バングラデシュ人民共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:バングラデシュ人民共和国(Bangladesh)

首都:ダッカ(Dhaka)

人口:162,650,853人(2021年推定)

面積:147,000㎢(本州の0.7倍)

気候:亜熱帯気候
・乾期は11月~3月。
・雨季は4月~10月。
・乾期は昼夜の寒暖差が大きい。
・3月~10月はとても蒸し暑い。最高気温が40℃を超えることも珍しくない。
・ハリケーン(台風)シーズンは5月~11月。
・年間降雨量は地域によって大きく異なる。少ない地域は1,000mm以下、多い地域は4,000mm以上。
・観光のベストシーズンは12月~2月。この時期は比較的涼しく、乾燥している。

経済:
・開発途上国
GDPは3,025ドル(2019年推定)
・2019年の経済成長率は7.3%。(世界第7位)
・2004年~2013年の間の平均経済成長率は6.5%。
・世界で最も急速に発展している国のひとつ。
・主要産業はサービス。
・人口の約20%が貧困ライン以下の生活を送っている。
・インフォーマル経済。
・1992年以降の経済成長で約1,500万人が貧困ライン以下の生活から脱出した。
・市民の大多数が農業で生計を立てている。
・労働者の大多数が低賃金で働いている。

人種:
・ベンガル人 98%
・その他の民族 1%
・不明 1%

言語:
・ベンガル語 98.8%(2011年国勢調査、公用語)
・インド語
・チベット語
・ビルマ語
・その他

宗教:
・イスラム教 90.39%(2011年国勢調査)
・ヒンドゥー教 8.3%
・仏教 0.6%
・キリスト教 0.4%
・その他 0.1%

バングラデシュ人民共和国

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大統領:アブドゥル・ハーミド(Abdul Hamid)
首相:シェイク・ハシナ(Sheikh Hasina)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領。
・首相は大統領が任命する。
・一院制(議員定数:350人)。
・1990年の軍事政権崩壊以来、民主的な選挙を継続している。
第一党のアワミ連盟が議席の8割以上を確保している
・議員の汚職問題に悩まされている。
・ロヒンギャ難民数十万人を受け入れたことで世界から賞賛された。
・野党勢力を支持する反政府組織による暴力事件が後を絶たない。

法律:バングラデシュ人民共和国の憲法
・司法権の独立を保障している。
・イスラム法(シャリーア)はイスラム教徒にのみ適用される。
・裁判所は「最高、高等、地方」の3種に分類される。
・深刻な裁判官不足に悩まされている。
・6人の最高裁判所判事で年間約13,000件の事件を処理。
・86人の高等裁判所判事で年間約43万件の事件を処理。
・約1,300人の地方裁判所判事で年間約270万件の事件を処理。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・危険情報発令中(2021年2月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年2月時点)

治安:悪い
・2016年以来、テロ事件は発生していない。
・警察当局の厳しい取り締まりの効果で治安は改善傾向にある。
・民族間の対立に伴う小競り合いが各地で続いている。
・イスラム国(IS)やアルカイダと関係のあるグループが潜伏している可能性あり。
・イスラム過激派組織の潜伏地と考えられている地域には近づかないこと。
・繁華街での引ったくりや置き引きに注意。
・高級腕時計や宝石は身につけない方がよい。
・警察の目につく行動は避けること。悪いことをしていなくても拘束される可能性あり。

バングラデシュ人民共和国/工場、女性労働者

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は数十社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は20局以上。
・ラジオ局は28局。国営は1局。
報道と言論の自由を憲法で保障しているが、政府に批判的なジャーナリストは嫌がらせを受ける
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は総人口の10%以下。
・検閲はない。ただし、ジャーナリストのメールは監視されている。
・イギリスのBBCニュース(バングラ)が人気。

【国営メディア/設立年】
・バングラデシュテレビ 1964年

【民間メディア】
・NTV
・ATNバングラ
・エクシェイテレビ
・ボイシャキテレビ
・その他

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2021年軍事力ランキング:45位

・軍人数:7,004,000人(推定)
  即戦力 204,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 6,800,000人

