目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:オーストラリア(Australia)
首都:キャンベラ(Canberra)
人口:23,470,145人(2020年推定)
面積:7,692,024㎢(日本の20倍)
気候:温帯性気候と砂漠気候
・気候は地域によって大きく異なる。
・雨季と乾季の差が極端。
・乾期の極端な乾燥と干ばつに毎年悩まされている。
・乾期に発生する山火事が深刻な社会問題になっている。
・夏場の平均気温は20~40℃。
・冬場の平均気温はマイナス10℃~10℃。
・主に南東部エリアで発生する熱波は非常に強力。旅行の時期に注意したい。
・気候変動の脅威に直面している。
:2019-2020年の山火事の焼失面積は推定186,000㎢メートル。(日本の国土の約50%)
経済:
・先進国
・オセアニア地域のリーダー。
・GDPは約1.38兆ドル(2019年推定)
・主要産業はサービス部門。(GDPの約60%、労働力の80%近くを占める)
・主要輸出国は東アジア地域とニュージーランド。
・2020年のコロナ危機で約30年ぶりの景気後退に陥った。
・ソブリン信用格付けは、3つの主要な格付け機関が「AAA」と評価している。(アメリカより高い)
・輸出部門の成長が経済活動を牽引している。しかし、60年以上続く貿易赤字の解消には至っていない。
・観光産業で働く労働者は、コロナ危機の脅威に直面している。
人種(祖先):
・イギリス人 36.1%(2016年国勢調査)
・オーストラリア人 33.5%
・アイルランド人 11%
・スコットランド人 9.3%
・アボリジニ 2.8%
・その他
言語:公用語を法律で定めていない。
・英語 73%
・北京語 2.5%
・アラビア語 1.4%
・広東語 1.2%
・ベトナム語 1.2%
・その他
宗教:
・カトリック 22.6%(2016年国勢調査)
・英国国教会 13.3%
・その他のキリスト教 16.3%
・イスラム教 2.6%
・仏教 2.4%
・ヒンドゥー教 1.9%
・その他 1.7%
・不明 9.1%
・無宗教 30.1%
オーストラリア
政治(目次に戻る
君主:エリザベス2世(Elizabeth II)
総督:デビッド・ハーレー(David Hurley)
首相:スコット・モリソン(Scott Morrison)
政治体制:立憲君主制
・イギリス連邦に属する。
・国家元首はエリザベス2世。
・総督は首相の助言に基づき、国家元首が任命する。
・国家元首と総督の権限は限られている。
・二院制(上院:76人、下院:151人)
・最高権力機関は上院。
・自由党は中道右派。(2020年時点)
・野党第一党の労働党は社会民主主義(左派)政党。
法律:オーストラリアの憲法
・裁判所は、「最高、高等、控訴、地方」など。
・司法権の独立を憲法で保障している。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・コロナウイルス注意情報発令中(2020年12月時点)
治安:とても良い
・コロナウイルス対策の厳しさは世界トップクラス。マスクをお忘れなく。
・近年、国内でテロは発生していない。
・市街地以外に立ち入る際は、麻疹、風疹、狂犬病に注意。
・飲み過ぎに注意。警察は酔っ払いに厳しい。
・湿地帯や沼はワニ(クロコダイルなど)の生息地。
・自然エリアに立ち入る際はワニに注意。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は400社以上。
・国営テレビ局は3局。
・民間テレビ局は多数。
・ラジオ局は50局以上。
・検閲はほぼない。
・報道と言論の自由を保障している。
・テロ対策法の関係で検閲が厳しくなったと伝えられている。
【国営メディア/設立年】
・オーストラリア放送協会(ABC) 1929年
・SBS 1978年
・NITV 2007年
【民間メディア】
・Foxtel
・Austar
・その他
軍隊(目次に戻る
2020年軍事力ランキング:19位
・軍人数:79,700人(推定)
即戦力 60,000人
予備兵 19,700人
・陸海空軍を保有
・国防予算:263億ドル
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、イギリス政府はオーストラリアの植民地化を目指し、様々な提案を行った。
