アルジェリアの国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:アルジェリア民主人民共和国(People's Democratic Republic of Algeria)

首都:アルジェ(Algiers)

人口:41,657,488人(2020年推定)

面積:2,381,740㎢(日本の6.3倍)

気候:北部は地中海性気候、南部は砂漠気候。
・夏の平均気温は21~42℃。
・冬の平均気温は10~12℃。この時期は湿度が高い。
サハラ砂漠は真冬でも暑い。ただし、夜はかなり冷える
・年間降雨量は400~1,000mm。北東部エリアが最も多い。
・内陸部の降雨量は非常に少ない。
・北部の山岳地帯では雪が降る。ただし夏は暑い。(スキーリゾートあり)
・サハラ砂漠は晴れの日が極めて多く、乾燥している。
・砂嵐が発生する。

経済:
・開発途上国
・インフォーマル経済。
石油と天然ガスの輸出が総輸出額の95%以上を占めている
GDPは約1,693億ドル(2019年)
・2012年の貿易収支は272億ドルの黒字。
・政府は非石油部門の成長に力を入れている。
・一人当たりのGDP成長率は1960年代にプラス40%、1970年代はプラス538%を記録、ピークに達した。
・1980年代と1990年代の成長は鈍化。
・1999年以降のGDP成長率(年)は約4%。
・貧困地域の住民は、その日の食料を確保するために働いている。
・失業率は上昇傾向にある。2020年はコロナウイルスの影響で20%を超える見通し。
・若者の失業率が特に高い。(2006年:30%)
・観光産業はGDPの約1%。周辺国に比べるとかなりの遅れをとっている。
・腐敗と汚職が蔓延している。

人種:
・アラブ人(ベルベル人)97~99%
・ヨーロッパ人  1~3%
・ベルベル人はアルジェリアの先住民。

言語:アラビア語(公用語)72%
・ベルベル語 27.4%
・フランス語
・英語
・スペイン語
・国民の大半がアラビア語とベルベル語を使いこなす。

宗教:
・イスラム教 97.9%
・キリスト教 0.2%
・その他 0.1%
・無宗教 1.8%
憲法で信教の自由を保障
・イスラム教徒の大多数はスンニ派。
・改革派(アフマディー派など)も一定数おり、迫害の対象になっている。
・近年、厳しい取り締まりの影響でイスラム過激派組織の影響力は弱まっている。
・イスラム国(IS)、アルカイダなどのジハード主義者が国内に潜伏している。

アルジェリア民主人民共和国

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大統領:アブデルマジド・テブン(Abdelmadjid Tebboune)
首相:アブデラジズ・ジェラド(Abdelaziz Djerad)

政治体制:共和制
・政党数は40以上。
・議会は国家評議会(上院)と人民議会(下院)で構成。
・議員は選挙によって選出される。ただし、国民の投票結果が反映されているかは疑わしい。
・軍の権力が非常に強い。ただし、法律でその事実は認めていない。
大統領は軍に認められた者が選出される。(選挙は形骸化)
・真の権力者は軍のトップ。彼らは軍の諜報機関と安全保障局(DRS)に守られている。
・大統領の任期は5年、2期まで務めることができる。
・汚職が蔓延している。なお、告発者は高確率で粛正される。

法律:アルジェリアの憲法
・1976年制定。
・1979年、1988年、1996年に改正。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・リビアなどとの国境付近に退避勧告が出ている。(2020年11月時点)

治安:かなり危険
・リビア、ニジェール、マリ、モーリタニアとの国境付近およびその周辺一帯は極めて危険。
・北部エリアの治安は比較的安定しているが、先進国に比べるとはるかに悪い。
・イスラム過激派組織が潜伏もしくは活動している。
イスラム国(IS)およびアルカイダの活動エリア
・近年、ジハード主義者のテロ攻撃は政府の取り締まりが強化されたことで減少している。
・日本人はお金を持っていると思われており、テロや誘拐の標的になりやすい。
・マラリアや狂犬病などの感染症に注意。