・陸海空軍を保有している。

・国防予算:43億ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、ヨーロッパの強国はインド亜大陸の領土をめぐり、ベンガル王国や他のイスラム朝と各地で戦闘を繰り広げていた。

・現在のバングラデシュの一部はポルトガルの支配下に置かれていた。

・1757年、イギリス東インド会社がバングラデシュおよび周辺地域を支配した。

・イギリスはインド亜大陸の貿易の発展を目指し、現地の農作物などを世界中に展開した。

・1769年~1770年、深刻な干ばつと洪水がインド亜大陸の各地で発生し、2年で1,000万人以上が死亡したと伝えられている。

・インド亜大陸の貿易はイギリスの産業革命に大きく貢献した。

1800年代

・1800年代、バングラデシュを含むインド亜大陸の産業はイギリスの経済発展に大きく貢献したが、現地の市民の生活はほとんど発展しなかった。

・1800年代初頭、イギリスは土地の支配者と土地にかかる税金の仕組みを見直した。これにより、税金を速やかに収めた納税者は土地の所有権を認められた。

・土地を支配する者の大半はヒンドゥー教徒だった。ただし、イスラム教徒が差別されたかどうかは定かではない。イスラム教徒の大半は農民として支配者の元で働いた

・1830年代、イギリスはペルシア語の使用を禁じ、ベンガル語を公用語に設定した。

・現在のコルカタ(旧カルカッタ)周辺が大きく発展し、意欲的な市民はそこで教育を受け力をつけた。

・1857年10月、インド大反乱勃発。(インド亜大陸の王朝vsイギリス東インド会社)

・大反乱の影響で多くの市民がインド亜大陸各地に分散逃亡した。

・1858年11月、インド大反乱終結、イギリスの勝利。

<インド大反乱>
参加者:100万~500万人(推定)
負傷者:不明
死亡者:約80万人(イギリスの死亡者は総数の1%以下)

・1860年代、イギリスはバングラデシュに大学などの教育機関を設置した。

・1862年、国内初の鉄道が運行を開始。バングラデシュの経済は順調に発展した

・1890年代、電気と水道システムを導入。

・バングラデシュの自治政府は近代的でリベラルな教育を推進し、ベンガルルネサンス(ヒンドゥー教文化)の発展に寄与した。

・バングラデシュを含むベンガル地域の国内総生産は右肩上がりで上昇し、インド亜大陸で最も成功した土地と呼ばれるようになった。

1900年~第一次世界大戦

・バングラデシュは第一次世界大戦に関与していない。

・1905年、イギリスがインド亜大陸を東ベンガル州とアッサム州の2つに分割するベンガル分割令を発効。

・カルカッタとインド国民会議はベンガル分割令に猛反発し、ナショナリズムが急速に高まった。

・1906年、全インドムスリム連盟誕生。

・1912年、ベンガル分割令施行、イギリスはインド亜大陸の州を再編した。これにより東ベンガルと西ベンガルは統合され、アッサム州が第二の州になった。

・1912年、ベンガル地方のムスリム連盟(BPML)誕生。BPMLはパキスタン自治領の創設に大きな影響を与えた。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年、第一次世界大戦で敗れたオスマン帝国に対する制裁に反対するヒラーファト運動(イスラム教)が力をつけ、バングラデシュを含むベンガル地方の政治の派閥争いの先頭に立った。なお、ヒラーファト運動の中で最も大きな役割を果たした地域が現在のトルコだった。

・1929年、ベンガル立法評議会誕生。代表者たちはイギリスの支配に抵抗し、インド独立運動とパキスタン独立運動を後押しした。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・1941年12月、ビルマの戦い勃発。(連合軍vs大日本帝国)

・第二次世界大戦はバングラデシュの農業を破壊し、人口の約75%が半飢餓状態に陥った。

・日本がビルマ(ミャンマー)を占拠したことで、バングラデシュの混乱と飢餓は加速した。

バングラデシュの貿易システムは崩壊し、米の輸入は完全に滞った。結果、戦争の影響で土地を放棄した農民は飢え、自国の農業はさらにダメージを受け、全土で食糧危機が発生した。

