョフはこの要請に同意した。

・1961年7月、7月26日運動などの組織を統合し、革命組織(IRO)を設立。

・1962年3月26日、キューバ社会主義革命連合党(PURSC)設立。

・1962年7月、フルシチョフとカストロがキューバ国内における核ミサイル発射施設の建設に合意。

・1962年10月16日、ケネディ大統領がキューバへの核ミサイル配備を確認したと通知。

・1962年10月21日、アメリカがキューバの核ミサイル基地に対する空爆またはキューバの海上封鎖の検討を開始。

・1962年10月25日、アメリカが国連安全保障理事会に緊急会議の開催を要請。

・1962年10月25日、アメリカがキューバの周辺海域を封鎖。

・1962年10月26日、カストロがフルシチョフに先制核攻撃を要請したと伝えられている。

・1962年10月27日、キューバの核ミサイルサイトが発射体制を整える。

・1962年10月28日、ケネディ大統領はフルシチョフの要求に応じ、トルコに配備したジュピターミサイルを停止した。これに対しフルシチョフはキューバに配備した核ミサイルの停止を宣言した。

・1963年9月、カストロがアルジェリアに部隊と戦車を提供。サンドウォー(砂戦争)に参戦した。

・1965年10月3日、「キューバ共産党」設立。カストロが第一書記に就任した。

・1967年10月9日、チェ・ゲバラ死去。ボリビアで革命を目指し戦っていたが、ボリビア政府軍に拘束され処刑された。

・1975年11月、カストロ議長が65,000人以上の兵士と400台のソビエト製戦車をアンゴラに投入。南アフリカ政府はキューバの介入を理由に核兵器を開発した。(キューバのアンゴラ内戦介入)

・1976年、新憲法制定。国民投票の結果、97.7%が賛成した。

・1991年9月、ソビエト軍がキューバからの撤退を開始。

・1991年12月26日、ソビエト崩壊。

・2008年2月、カストロ議長が共産党第一書記を辞任すると発表。

・2011年4月、ラウル・カストロが第一書記に就任。

・2012年7月、アメリカがキューバに対する禁輸措置を一部緩和。キューバにアメリカ製品が輸入されたのは約半世紀ぶりだった。

・2015年7月、アメリカとキューバが国交回復に合意。

・2016年11月25日、カストロ議長死去。90歳だった。

・2017年、米トランプ大統領がハバナの米大使館の閉鎖を示唆。(職員に対するマイクロ波攻撃の可能性)

1974年9月29日 AP通信/キューバ、首都ハバナ、葉巻を吸うフィデル・カストロ首相(当時)

文化(目次に戻る

・共産党は文化の発展と成長を奨励している。

・欧米のポピュラー文化を積極的に取り入れている。

・主食は米とキャッサバ。主菜は黒豆、肉全般、トマト、レタス、玉ねぎ、にんにく。

・キューバ産のコーヒーは海外で高く評価されている。

・キューバの高級葉巻コイーバは世界で最も知名度の高い葉巻。ただし、アメリカはこの輸入を禁止している。

キューバ共和国/葉巻を持つ女性

スポーツ(目次に戻る

・一番人気は野球。国技に指定されている。

・その他の人気スポーツはボクシング、バレーボール、レスリング、バスケットボール、セーリングなど。

・世界を代表するスポーツ強豪国のひとつ。

・野球、バレーボール、バスケットボールの超強豪国。

・オリンピックでのメダル獲得数は226個。(金:78個、銀:68個、銅:80個)

・冬季オリンピックに参加したことはない。

・人口100万人あたりのメダル獲得数は世界トップクラス。

・プロスポーツを禁止している。

【有名スポーツ選手】

・ダイロン・ロブレス(Dayron Robles)陸上選手。オリンピック金メダリスト。

・ロベイシ・ラミレス(Robeisy Ramírez)ボクシング選手。オリンピック金メダリスト。

・アロルディス・チャップマン(Aroldis Chapman)MLB選手、投手。キューバの火炎放射器と呼ばれている。2014年8月に記録した105.1マイル(169.1キロ)はギネス世界記録に認定された。

その他(目次に戻る

社会主義体制を確立したフィデル・カストロとチェ・ゲバラを英雄として称えている

・世界を代表するスポーツ強豪国のひとつ。人口は少ない(約1,100万人)が、優秀なスポーツ選手を多数輩出している。

キューバ共和国/首都ハバナ
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