目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:コロンビア共和国(Republic of Colombia)
首都:ボゴタ(Bogotá)
人口:49,084,841人(2021年推定)
面積:1,139,000㎢(日本の3倍)
気候:熱帯気候
・気候は地域によって異なるが、平原は1年中暑く、ジメジメしている。
・気温は地域によって異なるが、おおむね1年を通じて安定している。(最低:20~25℃、最高:28~37℃)
・年間降水量は地域によって大きく異なる。多い地域は8,000mm以上、少ない地域は300mm以下。
・砂漠エリア(ラグアヒーラ砂漠、タタコア砂漠)は乾燥しており、雨は滅多に降らない。
・サバンナエリアは1年中むし暑く、雨が多い。
・西部と南東部の密林エリアも1年中むし暑く、雨が多い。
・パナマとの国境の沿岸地域は雨が多く、バイーア・ソラノの年間降水量は5,000mm以上、ブエナベントゥラでは7,000mmを超えることも珍しくない。
・アンデス山脈の西、麓の町キプドでは年中雨が降っている。
・首都ボゴタの標高は約2,600m。1年を通じて涼しく、最低気温はおおむね6~9℃、最高は18~20℃ほどでとても過ごしやすい。
・観光に適した時期は12月~3月。最も乾燥しており、雨も比較的少ない。
経済:
・開発途上国
・GDPは2,700億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはアメリカ(26%)、パナマ(9%)、中国(5%)
・主要輸入パートナーはアメリカ(26%)、中国(19%)、メキシコ(8%)
・主要輸出品は石油、石炭、コーヒー、金、バナナ、切り花など。
・最も重要な輸出品は石油、総輸出額の45%以上を占めている。
・造船、電子機器、自動車、観光、建設、鉱業は2000年代から2010年代にかけて劇的に成長した。
・国産電子機器および家電製品の生産量はラテンアメリカで第2位。(1位はメキシコ)
・観光客数は毎年12%以上増加し続けていた。
・農業のGDP比率は1945年以降低下し続けている。
・主要農作物はコーヒー、アボガド、サトウキビ、バナナ、パイナップル、ココアなど。
・貧困ライン以下の生活を送っている人の割合は年々減少している。(1990年:65%、2018年:27%)
・若者の高失業率が社会問題になっている。(2020年:21.8%)
人種:
・メスティーソ 86.69%(2018年国勢調査)
・黒人 9.34%
・先住民族 3.95%
・ロマニ人 0.006%
言語:
・スペイン語(公用語)
・英語
・ドイツ語
・フランス語
・イタリア語
・ポルトガル語
・65の先住民族の言語
・2つのクレオール語
宗教:
・カトリック 79%(ピュー研究所の調査、2014年推定)
・プロテスタント 13%
・無宗教 6%
・その他 2%
コロンビア共和国
政治(目次に戻る
大統領:イバン・ドゥケ・マルケス(Iván Duque Márquez)
政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は4年、再選不可。
・上院の任期は4年、議員定数は108人。
・衆議院(下院)の任期は4年、議員定数は172人。
・単独過半数を獲得することは難しく、連立政権が当たり前になっている。
・若者は保守より中道もしくは左派政党を支持する傾向が強い。
法律:コロンビア共和国の憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・人権擁護活動家に対する中傷、暴力、脅迫、監視、誘拐、家族に対する暴力、暗殺が複数確認されている。
・労働組合に最も参加しにくい国のひとつと考えている。2010年に殺害された労働組合員は49人。
・LGBTの権利に関する法律に関してラテンアメリカで最も先進的な国の1つ。