・1943年~1944年、現在のバングラデシュとインド東部で飢饉が発生。戦争に巻き込まれた市民200万~300万人が餓死した。また、マラリア、その他の感染症、栄養失調、ヘルスケア不足は連合国と日本軍にも深刻な影響を与えた。

・1943年、バングラデシュ南西部に台風が上陸し、高潮の影響で田畑は荒れ果てた。

・1943年12月、イギリスの支援でハイパーインフレと食糧不足は少しずつ収まり、餓死者は減少した。

・1945年9月、第二次世界大戦(ビルマの戦い含む)終結。

終戦~現在

・1947年8月、イギリスはインド亜大陸をインドとパキスタンに分割し、独立を認めた。

・1948年2月、パキスタン政府はウルドゥー語を唯一の公用語に設定し、ベンガル語の教育を廃止した。

・東パキスタン(現在のバングラデシュ)はベンガル語の廃止に猛反発し、広範な抗議活動につながった。(ベンガル語国語運動)

・1952年2月、警察が抗議中の学生を銃撃し、抗議活動は暴動に発展した。その後、パキスタン政府は暴動を力でねじ伏せ、広範な市民不安を引き起こした。

・1952年末、東パキスタンはインドおよび西パキスタンとのムスリム連盟を事実上放棄した。

・公用語をめぐる抗議活動は1956年まで続いた。

・1956年6月、パキスタン政府がベンガル語を公用語に追加。

・1950年代後半、東パキスタンのエリート層は領土の利益を保護するために自治政府を立ち上げたいと強く考えるようになった。

・1958年10月、軍事クーデター発生。パキスタン政府および関係者は追放され、軍事政権が誕生した。

・1962年、東パキスタンの知事に就任したアブドゥル・モメンカーンはパキスタンの統一を支持し、独立したいと考える者たちを厳しく取り締まった。

・1965年8月、インド・パキスタン戦争勃発。

・1965年9月、インド・パキスタン戦争終結。

<インド・パキスタン戦争>
両軍参加者:約100万人
両軍負傷者:数万人(推定)
両軍死亡者:約10,000人(推定)

・1970年11月、サイクロンボーラがインドの西ベンガル州と東パキスタンに上陸。50万人以上が死亡し、数百万人がホームレスになった。

・1970年12月のパキスタン議会選挙。東パキスタンの独立を求めるアワミ連盟が議席の95%以上を獲得した。

・1971年初め、軍事政権は東パキスタンの独立を支持するシェイク・ムジブル・ラーマンの首相就任を阻止した。

・1971年3月7日、ラーマン首相候補の演説に東パキスタンの市民約200万人が集まり、パキスタンからの独立を求めた。

・1971年3月25日、パキスタン軍が東パキスタンへの侵攻を開始。

・1971年3月26日午前、「バングラデシュ人民共和国」が独立を宣言。

・1971年3月26日午前、パキスタン軍がラーマン首相候補を拘束。

・1971年3月26日午後、バングラデシュ解放戦争勃発。(バングラデシュ暫定政府&インドvsパキスタン)

・1971年4月17日、バングラデシュが暫定政府および暫定憲法の制定を宣言。

・1971年12月2日、パキスタン軍がインド西部に侵攻。インド軍は西部と東部でパキスタン軍を迎え打ち、バングラデシュ軍もこれに続いた。

・1971年12月中頃、インドとバングラデシュ連合軍は首都ダッカをパキスタン軍から取り戻した。

・1971年12月中頃、アメリカとソビエト連邦がベンガル湾に海軍を派遣。

・1971年12月16日、バングラデシュ解放戦争終結、バングラデシュ暫定政府が勝利し、完全なる独立を勝ち取った。(バングラデシュ戦勝記念日)

<バングラデシュ解放戦争>
両軍参加者:約100万人
両軍負傷者:数十万人(推定)
両軍死亡者:40,000~50,000人(推定)
民間人死亡者:30万~300万人(推定)

