ブータン王国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:ブータン王国(Kingdom of Bhutan)

首都:ティンプー(Thimphu)

人口:782,318人(2021年推定)

面積:38,400㎢(九州とほぼ同じ)

気候:亜熱帯気候
・低地は亜熱帯気候だが、標高の高い地域は寒い。
・最高峰は標高7,570mのガンカルプエンサム。
・モンスーンシーズン(雨季)は6月~10月。
・降水量は地域によって大きく異なる。南部の低地エリアはおおむね3,000mm前後。
・南部の町ゲレフーの夏場の平均気温は最低が22~25℃、最高は31~32℃。

・ゲレフーの冬場の平均気温は最低が10~15℃、最高は23~27℃。
・ティンプーは世界で5番目に標高の高い首都。標高は2,248m~2,648mの範囲。
・首都ティンプーの夏場の平均気温は最低が15~16℃、最高は24~25℃。
・首都ティンプーの冬場の平均気温は最低がマイナス5~5℃、最高は12~18℃。
・内陸国で海から遠く離れているため、ハリケーンの影響を受けることは少ない。
・観光に最適な時期は3月~4月と10月。ただし、標高の高い地域は雪が残っている可能性がある。

経済:
・後発開発途上国
GDPは25億ドル(2020年推定)
・主要産業は農業と製造業。
・主要輸出パートナーはインド(81%)、バングラデシュ(6%)、香港(6%)
・主要輸入パートナーはインド(78%)、中国(6%)、日本(4%)

・主要輸出品は電化製品、フェロシリコン、セメント、炭化カルシウムなど。

・隣国インドの経済と密接に連携している。
・険しい山が多く、インフラストラクチャーの整備に苦労している。
・世界で初めて喫煙とタバコの販売を禁止した。
・通貨はニュルタムだが、インドルピーも法定通貨として認められている。
・熟練労働者不足と慢性的な貿易赤字に悩まされている。
・水力発電プロジェクトに力を入れており、ヒマラヤの渓谷に建設した水力発電所はインドの様々な州に電力を供給している。
・観光産業はジワジワ成長しているが、インフラの整備が最大の課題。

人種(民族)
・ガロン人 63%(CIAワールドファクトブック推定)
・ローツァンパ(ネパール人)22%
・その他の先住民族 15%

言語:
・ツァンラ語 28%(CIAワールドファクトブック推定)
・ゾンカ語 24%(公用語)
・ネパール語 22%
・その他の様々な言語 26%

宗教:
・密教 75.3%(CIAワールドファクトブック推定)
・ヒンドゥー教 22.1%
・その他 2.6%

ブータン王国

政治(目次に戻る

君主:ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチャック(Jigme Khesar Namgyel Wangchuck)
首相:ロテ・ツェリン(Lotay Tshering)

政治体制:立憲君主制
・国家元首は龍王。65歳までに退位しなければならない。退位する際は後任を指名する必要あり。
・1990年代末に絶対君主制から立憲君主制に移行した。
・2008年の新憲法施行に伴い、二院制に移行した。
・2008年に初めて民主的な選挙を行った。
・国家評議会(上院)の議員定数は25人、任期は5年。
・国会(下院)の議員定数は47人、任期は5年。
・1998年に龍王の行政権を議会に移した。

法律:ブータン王国の憲法
・2008年施行。
・司法の独立を保障している。2008年以前の裁判は龍王が裁定を下していた。(軽微な事件は地方当局者が裁定)
・基本的人権、信教の自由、報道と言論の自由を保障している。
・先住民族間の差別問題が残っている。
・2021年2月に同性の性行為を合法化した。ただし、同性結婚は認められていない。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年7月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年7月時点)