・2016年に同性結婚を合法化した。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年6月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年6月時点)
治安:悪い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織の活動は報告されていない。
・近年、反政府勢力(コロンビア革命軍、国民解放軍など)の活動は大きく減少している。
・銃火器を使った殺人、強盗、誘拐などの犯罪は増加傾向にあり注意が必要。
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・キャッシュカードやパスポートなどの貴重品は安全な場所に保管し、極力持ち歩かない。
・隣国ベネズエラとエクアドルの国境付近では麻薬組織が活発に活動しているため、近づかないこと。
・スラム街は麻薬組織と反政府勢力の活動拠点になっているため、近づかないこと。
・首都ボゴタは比較的安全と考えられているが、油断は禁物。
・繁華街では窃盗、スリ、置き引き、引ったくりに注意。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は30社以上。
・国営テレビ局は5社。州管理のテレビ局は8社。
・民間テレビ局は数十局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は数百局。
・報道と言論の自由を保障しているが、反政府勢力やゲリラに批判的なジャーナリストは命の危機に直面する。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は高い。
・検閲はない。
【国営メディア/設立年】
・カラコル TV 1954年
・RCN TV 1967年
・Canal 1 1954年
・Canal Institucional 2004年
・Señal Colombia 1970年
【民間メディア】
・シティTVなど
・南米の主要テレビを受信できる。一番人気はブラジルのヘジ・グローボ。
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:39位
・軍人数:525,000人(推定)
即戦力 300,000人
予備兵 35,000人
準軍組織 190,000人
・陸海空軍を保有。
・国防予算:105億ドル(推定)
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、現在のコロンビアと周辺国はスペインの支配下に置かれていた。
・1718年、首都ボゴタがスペインの副王領ヌエバ・グラナダの首都になる。スペインはエクアドルとベネズエラも統治した。
・1780年、重税に反対する農民の反乱が発生。スペイン軍はこれを厳しく取り締まった。・
1800年代
・1810年7月20日、コロンビアがスペインからの独立を宣言。(コロンビア独立記念日)
・1819年、コロンビア連合軍がスペインを破る。これにより、現在のコロンビア、エクアドル、パナマ、ベネズエラで形成される大コロンビア共和国が誕生した。
・1829年、ベネズエラとエクアドルが大コロンビアから独立。これにより大コロンビアは解散し、現在のコロンビアとパナマは独立州(ヌエバ・グラナダ)になった。
・1835年、ノルテ・デ・サンタンデール県でコーヒー栽培が始まる。
・1849年、国内初の政党(保守党と自由党)が誕生。
・1870年代、政権を握った自由党は国を9つの地域に分割し、教会から州から独立して運営されることになった。
・1885年、保守党が政権を奪取。この年以降、コロンビアは国内経済に注力するようになり、教会の影響力も回復した。
・1899年10月、千日戦争(内戦)勃発。(リベラル派vs保守派)
1900年~第一次世界大戦
・コロンビアは第一次世界大戦に関与していない。
・1902年11月、千日戦争終結。保守派が勝利し、パナマが独立した。一連の内戦の死亡者数は12万人以上と伝えられている。