アルジェリア/サハラ砂漠

マスメディア(目次に戻る

・国内の新聞は45紙以上。国営新聞は4紙。
・国営テレビ局は4社。
・テレビ局は政府が独占。
・メディア法改正後、民間衛星TV・ラジオ局の参入が始まった。
・中東とフランスの衛星放送を受信できる。
・全国公共ラジオは3局。地方は32局。
・インターネットユーザーは3,200万人以上。
・検閲はそこまで厳しくない。ただし、軍、大統領、国会議員などの侮辱、名誉棄損行為は懲役刑
・メディアに対する検閲は非常に厳しい。

【国営メディア/設立年】
・TV3 2001年
・Ennahar TV 2012年
・Echorouk TV 2011年
・Nessma TV 2007年

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2020年軍事力ランキング:28位

・軍人数:280,000人(推定)
  即戦力 130,000人
  予備兵 150,000人

・陸・海・空軍を保有

・国防予算:130億ドル

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1700年代

・現在のアルジェリアを含む周辺地域は、16世紀初頭からオスマン帝国の支配下に置かれた。(オスマンアルジェリア時代

・オスマン帝国はさらなる貿易拡大およびアフリカ征服を狙うスペインと激しく衝突した。

・スペインはオスマンアルジェリアの沿岸地域に侵攻し、いくつかの町と前哨基地を占領、領土拡大を目指した。

・17世紀中頃~18世紀初頭、オスマン帝国はスペインから占領された町を取り返した。この間、数万人のイスラム教徒と奴隷が戦いに駆り出され、死んだ。

・1751年、スペイン艦隊は沿岸の町に攻撃を仕掛けるも、オスマン帝国軍の反撃を受け撤退。

・1775年、スペイン簡単は沿岸の町(現在の首都アルジェ周辺)に大軍を派遣。この戦いで約5,000人のイスラム教徒が殺害された。

・沿岸の町をめぐるスペインとオスマン軍の戦いは1792年まで続いた。

1800年代

・19世紀初頭、オスマンアルジェリアはスペイン、オランダ、プロイセン、デンマーク、ロシア帝国、ナポリなどのアフリカをめぐる戦いに巻き込まれた。

・19世紀初頭、オスマンアルジェリアとその周辺地域はバルバリア州と呼ばれ、海賊の住処になっていた。

・1830年7月5日、フランスによるオスマンアルジェリア征服戦が始まる。(現在のアルジェリアの国境を決めたのはフランス政府)

・フランス軍は沿岸の町を次々に占領、化学兵器などを使用した攻撃はオスマン軍を圧倒した。

・この征服戦におけるフランス軍の戦死者は約3,400人。オスマン軍の戦死者は約825,000人だった。

・1848年、フランス軍はオスマンアルジェリアの北部をほぼ全て占領、植民地にしたと宣言する。

・多くのアルジェリア人が非イスラム教徒に征服されるという屈辱を受け、さらに、民間人と囚人の大量処刑、強制収容所での虐殺などが繰り返された。

・1865年、ナポレオン3世がアルジェリア人のフランス市民権取得を認める。

・1870年、クレミュー法が発効され、現地のユダヤ人先住民のフランス市民権が確立した。

アルジェリア/北部、地中海

1900年~第一次世界大戦

・20世紀初頭、新世代のイスラム教徒が出現し、独立を訴える戦いが始まる。(アルジェリア・ナショナリズム運動)

・フランス軍は第一次世界大戦でドイツ軍に叩き伏せられ、これを見たアルジェリア人はフランスへの抵抗をさらに強めた。

・フランスはアルジェリアの伝統や文化を教育で改革しようとしたが、イスラム勢力から猛反発を受ける。

・1908年、独立を訴えるグループ、青年アルジェリア人(YA)は、フランス首相にイスラム教徒の徴兵停止などを求めたが、却下される。

・1911年、YAは不平等な税の撤廃、教育施設の拡大、先住民の財産保護などを訴えた。

・1919年、アルジェリア人の権利拡大(一部)が法律で認められた

・アルジェリアは第一次世界大戦の直接的な影響を受けなかった。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年~1940年、アルジェリア・ナショナリズム運動が成熟期を迎える。