治安:普通
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・反政府勢力やイスラムジハード組織の活動は報告されていない。
・民主主義に移行して以来、治安は比較的安定している。
・南部のインドとの国境付近は反政府勢力の活動拠点になっている可能性があるため、近づかない方がよい。
・地元でスラム街と呼ばれている地域には近づかない。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・市街地では窃盗、置き引き、スリに注意。
・野犬やイノシシなどの野生動物がウロウロしている地域がある。
・電話やインターネットがつながらないもしくはつながりにくい地域に立ち入る際は、緊急時の連絡手段を確保しておきたい。
・治安当局の目につく行動は避けること。逮捕時に殴打される可能性あり。

ブータン王国/寺院

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・新聞社は数社活動している。1社は国営。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局はない。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は2局。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネットの普及率は5~10%。
・検閲は存在すると伝えられている。
・ケーブルテレビを視聴できる。
・1998年にテレビ放送を開始した。

【国営メディア/設立年】
・ブータン放送公社 1973年

【民間メディア】
・KuzooFM
・ラジオバレー

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2021年軍事力ランキング:140位

・軍人数:7,000人(推定)
  即戦力 7,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 0人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:1,900万ドル(推定)

ブータン王国/ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンワンチャック龍王夫妻

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1700年代

・ブータン王国はラダック(インド北部旧ジャンムー・カシミール州東部の呼称)との緊密な関係を維持し、1684年のチベットとの戦争でラダックを支援した。ラダックは以前、ブータンにいくつかの領土を分け与えていた。

・1700年代初頭:ブータンはコーチビハール(インド西のベンガル州)の公国に対する支配権を確立した。

・1730年:コーチビハールの国王はインドのムガル帝国に支援を求めた。

・1760年代:ブータンはコーチビハールに駐屯軍を配置し、行政を統括した。

・1772年:英領インドはコーチビハールを事実上支配し、ブータンとの新たな関係を構築した。

・1773年:イギリスはコーチビハール協定に基づき、ブータンの駐屯軍をコーチ・ビハールから追い出し、その後ブータンに侵攻した。

・1774年4月:ブータンはイギリス東インド会社との平和条約に署名した。

・1784年:イギリスはブータンに対し、境界が確立されていないアッサム、ベンガル、ドゥアールをインドに提供するよう命じた。

1800年代

・1834年~1835年:英領インドはブータンに侵攻し、一部領土を併合した。

・1841年:英領インドはかつてブータンが支配していたアッサムドゥアールを併合し、ブータンに年間10,000ルピーの補償金を支払うことを約束した。

:1838年:イギリスはアッサムに侵攻したうえで、英領インドとブータン間の自由な商取引および、イギリスへの債務に責任を負うブータン当局者の引き渡しを規定する条約を提示した。ブータンは独立を守るためにこの提案を拒否した。

・1842年:ブータンは、1784年以来管理していたベンガルの領土の一部を英領インドに奪われた。

・1864年:ブータン戦争勃発。(ブータンvs英領インド)

・1865年:ブータン戦争終結。ブータンはシンチュラ条約に基づき、アッサム、ドゥアール、コーチビハール、デワンギリの一部を英領インドに譲渡した。

・1885年:いくつかの内戦と反乱の末、ウゲン・ワンチャックは国内の政敵を打ち負かし、ブータンを統一した。

ブータン王国/子供たち

1900年~第一次世界大戦

・ブータンは第一次世界大戦に関与していない。

・1907年:ウゲン・ワンチャックが初代龍王に就任。

・1910年:英領インドとブータンがプナカ条約に署名。英領インドは、年間支援金を10万ルピーに倍増することと、ブータンの内政に干渉しないことに同意した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・ブータンは第二次世界大戦に関与していない。

・1926年:ジグミ・ワンチャックが二代目龍王に就任。

・1932年:イギリスはブータンに対する英領インド政府の役割と一連の紛争問題について再検討した。

ブータン王国/市場

終戦~現在

・1947年8月14日:パキスタンがイギリスから独立。

・1947年8月15日:インドがパキスタンから分離。独立を宣言した。

・1949年8月8日:英領インドとブータンは新たな友好条約に署名した。これにより、以前はイギリスが主導していたブータンの外交はインドに委譲された。また、インドはブータンの内政に干渉しないことと、年間支援金を50万ルピーに増やすことに合意した。