・1770年4月、イギリス海軍のジェームズ・クック中尉がオーストラリア東岸から本土に上陸。周辺一帯の土地の有効利用と植民地化を本国に報告した。
・1772年、フランス政府がオーストラリア西岸の主権を獲得したと主張。
・1788年、イギリス政府、オーストラリア東岸を植民地にすることで合意。
・アボリジニなどの先住民族は、植民地化を目指すイギリス人に抵抗した。
1800年代
・1800年代、イギリス政府はオーストラリアの開発を進めた。
・1788~1868年、約200,000人(そのうち30,000人は女性)の奴隷がオーストラリアに移送され、各地で強制労働を強いられた。イギリス政府は奴隷の大多数は犯罪者もしくは元犯罪者と主張した。
・反抗的な先住民族は処刑もしくは奴隷にされた、と伝えられている。
・イギリス政府は先住民族の土地を強奪し、移民のためのコミュニティ(ニューサウスウェールズ州、タスマニア州など)を設立した。
・1851年、ニューサウスウェールズ州で金鉱が発見される。
・イギリスはゴールドラッシュに沸き、他の植民地の奴隷や自国の犯罪者をオーストラリアに移送した。
・ゴールラッシュに伴い、オーストラリアの移民人口は激増した。(1850年:約70,000人、1859年:50万人以上)
・先住民族は土地を奪われ、金は全てイギリスの所有物になった。
・オーストラリア人(移民との混血含む)は一定の自治を認められたが、決定権はイギリス政府が保持した。
・1800年代後半、各地で独立を求める声が高まり、抗議活動や紛争が発生した。
・1890年、6州とニュージーランドの代表者がメルボルンで会談し、オーストラリアの憲法の制定を求める。
・1897年7月、オーストラリア憲法は国民投票にかけられ、賛成多数で可決された。
1900年~第一次世界大戦
・1900年3月、各州の代表団がイギリス議会に法案を提出。
・1900年7月5日、イギリス議会、オーストラリア憲法を承認。
・1900年7月9日、ビクトリア女王、オーストラリア憲法を裁可。
・1901年1月1日、「オーストラリア」が独立、憲法制定、イギリス連邦に加わることを宣言した。
・1901年3月、最初の議会選挙、初代内閣が発足した。
・1901年、移民制限法を制定。際限なく増え続ける移民の勢力拡大を阻止した。
・1914年7月、第一次世界大戦勃発。
・オーストラリアの市民、約40万人が戦争への参加を志願した。
・1918年11月、第一次世界大戦終結、オーストラリア政府は志願兵約6万人を失ったと伝えられている。(推定)
<第一次世界大戦>
・志願兵 40万人以上
・海外派遣 33万人以上
・戦死者 6万人
・負傷者 15万人
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・1919年、スペイン風邪が大流行し、12,000人以上が死亡した。(推定)
・1920年、現在の国民党が結成される。代表者はマルクス主義の脅威を市民に訴え、支持を得た。
・1920年代、左寄りな政府の政策に反発するデモやストライキが各地で頻発した。
・1927年、オーストラリア労働組合委員会(ACTU)設立。
・1929年10月、議会選挙、中道左派の労働党が圧勝した。
・1930年、オーストラリアの輸出産業は世界恐慌の影響を強く受けた。(失業率は25~30%に達した)
・1931年、イギリス政府がウェストミンスター憲章を承認。オーストラリアの完全なる主権が認められた。
・1931年5月、議会選挙、保守的な国民党が政権を奪取る。
・1930年代後半、政府は軍に予算を投じ、来たるべき戦いに備えた。
・1939年9月、第二次世界大戦勃発。
・1939年9月3日、政府、イギリスとともにナチスドイツと戦うと宣言。
・1942年2月19日、大日本帝国軍がオーストラリア本土に初の空襲攻撃。その後空襲は100回以上に及んだ。
・1942年3月、アメリカ軍がオーストラリアに基地を設置。オーストラリア軍はダグラス・マッカーサー将軍の指揮下に入った。
・1943年、大日本帝国のビルマ・タイ鉄道建設に従事したオーストラリア人捕虜約3,000人が死亡もしくは処刑された。
・1944年、大日本帝国によるサンダカン死の行進(ボルネオのサンダカン捕虜収容所)で、オーストラリア人捕虜2,500~3,000人(推定)が死亡した。
・1945年9月、第二次世界大戦終結。
<第一次世界大戦>
・参戦した隊員 約80万人
・海外派遣 約55万人
・戦死者 4万人以上(推定、捕虜として処刑または死亡した者を含む)