・1903年1月。アメリカとコロンビアがヘイ・エラン条約に署名。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・コロンビアは第二次世界大戦に関与していない。
・1930年、リベラル派のオラヤ・ヘレラ大統領が新たな法律を導入し、労働組合の創設を奨励した。
・1932年9月、コロンビア・ペルー戦争(レティシア事件)勃発。両国はアマゾンの熱帯雨林の権利を主張し、武力衝突に発展した。
・1933年5月、コロンビア・ペルー戦争終結。サロモン・ロザノ条約に基づき、両国は熱帯雨林の分割に合意した。
終戦~現在
・1946年、議会選挙。保守党が政権を奪取する。
・1948年4月9日、大統領候補のホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺され、首都ボゴタで大規模な暴動が発生する。
・1948年4月、ラ・ビオレンシアと呼ばれる内戦が始まる。コロンビア政府は自由党の民兵とゲリラ集団を掃討すると宣言した。
・1958年、保守派とリベラル派は内戦を終結させるために国民戦線を結成することに同意。他の政党の組織と活動は禁止された。
<ラ・ビオレンシア>
・両軍参加者:15万~30万人(推定)
・両軍負傷者:数万人(推定)
・両軍死亡者:20,000~30,000人(推定)
・民間人死亡者:20万~25万人(推定)
・1962年7月、ルス・マリナ・ズルアガがミス・ユニバース美人コンテストで優勝。
・1964年、極左の民族解放軍 (ELN) と人民解放軍(EPL) が設立。
・1964年5月、コロンビア内戦勃発。(政府vs準軍組織vsゲリラ軍)
・1970年、国民戦線の左翼対抗組織、全国人民同盟が設立。
・1971年、極左のM-19ゲリラ軍が活動を本格化させ、各地で民間人を虐殺する。
・1978年、リベラル派のフリオ・ターベイ大統領が麻薬カルテルの取り締まりを強化すると宣言。
・1980年6月、連続殺人犯のペドロ・ロペス(通称アンデスの怪物)が300人以上の殺人を自白。ロペスは1998年の保釈直後に逃亡し、行方は現在も分かっていない。
・1981年、議会は同性愛を合法化する法案を可決した。
・1982年、保守派のベリサリオ・ベタンクール大統領がゲリラ軍に恩赦を与え、政治犯を釈放した。
・1984年、ロドリゴ・ララ・ボニージャ法務大臣が、メデジン・カルテルの殺し屋に暗殺される。殺し屋の1 人、バイロン・デ・ジェズス・ベラスケスは逮捕された。
・1985年、M-19ゲリラ軍が最高裁判所を急襲し、裁判官11人を含む100人以上を処刑した。正確な死者数と行方不明者数は明らかにされていない。
・1986年、大統領選挙。自由党のビルヒリオ・バルコ・バルガスが圧勝した。しかし、左翼ゲリラと麻薬カルテルが運営する死の部隊による暴力は激しさを増し、さらに右翼準軍事組織は政治家の処刑作戦を開始すると宣言した。
・1989年、M-19ゲリラ軍と政府が和平協定に署名。これにより、M-19は合法的な政党に格上げされた。
・1989年末、麻薬カルテルがリベラル派の大統領候補を暗殺。
・1991年、憲法改正。政府は離婚を合法化し、他国で裁判にかけられているコロンビア人の身柄引き渡しを禁止し、先住民族の権利を保障したが、一連の内戦に関連する領土問題には触れなかった。
・1993年、メデジン・カルテルのリーダー、パブロ・エスコバルが治安当局に射殺される。
・1995年、大統領選挙。リベラル派のエルネスト・サンペールが勝利した。その後、サンペール大統領は選挙運動中に麻薬カルテルの資金を受け取ったことで起訴された。
・1998年、大統領選挙。保守派のアンドレス・パストラーナ・アランゴが大統領に選出され、コロンビア革命軍(FARC)との和平交渉を開始した。
・1998年11月、パストラーナ大統領はFARCに南東部のエリアを提供することに合意した。これにより、当該エリアに国軍は立ち入れなくなった。
・1999年1月25日、アルメニア・コロンビア地震(M6.2)発生。約2,000人が死亡し、都市アルメニアとペレイラは大打撃を受けた。