・一部のアルジェリア人は権利の拡大に満足したが、若いアルジェリア人(YA)のリーダー、カリッド・イブン・ハシムは完全なる権利の保障を強く求めた。

・1926年、YAから脱退したメンバーが先住民連盟(FEI)を結成。一方、フランス政府はアルジェリア人の権利を認めつつ、アルジェリアをフランスの州に正式に加盟させようとした。

・1940年6月22日、フランスがナチスドイツに降伏する。

・1940年7月3日、イギリス海軍がフランス海軍への攻撃を開始。(ナチスの支配下に置かれることを防ぐ戦い)

・1942年11月8日、アメリカを中心とした連合軍がフランス領北アフリカでトーチ作戦を開始

・1943年5月13日、トーチ作戦終了。連合軍の勝利。

・1943年3月、イスラム教徒の指導者、フェラ・アッバースがアルジェリア人民宣言をフランス政府に提示。マニュフェストはイスラム教徒の即時かつ効果的な政治への参加と、法の平等を保障するアルジェリア憲法の制定だった。

・1944年、フランス政府は功績のあるアルジェリア人にのみ市民権を与えたが、その他の要求は却下した。

・1945年4月、フランス政府はアルジェリアの民族指導者、メッサ・リハジを逮捕。これに反発する暴動が発生し、イスラム教徒数人が殺害された。

・1945年5月8日、連合軍がナチスドイツとの戦いに勝利したと宣言。(ヨーロッパ戦勝記念日)

・1945年5月8日、フランス政府の支配に抗議するアルジェリア人グループなどが大規模な抗議活動を開始。これに対しフランス警察は重火器を使用。一連の粛正は1945年6月末まで続き、数万人のイスラム教徒が殺害された。

終戦~現在

・1954年11月1日、アルジェリア民族解放戦線(FLN)とフランスの戦い、アルジェリア独立戦争が始まる。

・1955年8月、暴徒化したFLNが民間人を虐殺。一連の虐殺とフランス軍の報復で数万人のイスラム教徒が死亡した。

・その後も暴徒化したFLNの蛮行は続き、3万~15万人の民間人が虐殺されたと伝えられている。(推定、正確な死者数は不明)

・1962年3月18日、フランスのエビアンで停戦協定が結ばれる。(エビアン協定)

・独立戦争におけるアルジェリア人の死者数は35万人~100万人(推定)。200万人以上のイスラム教徒が難民になった。

・1962年7月1日、エビアン協定に基づく独立賛否を決める国民投票。賛成多数(賛成:99.72%)で可決された。

・1962年7月3日、「アルジェリア民主人民共和国」が独立を宣言。

・1963年9月8日、国民投票、アルジェリアの憲法が採択される。

・1963年9月末、アーメド・ベン・ベラが初代大統領に就任。

・独立戦争の影響でアルジェリアの社会と経済はひどく困窮、混乱した。

・独立直後の失業率は70%を超え、数十万人がホームレスもしくは避難民として生活し、疫病などで数万人が死亡した。

・ベン・ベラ大統領はフランス軍の指導の下、強権的な政治を展開。政府の力を向上させることに執着し、国民は捨て置かれた。

・ベン・ベラ政権打倒を狙う野党指導者、オシン・アイ・アハメドが社会主義勢力戦線(FFS)を結成。

・1965年6月19日、国防相のフワーリー・ブーメディエンヌがクーデターを決行。ベン・ベラ大統領を追放する。

・1965年6月20日、ブーメディエンヌは国会を解散、憲法を一時的に停止した。

・1965年7月5日、ブーメディエンヌが大統領に就任。

・1967年12月、大統領の参謀長、タハーズ・ズビリ大佐がクーデターを企てるも失敗。

・1968年4月、大統領暗殺未遂事件が発生。

・1976年11月、新憲法公布。

・1978年12月27日、ブーメディエンヌ大統領死去。

・1979年2月9日、シャドリ・ベンジェディッド大佐が大統領に就任。(1984年と1988年の不正選挙で再選を果たす)