・負傷者 数十万人
・大日本帝国の捕虜になり処刑された者 約8,000人(推定)
終戦~現在
・戦後、政府は移民政策を推進した。
・1945~1985年の間に、約420万人の移民がオーストラリアで生活を始めた。
・1949年、議会選挙、自由党が労働党から政権を奪取する。
・1950年、移民法廃止。
・1950年6月、朝鮮戦争勃発。オーストラリア軍兵士約17,000人が戦闘に参加した。
<朝鮮戦争>
・参戦した隊員 約17,000人
・戦死者 339人
・負傷者 1,500人以上
・1951年9月、オーストラリア・ニュージーランド・米国安全保障条約(ANZUS)締結。
・1956年11月、メルボルンオリンピック開幕。
・1950~1960年代、オーストラリアの経済は急速に発展した。
・1960年代、オーストラリア政府は公平な収入を目指し、地方経済への投資を推し進めた。
・1960年代の住宅開発ラッシュと経済発展で市民の生活環境は大きく改善した。また、企業は事実上の完全雇用を導入し、持ち家率の上昇につながった。
・1960年代初めに行われた民間の調査で、全市民の94%が自宅に冷蔵庫を持っていることが分かった。(電話:50%、テレビ:55%、洗濯機:60%、掃除機:73%)
・1960年代、自動車の保有率が大きく上昇し、1家に1台は当たり前になった。
・1965年4月、ベトナム戦争への参戦を表明。
・1965年、すべての州が先住民族の参政権を認める。
・1971年、ネビル・ボナーがアボリジニ初の上院議員に任命される。
・1972年12月、ベトナム戦争から撤退。
<ベトナム戦争>
・参戦した隊員 約61,000人
・戦死者 521人
・負傷者 約3,000人以上
・1972年12月、議会選挙、労働党が第一党に返り咲く。
・1975年、議会選挙、自由党が労働党に圧勝する。マルコム・フレイザーが首相に就任。
・1977年8月、日豪友好協力条約発効。
・1983年、議会選挙、労働党がフレーザー政権を破り、第一党に返り咲く。
・1990年、湾岸戦争に参戦。
・1996年、議会選挙、自由国民党連合のジョン・ハワードが首相に就任。
・1996年、全国銃器協定発効。銃の所有に厳しい制限を設けた。
・2000年9月、シドニーオリンピック開幕。
・2002年、全国銃器人身売買政策協定および全国拳銃管理協定発効。(銃規制法)
・2005年、テロ対策法制定。テロ行為、テロを扇動する行為などを禁じた。
・2007年、議会選挙、労働党がハワード政権を破る。ケビン・ラッドが首相に就任。
・2010年、労働党のジュリア・ギラードが女性初の首相に就任。
文化(目次に戻る
・西洋文化。(イギリス由来)
・アボリジニなどの先住民族文化の衰退が社会問題になっている。
・オーストラリア人の皮肉に満ちたユーモアセンスはイギリス由来。
・オセアニア地域の文化リーダー。
・文化の発信地はシドニー。
・世界を代表する文化人(芸術、文学、音楽、映画など)を多数輩出している。
・オーストラリア料理はイギリス料理より美味しい。
・人気料理はシーフード、肉、イギリス由来のフィッシュアンドチップス。
・ダチョウ、エミュー、カンガルー、そしてワニの肉は意外と美味しい。
・ワインの生産に力を入れている。(2019年輸出量世界4位)
スポーツ(目次に戻る
・世界を代表するスポーツ大国のひとつ。
・人気スポーツはラグビー、サッカー、テニス、野球、バスケットボール、イギリス由来のクリケットなど。
・クリケット代表チームは、ワールドカップを5度制している。
・ラグビー代表チームは、ワールドカップを2度制している
・2度オリンピックを開催している。(1956年夏季メルボルン大会、2000年夏季シドニー大会)
・オリンピック(夏冬)のメダル獲得数は512個。(世界12位)
・パラリンピックのメダル獲得数は1,125個。
【有名スポーツ選手】
・イアン・ソープ(Ian Thorpe)競泳選手、魚人。
・ジョナサン・サーストン(Johnathan Thurston)ラグビー選手、ゴールデンブーツ賞を3度受賞。(世界初)
・ダレン・ロッキャー(Darren Lockyer)ラグビー選手、史上最高の選手のひとり。
・ベティ・カスバート(Betty Cuthbert)陸上選手、オーストラリア史上最も有名なスポーツ選手のひとり。
その他(目次に戻る
・1950年代から急速な経済発展を遂げ、世界を代表する先進国のひとつに成長した。
・厳しいコロナウイルス対策が世界の注目を集めている。