・2000年7月、パストラーナ大統領が新たな対麻薬カルテル作戦を開始すると発表。麻薬密売と貿易を利用して不正に資金を得る反政府勢力に対処すると約束し、アメリカを含む関係国から約10億ドルの軍事援助を獲得した。
・2000年9月、政府はFARCとの和平交渉を停止すると発表。政府はFARCが飛行機のハイジャック犯を匿っていたと主張した。その後、FARCは和平交渉再開の申し出を拒否し、パストラーナ大統領は準軍事組織を放置していると非難した。
・2001年2月、政府とFARCが和平交渉を再開。
・2001年6月、FARCは捕虜14人の解放と引き換えに人質に取っていた警察官359人を解放した。しかし、FARCは安全地帯(非武装地帯)で再武装し、麻薬カルテルと取引を行っていたとして非難されたが、高官らはこの主張を却下した。
・2001年10月、政府とFARCがサンフランシスコ協定に署名し、停戦に向けた交渉を加速させると約束した。これを受け、パストラーナ大統領は非武装地帯の取り決めを2002年1月まで延長すると発表した。
・2002年1月、パストラーナ大統領はFARCとの停戦交渉の中で、非武装地帯の取り決めの期間を2002年4月まで延長することに合意した。
・2002年2月、パストラーナ大統領は航空機のハイジャック事件を受け、FARCとの停戦交渉を打ち切ったうえで、FARCに非武装地帯から退去するよう命じた。これにFARCは猛反発し、エリア内の国軍を追い払ったため、政府はFARCに宣戦布告した。
・2002年5月、独立候補のアルバロ・ウリベが大統領選挙の第1ラウンド勝利を収め、FARCを含む反政府組織を厳しく取り締まると宣言。
・2002年8月、アルバロ・ウリベの大統領就任直前に首都ボゴタで爆弾が爆発し、20人が死亡。その後、ウリベ大統領は非常事態を宣言した。
・2003年10月、ウリベ大統領が提案した緊縮財政措置と政治改革などを含む15法案の是非を問う国民投票が行われ、14法案が拒否された。
・2003年11月、右翼のコロンビア自衛軍連合(AUC) の戦闘員が武装解除を開始すると発表。
・2004年7月、政府とAUCが和平交渉を開始。これを受け、AUCの指導者が議会で演説した。
・2005年1月、ベネズエラでFARCの指導者が捕獲される。コロンビアとベネズエラ政府は捕虜の取り扱いに関して激しい論争を繰り広げた。
・2005年6月、議会は武装解除した準軍組織に対する刑期の短縮と身柄引き渡し時の安全を保障する法案を可決。人権団体はこの法律を寛大すぎると批判した。
・2005年12月、最大左翼ゲリラのひとつである民族解放軍(ELN)と政府の和平交渉がキューバで始まる。
・2006年2月、アメリカとコロンビアが自由貿易協定に合意。
・2006年5月、大統領選挙。ウリベ大統領が再選を決める。
・2006年12月、拘留された右翼準軍組織の指導者が和平交渉から撤退すると発表。しかし、政府は交渉を継続すると主張した。
・2007年1月、エクアドルはコロンビアとの国境沿いに整備されたコカイン畑に対する取り締まりを強化すると宣言し、米州機構(OAS)に支援を求めた。
・2007年6月、政府は投獄されていた数十人のFARC戦闘員を解放し、警察官などを含む民間人の人質を解放するようFARCに要求した。しかし、FARCはこの要求を却下したうえで、「国軍が非武装地帯から完全撤退すれば、人質を解放する」と主張した。
・2007年7月、首都ボゴタで内戦と誘拐に反対する数十万人規模の抗議集会が開催される。
・2007年9月、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領が政府とFARCの調停者になり、人質解放協定交渉に他の反政府ゲリラも招待されることが決まった。
・2007年11月、コロンビア政府はチャベス大統領と反政府勢力の捕虜交渉期限を12月31日に設定する。
・2008年1月、チャベス大統領とFARCの交渉の結果、2人の有名人、クララ・ロハスとコンスエロ・ゴンザレスが釈放された。その後、チャベス大統領は欧米諸国にコロンビアの左翼ゲリラのテロ組織指定を解除するよう呼びかけたが、ウリベ大統領はこの考えを拒否した。