・1952年:改革派のジグミ・ドルジ・ワンチャックが三代目龍王に就任。

・1952年:国会設立。ワンチャック龍王はジグミ・パルデン・ドルジを初代首相に指名した。

・1958年:ワンチャック龍王は奴隷制を廃止し、様々な社会改革を行った。

・1959年:中国のチベット地域から難民数千人が亡命した。

・1964年7月:レンドゥプ・ドルジが首相に就任。

・1964年11月:改革派がドルジ首相を暗殺。事件後、ワンチャック龍王は首相ポストの運用を停止した。

・1968年:初代内閣が発足。

・1971年:国連に加盟。

・1971年:パキスタン内戦勃発後、ブータンはバングラデシュの新政府を速やかに承認し、1973年に正式な外交関係を結んだ。

・1972年7月21日:ジグミ・ドルジ・ワンチャック龍王崩御。近代化の方針を支持する皇太子のジグミ・シンゲ・ワンチャックが四代目龍王に就任した。

・1974年;龍王と国会は外国人観光客の入国を初めて許可した。

・1985年:南アジア地域協力連合(SAARC)の創設メンバーになった。

・1986年:ブータンでの居住期間に基づいて市民権を付与する新しい法律が施行された。

・1988年:国勢調査後、多くのネパール民族が不法移民に指定された。また政府は、ブータン文化を強調する法律を導入し、少数民族であるネパール人コミュニティを敵視した。

・1989年:学校のカリキュラムからネパール語の授業が廃止された。

・1990年:ブータン南部で激しい民族不安と反政府抗議が発生。抗議者たちは民主主義とネパール人の権利の尊重を求めたが、ブータン人民党は暴力的な取り締まりを開始し、数千人がネパールに逃亡した。

・1992年:ブータン人民党の指導者に終身刑が言い渡された。

・1992年6月:生物多様性を規定するリオ条約に署名した。

・1993年:ブータンとネパールは難民問題の解決に向けた協議を開始した。

・1995年8月:リオ条約を批准。

・1996年:ネパール政府は難民問題交渉の中でブータン政府に対し、国内の難民推定80,000人を受け入れるよう要求した。

・1997年:人権団体のアムネスティ・インターナショナルがブータン南部の人権問題に深刻な懸念を表明。

・1998年:龍王は行政権を国会に譲渡した。

・1999年:テレビ放送およびインターネットサービスを開始。

・2000年:首都ティンプーに最初のインターネットカフェがオープン。

・2000年:大規模な洪水後に地滑りが発生。少なくとも200人の死亡が確認された。

・2001年8月:ブータンとネパールの主要閣僚がネパール国内のブータン難民の本国送還について協議。ネパール政府は1980年代から1990年代の間に約10万人の難民がブータンから押し寄せたと主張した。

・2002年1月:インドのアッサム州は2つの反政府武装勢力がブータン南部国境近くの難民キャンプで活発に活動していると警告した。インド北東部に独立したアッサム国家を樹立しようとしている反政府武装勢力は、ブータン南部の森林にゲリラ基地を設置し、そこからアッサム州への攻撃を開始した。

・2003年12月:ブータン国軍はインド北東部アッサム州の分離を目論む反政府武装勢力に対する攻撃を本格化させた。

・2005年3月26日:議会は憲法の草案の是非を問う国民調査(投票)を行うと発表した。

・2005年11月13日:中国共産党は中国とブータン間の紛争地域に侵入し、道路と橋の建設を開始した。

・2005年12月:ジグミ・シンゲ・ワンチャック龍王は、国内初の民主的な議会選挙を実施する2008年に退位すると発表した。

・2006年6月:ネパールのブータン難民が第三国定住を求める抗議デモを実施。

・2006年9月:2008年の議会選挙に向けた準備が本格的に始まる。

・2006年12月:ジグミ・シンゲ・ワンチャック龍王退位。皇太子のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチャックの五代目龍王就任が決定した。四代目は2008年に退位すると発表していたが、予定を早めた。