・1989年、新憲法公布。これにより政府を運営していた軍の権利が剥奪される。

・1991年12月26日、アルジェリア内戦勃発。(アルジェリア政府vs武装イスラム集団

・1992年1月11日、政府は大統領選挙をキャンセル。ベンジェディッド大統領は辞任し、政府を維持する高等評議会が設置された。

・1992年2月、モハメド・ブーディアフが大統領に就任。

・1992年6月、ブーディアフ大統領が武装イスラム教徒に暗殺される。

・1994年12月24日、アルジェリアの武装イスラムグループがエールフランス8969便をハイジャックする。

・1997年、武装イスラム集団が停戦を宣言。アルジェリア内戦の死者数は約15万人と伝えられている。

・1999年4月、大統領選挙。軍とアルジェリア民族解放戦線(FLN)の支援を受ける現職のアブデラジズ・ブーテフリカ大統領以外は選挙から撤退した。

・ブーテフリカ大統領は力で政府を支配したが、困窮した国民の生活を改善することも忘れなかった。

・2008年11月、アルジェリア憲法改正。大統領の任期制限が廃止される。

・2010年12月末、アラブの春に触発された人々が大規模な抗議活動を起こす。

・2019年4月末、5期目を目指したブーテフリカ大統領が大規模な抗議活動に屈し、辞任。

・2019年12月、アブデルマジド・テブンが大統領に就任。

文化(目次に戻る

アルジェリア/首都アルジェ

・アルジェリア料理は、アラブ、アマジグ、トルコ、フランス料理などが組み合わさって確立した。

主食はシリアル。これを使わない料理はほとんどない

・パン、子羊肉、牛肉、鶏肉、野菜、ハーブ、オリーブオイルは必需品。

・アルジェリアの音楽は海外で高い評価を受けている。(ティナリウェンは世界的な成功を収めた)

・映画産業は発展途上。政府および州政府は同産業に多くの予算を投じている。

・映画「Chronicle of the Years of Fire(1975年)」はカンヌ映画祭でパルムドールを受賞。

・識字率は約80%。

大学は25校以上。州立大学の学費は無料

・義務教育期間は9年。(小中学校:6歳~15歳)

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はサッカー。

サッカーアルジェリア代表チームはアフリカを代表する強豪チームのひとつ。2014年W杯では初のベスト16入りを果たした。

・ハンドボール代表チームも非常に強力。全アフリカ選手権、世界選手権、オリンピックなどで素晴らしい成績を残している。

・中距離走(陸上競技)でオリンピック金メダリストを複数輩出。

・ボクシングと柔道でもオリンピックメダリストを輩出。

・政府および州政府はスポーツ関連予算を少しずつ増やしている。

【有名スポーツ選手】
・タウフィク・マフルフィ(Taoufik Makhloufi)2012年ロンドンオリンピック金メダリスト、1500m他。

・ホシネ・ソルタニ(Hocine Soltani)ボクシング、オリンピック金メダリスト。

・アマル・ベニクレフ(Amar Benikhlef)柔道90kg級、オリンピック金メダリスト。

・ラフダル・ベルミ(Lakhdar Belloumi)サッカー、アフリカ史上最高のプレーヤーと呼ばれている。1982年のFIFAワールドカップで欧州チャンピオンの西ドイツを倒した試合は伝説として語り継がれている。

その他(目次に戻る

・ブーテフリカ大統領はアルジェリア内戦(南北戦争)で困窮した国民の生活を改善した。

独立戦争と内戦でボロボロになったアルジェリアを救ったのは、豊かな天然資源(石油と天然ガス)だった

アルジェリア/都市ベジャイア
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