・2008年3月、コロンビアの国境を越えてエクアドルに攻撃を仕掛けたFARCの高官が殺害される。これを受け、エクアドルとベネズエラの関係は急速に悪化した。
・2008年5月、コロンビアは政府は、麻薬密売の罪で14人の準軍事組織幹部をアメリカに送還した。
・2008年5月18日、FARCのリーダー、エルダ・ネイイス・モスクが国軍に降伏。その後、法廷で裁判を受け、誘拐、殺人などの罪で懲役33年の実刑判決を受けたが、2009年3月6日に「平和の推進者」として刑務所から釈放され、他の反政府勢力の手本となって降伏を促した。しかし、最後には自分のボディガードに暗殺され、一連の努力は実を結ばなかった。
・2008年7月、コロンビア軍はFARCによって約6年間拘束されていた下院議員のイングリッド・ベタンクールを救出した。
・2008年11月、貧困層を狙ったピラミッド型投資スキームが突然崩壊し、暴力的な抗議に発展。いくつかの町で外出禁止令が出された。
・2009年2月、FARCが2001年以来拘束されていた元州知事を含む著名な人質6人を解放。
・2009年3月、FARCは最後の外国人の人質と思われるスウェーデン人、エリック・ローランド・ラーソンを解放した。
・2009年4月、ウリベ大統領はFARCが犯罪活動を停止し、停戦を宣言した場合、和平交渉を再開すると提案した。
・2009年7月、アメリカは麻薬密売を抑制する運動の一環として、コロンビアの軍事基地を使用する計画を発表し、ベネズエラとの関係は再び悪化した。ベネズエラのチャベス大統領は、コロンビア政府はカラカスのFARCに武器を供給していると非難したうえで、首都ボゴタから駐大使を帰国させた。
・2009年10月、アメリカとコロンビアが新たな軍事協定に署名。これにより、米軍はコロンビア国内の7つの基地を使用できるようになった。
・2009年11月、ベネズエラのチャベス大統領は、コロンビアとの戦争に備えるよう軍に要請し、国境付近に兵士約15,000人を配備した。
・2009年12月、FARCと民族解放軍(ELN)は対立状態を解消したうえで、全戦力を国軍に向けると発表した。
・2010年7月、ベネズエラはコロンビアにFARCを匿っていると告発され、コロンビアとの国交を断絶した。
・2010年8月、大統領選挙。フアン・マヌエル・サントスが勝利した。サントス大統領は反政府組織に捕らえられた全ての人質の解放を目指し、FARCとの交渉を再開すると約束した。
・2010年8月、コロンビアとベネズエラの国交が回復。
・2010年9月、FARCは民間人を含む国軍への暴力を強化すると宣言。これに対し国軍は、マカレナ地域で空爆を決行し、FARCの上級司令官、モノ・ジョジョイを殺害した。
・2011年2月、FARCは突然人質数人を解放し、国軍に攻撃を控えるよう促した。
・2011年5月、上院は内戦の犠牲者に対する補償と、数百万人の避難民に土地を返還する法案を可決した。
・2011年9月、ウリベ前大統領の親しい同盟者である元諜報機関長官ホルヘ・ノゲラが、ゲリラ軍の死の部隊に協力した容疑で25年の実刑判決を受ける。
・2011年10月、米国議会はコロンビアとの自由貿易協定をようやく承認した。
・2011年11月、コロンビア軍がFARCのリーダー、アルフォンソ・カノを殺害。これを受け、FARCはティモレオン・ヒメネス(別名ティモチェンコ)を新リーダーに指名した。
・2012年8月、サントス大統領はFARCとの予備交渉が進行中であり、民族解放軍(ELN)を含む他の武装グループとの協議も進めるつもりでいると発表した。議会はこの発表の2か月前に和平交渉を規定する法律を可決していた。
・2012年10月、サントス大統領は1912年から1929年にかけて推定80,000人の先住民族を殺害したと認めたうえで、アマゾン地域の先住民族の指導者に謝罪した。
・2012年10月、コロンビアで指名手配されていた売人の一人、ヘンリー・デ・ジェズス・ロペスがアルゼンチンで逮捕された。ロペスはコロンビア北部の麻薬取引を支配しているウラベノス・ギャングのリーダーと考えられている。