・2007年2月:政府は隣国インドとの関係を修正するインド・ブータン友好条約の改正に署名し、ブータンに外交および防衛政策における多くの権利が与えられた。

・2007年4月:政府は2008年に予定されている議会選挙に先立ち、議会制民主主義の概念を有権者に理解してもらう模擬選挙を実施した。

・2007年7月:カンドゥ・ワンチュク首相が辞任。キンザン・ドルジが議会選挙まで暫定首相を務めることになった。

・2008年1月~2月:主要都市で爆弾が爆発。政府は1991年に追放されたネパリス民族の権利のために戦っている武装グループによる犯行と非難した。

・2008年3月:議会選挙。立憲君主制を支持するブータンハーモニー党が47議席中44議席を獲得。ジグメ・ティンレー元首相が首相に就任した。

・2008年11月:ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチャックが正式に五代目龍王に就任。

・2008年11月:インドは北東部アッサム州の分離主義者とブータンの反政府勢力ドルク国民会議がゲリラ活動を展開していると主張した。

・2009年4月:黄龍嶺(カンキツグリー病菌)が国内のオレンジ農家に深刻な影響を与える。オレンジはブータンの主要輸出品のひとつである。

・2011年10月:ワンチャック龍王が21歳の学生ジェツン・ペマと結婚。

・2013年:政府は国内の農業を100%有機農業にするという世界初の試みに挑戦すると発表した。

・2013年7月:議会選挙。野党の人民民主党が勝利。ツェリン・トブゲイが首相に就任した。

・2013年8月:トブゲイ首相はブータンの国民総幸福度の発表が債務の増加、慢性的な失業、貧困、汚職など、国が直面している様々な問題を覆い隠していると主張した。

・2015年1月:アメリカのジョン・ケリー国務長官がインドでブータンのトブゲイ首相と会談した。ブータンの主要当局者とアメリカの閣僚級が会談したのは初めて。

・2016年2月:ワンチャック龍王とジェツン・ペマ女王が皇太子ジグミ・ナムギャル・ワンチャックの誕生を発表。

・2017年6月:ブータン政府は紛争地域への道路を建設をめぐり中国共産党に抗議した。

・2019年:ブータンは近隣のネパールやバングラデシュと並んで、民主主義指数でハイブリッド体制(完全な民主主義ではないが、権威主義でもない)に分類された。

・2019年4月:ビニール袋の使用を禁止する法律を施行。これにより、国内のビニール袋はジュートやその他の生分解性材料で作られた代替袋に変更された。

・2019年12月:ジェツン・ペマ女王は2番目の子供が2020年春に生まれる予定と発表した。

・2020年:ブターンとバングラデシュは自由貿易の規定を伴う特恵貿易協定に署名した。

・2020年3月19日;龍王は公式インスタグラムで、ジェツン・ペマ女王が次男を無事出産したと発表した。

・2020年6月30日:王室は次男の名(ジグミ・ウゲン・ワンチャック王子)を明らかにした。

・2020年12月12日:ブータンはイスラエルと外交関係を結んだと発表した。

文化(目次に戻る

・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。

・地球最後の秘境のひとつと呼ばれている。

・無欲無私の考えが深く根ざしている。

・見習い僧侶は6歳から9歳まで僧院に入り、仏教の知識を学ぶ。

・一妻多夫制は法律で禁じられているが、社会的には普通に受け入れられている。

・主食は米とソバ。主菜はトウモロコシ、肉全般、地元で採れる野菜、豆類、チーズなど。

ブータン王国/女性たち

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはアーチェリー、クリケット、バスケットボール、サッカーなど。

・アーチェリーは国技であり、ほとんどすべての村にアーチェリー場がある。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・山岳国家だが冬季オリンピックに出場したことはない。

その他(目次に戻る

・関係国の支援を受けながらインフラストラクチャーの開発を進めている。

・地球最後の秘境のひとつ。君主はドラゴンキング(龍王)。

ブータン王国/首都ティンプー
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