・1972年1月8日、ラーマン首相がバングラデシュに帰還。

・1972年12月16日、憲法制定。

・ラーマン首相は主要産業を全て国有化した。

・1974年、パキスタンは世界中から圧力を受け、バングラデシュを独立国家として承認した。

・1974年3月~12月、戦争後の混乱、大雨、洪水、その後の干ばつの影響で食料不足が急速に悪化し、約150万人が死亡した。なお、政府は死者を約27,000人と発表したが、世界の報道機関はこの主張を却下した。

・支援団体はコレラ、マラリア、下痢、その他の感染症で約100万人が死亡し、約50万人が餓死したと報告した。わずか数カ月で飢饉が致命的なレベルまで悪化した理由は、人口の爆発的な増加や政府の食糧穀物管理のミスなどが重なったためと考えられている。

・1975年1月、ラーマン首相が一党社会主義体制を導入すると宣言。その後、国営出版物を除くすべての新聞を禁止し、憲法を改正した。

・1975年8月15日、ラーマン首相が暗殺される。

・1975年11月4日、初代首相を含む独立を主導した指導者4名が暗殺される。

・1975年11月6日、軍事政権はアブサダ・トモハマド・サイエム最高裁判所長官を大統領に指名した。

・1977年、陸軍司令官のジアウル・ラフマンが大統領に就任。

・ラフマン大統領は複数政党制を復活し、産業を民営化した。

・1979年、議会選挙。バングラデシュ民族主義党(BNP)が過半数を獲得、軍事政権は崩壊した

・1981年5月30日、ラフマン大統領が暗殺される。

・1981年5月30日、BNPのアブドゥス・サッターが暫定大統領に就任。サッターは大統領選挙で勝利し、正式に大統領に就任した。

・1982年3月24日、軍事クーデター発生。サッター大統領は追放され、陸軍中将のフセイン・ムハンマド・エルシャドが大統領兼最高指導者に就任した。

・1990年10月10日、BNPがエルシャド大統領に対する蜂起を決行。

・1990年12月4日、エルシャド大統領辞任。軍事政権は崩壊した。10月10日から始まった一連の蜂起で民間人100人以上が死亡、数千人が負傷した。

・1991年の総選挙後、憲法修正第12条により議会制共和国に戻る。過半数を獲得したBNPはカレダ・ジアを初の女性首相に任命した。

・1996年、議会選挙。野党が選挙をボイコットしBNPが全議席を獲得したが、選挙は非合法と見なされ、再選挙が行われた。

・2004年~2006年、イスラム過激派組織ムジャーヒディーン(JMB)が各地でテロ攻撃を決行。

・2007年3月、警察の厳しい取り締まりにより、国内のJMBはほぼ壊滅した。

・2011年、憲法改正。暫定政府制度を廃止した。

・2016年~2017年、ミャンマーを追い出された推定100万人のロヒンギャ難民がバングラデシュ南東部に避難した

・2018年、議会選挙。BNPは300議席中259議席を獲得した。

バングラデシュ人民共和国/市場

文化(目次に戻る

・イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、そしてキリスト教の文化が混ざり合っている。

・イードアルフィトル(断食の祭典)は国民の祝日。

・インド亜大陸の伝統衣装、クルタが有名。

・バングラデシュ料理は地域によってスタイルが大きく異なる。

・スパイスを効かせたカレーが大好き。

・主菜は米と魚。

・牛肉を使った料理はタブーではなく、ビーフカレーを食べるイスラム教徒もいる。

バングラデシュ人民共和国/祭り

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はクリケット。(イギリス植民地時代の影響)

・アジアを代表するクリケット強豪国。

・その他の人気スポーツはサッカー、バレーボール、ハンドボール、ゴルフ、バドミントン、チェスなど。

・国技はカバディ。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

メダルを獲得したことのない国の中で最も人口が多い

・政府はスポーツ振興に一定の予算を投じているが、成果は出ていない。

その他(目次に戻る

世界で最も急速に発展している国のひとつ

・軍事クーデターや指導者の暗殺などを経て、ようやく民主主義を確立した。

・ロヒンギャ難民問題に悩まされている。

バングラデシュ人民共和国/首都ダッカ
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