・2012年11月、政府とFARCがキューバで和平交渉を再開。その後、FARCは2か月の停戦を宣言した。
・2012年11月、オランダの国際司法裁判所は、係争中のカリブ海の島々はニカラグアではなくコロンビアの領土に属するが、海上境界線はニカラグアに有利に拡大すると判決を下した。
・2014年6月、大統領選挙。サントス大統領が再選。
・2014年12月、FARCが突如停戦を表明。サントス大統領は停戦宣言を歓迎した。
・2015年9月、政府とFARCは内戦中の犯罪などを審理する特別裁判所を設置した。
・2015年12月、政府とFARCは内戦の犠牲者に対する賠償金の支払いと正義の確保に関する合意文書に署名した。
・2016年3月、政府とFARCは相違点が残っていることを理由に、和平に向けた最終合意の署名を延期した。
・2016年6月、政府とFARCは包括的な和平協定の先駆けとなる、停戦と軍縮協定に署名。
・2016年9月、政府とFARCは約52年続いた戦いに終止符を打つ歴史的な和平協定に署名。
・2016年10月、政府とFARCの和平協定の法制化の是非を問う国民投票が行われ、僅差で拒否された。サントス大統領は他の反政府勢力との対話を継続すると誓い、長期にわたる内戦の終結に向けた努力を評価され、ノーベル平和賞を受賞した。
・2016年11月、政府とFARCは以前の和平協定が反政府勢力に有利すぎるという理由で否決されたことを受け、内容を一部見直した新たな和平協定に署名した。
・2017年6月、FARC解散。
・2017年10月、政府と民族解放軍(ELN)が停戦に合意。
・2017年11月、他の反政府ゲリラグループは国軍への戦いを継続すると宣言した。
・2018年5月、政府とELNの和平交渉が再開。
・2018年6月、大統領選挙。イバン・ドゥケ・マルケスが勝利した。
・2019年6月、FARCの元司令官、イバン・マルケスが政府との和平協定に反対すると宣言し、支持者に武器を取るよう呼びかけた。
<コロンビア内戦:継続中>
・参戦者:20万~40万人(推定)
・負傷者:数十万人(推定)
・死亡者:約22万人
・民間人死亡者:約18万人
文化(目次に戻る
・スペインとキリスト教の影響を強く受けているが、先住民族の文化と伝統もしっかり受け継いでいる。
・20世紀以降は北米の影響を強く受けており、ハリウッド映画、アメリカのファッション、英語のポピュラー音楽が特に好まれている。
・コロンビア料理は6つの主要地域(太平洋、アマゾン、アンデス、オリノコ、カリブ、インシュラー)によって大きく異なる。
・コロンビアは世界を代表する生物多様性ホットスポットのひとつであり、入手できる食料や材料の種類は地域によって大きく異なる。
・主食は米、小麦、トウモロコシ、ジャガイモ、キャッサバ。主菜は肉全般、魚全般、地元でとれる野菜、様々なトロピカルフルーツ、チーズ、バナナ、豆類。
・フェスティバル(芸術祭、音楽祭、民俗祭、文化祭など)をこよなく愛しており、全国各地で1年を通じて様々な催しが開催されている。
スポーツ(目次に戻る
・1番人気はサッカー。
・その他の人気スポーツは自転車競技、ボクシング、スケート全般、モータースポーツ、バスケットボール、チェス、陸上競技、野球、ラグビー、テニスなど。
・オリンピックでのメダル獲得数は29個。(金:5個、銀:9個、銅:15個)
・南米を代表するスポーツ強豪国だが、オリンピックでのメダル獲得数は意外と少ない。
・2010年のバンクーバー五輪で冬季デビューを果たした。
【有名スポーツ選手】
・ハメス・ロドリゲス(James Rodríguez)サッカー選手。2016年FIFAワールドカップ得点王。
・エガン・ベルナル(Egan Bernal)サイクリスト。グランツール優勝2回。
・カテリーン・イバルギュエン(Caterine Ibargüen)走り幅跳びの選手。オリンピック金メダリスト。
その他(目次に戻る
・コロンビア内戦(1964年~)は現在も続いている。
・首都ボゴタは比較的安全と考えられているが、油断は禁物。