アルバニア共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:アルバニア共和国(Republic of Albania)

首都:ティラナ(Tirana)

人口:3,057,220人(2020年推定)

面積:28,748㎢(北海道の0.3倍)

気候:地中海性気候
・沿岸部は穏やかな地中海性気候。
・内陸部は大陸性気候。気候は地域によって大きく異なる。
・低地の夏の平均気温は30~32℃。冬は7~9℃。
・高地の夏の平均気温は28~30℃。冬は4~5℃。
・低地の年間降雨量は1,000~1,500mm。雨はほとんど冬に降る。
・高地の年間降雨量は2,000~2,500mm。(推定)
・南西部地域は慢性的な水不足に悩まされている。

経済:
・開発途上国
・主要産業はサービス。(GDPの約54%)
・観光産業の発展に力を入れている。(GDPの約20%)
GDPは約153億ドル(2019年推定)
・夏の沿岸地域はヨーロッパを代表する観光スポットのひとつ。
EU非加盟国。(2021年1月時点:加入交渉中)
・1990年の共産主義体制崩壊後、GDPは半分以下に減少したが、農業や石油部門などの成長を受け緩やかに回復した。
・インフォールセクターの地域は少ないと考えられているが、詳細不明。
・貧弱なインフラの改修を進めているが、開発は思うように進んでいない。
・経済規模は他のヨーロッパの先進国と比較すると極めて小さく、貧弱。
・国内の全電力を水力発電でまかなっている。

人種:
・アルバニア人 82.6%
・ギリシャ人 0.9%
・マケドニア人 0.2%
・アルーマニア人 0.3%
・モンテネグロ人 0.01%
・その他

言語:
・アルバニア語 98.7%(公用語)
・ギリシャ語 0.54%
・マケドニア語 0.16%
・その他

宗教:
・イスラム教 58.9%(2011年国勢調査)
・キリスト教 16.8%
・無宗教 8%
・興味なし 16.4%

アルバニア共和国

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大統領:イリール・メタ(Ilir Meta)
首相:エディ・ラマ(Edi Rama)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領。議会が選出する。
・首相は与党から選出される。
・議会を取り仕切る首相が事実上の最高権力者。
・一院制。(議員定数:140人)
・参政権は18歳以上。

法律:アルバニアの憲法
・裁判所は、「最高、中級、地方」の3つに分類される。
・フランスの法制度を踏襲している。
・司法の独立を憲法で保障している。

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年1月時点)

治安:平和
・近年、国内で紛争やテロは発生していない。
・コロナウイルス、麻疹、風疹、狂犬病などの感染症に注意。
・窃盗や置き引きに注意。
・治安の悪い地域は少ないと伝えられているが、観光の際には現地の最新情報を確認したい。
・アルバニアの警察は酔っ払いの取り締まりに厳しいと伝えられている。飲み過ぎに注意。
・麻薬組織やギャングの活動拠点と考えられている地域には近づかない方がよい。

アルバニア共和国/サランダ

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は100社ほどと伝えられている。
・国営テレビ局は1局。
・民間テレビ局は60局以上。
・ラジオ局は約30局。
・法律で検閲を禁止している。
・報道と言論の自由を保障している。
・地方都市専用の無料公共ブロードバンドがある。
・インターネットの普及率は60~65%ほど。

【国営メディア/設立年】
・RTSH 1960年

【民間メディア】
・トップチャンネル
・TVクラン
・Vizion Plus
・その他

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2020年軍事力ランキング:115位

・軍人数:10,000人(推定)
  即戦力 10,000人
  予備兵 0人

・陸軍のみ保有

・国防予算:2.5億ドル

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1700年代

・1700年代、現在のアルバニア共和国および周辺国はオスマン帝国の支配下に置かれていた。

・アルバニア系貴族はオスマン帝国内でかなりの存在感を示し、政権運営に携わる者もいた。

・1700年代半ば、オスマン帝国の衰退を受け、アルバニア人は独立への道を模索し始めた。

・アルバニア人は領土内に州を形成し、オスマン帝国に抵抗する準備を進めた。

・一部の抵抗軍はオスマン軍に戦いを挑んだが、決定的な勝利を得ることはできなかった。

1800年代

・1800年代、オスマン帝国は衰退し続け、アルバニアを含む各地の勢力は独立に向けた戦いを本格化させた。

・1830年8月、アルバニアの指導者約500人と警備員など、合わせて1,000人以上がオスマン軍の襲撃を受け虐殺された。

・アルバニア人は虐殺事件に怒り、オスマン帝国への反乱を激化させた。

・1843年、ダーヴィッシュ・カーラの反乱勃発。(アルバニア反乱軍vsオスマン軍)

・1844年、ダーヴィッシュ・カーラの反乱終結、オスマン帝国が勝利した。

<ダーヴィッシュ・カーラの反乱>
両軍参加者:40,000~45,000人(推定)
両軍負傷者:数万人
両軍死亡者:15,000~20,000人(推定)

・1847年、8年以上続いたアルバニアの反乱が終息する。

・1878年6月18日、プリズレン連盟結成。(アルバニアを含むバルカン半島の連盟)

・オスマン帝国とプリズレン連盟軍は各地で小規模な戦闘を繰り広げ、戦いに巻き込まれた民間人数千~数万人が死亡したと伝えられている。

アルバニア共和国/教会

1900年~第一次世界大戦

・1910年5月、アルバニアの反乱勃発。(アルバニア反政府勢力vsオスマン帝国)

・1910年7月24日、アルバニアの反乱終結、オスマン帝国の勝利。反政府勢力軍および民間人数千人が虐殺された。

・1912年10月8日、第一次バルカン戦争勃発。(オスマン帝国、欧州諸国、欧州反乱軍の戦い)

・1912年11月28日、オスマン帝国からの独立を宣言。

・1913年5月30日、ロンドン条約締結、第一次バルカン戦争終結。

<第一次バルカン戦争>
参加者:300万~350万人(推定)
負傷者:50万~70万人(推定)
死亡者:30万~50万人(推定)

:1913年7月29日、「アルバニア公国」の成立を宣言。(ロンドン会議)

・1914年7月、第一次世界大戦勃発。

・アルバニア公国は戦場になり、政府は機能を停止した。

アルバニア公国の領土は、ギリシャ、ブルガリア、ハンガリー、モンテネグロなどに占領され、細かく分断された

・1918年11月11日、第一次世界大戦終結。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年1月、パリ講和会議。アルバニア公国の領土の大半がユーゴスラビア、イタリア、ギリシャに分割譲渡されることになった。

・1920年1月、アルバニア国民議会会議開催。アルバニア人はパリ講和条約の決定を拒否し、「他国への分割を許せば、戦争が始まるだろう」と警告した。

・1920年3月、アメリカがアルバニアに関するパリ協定に介入し、締結は回避された。

・1920年12月、国際連盟に加盟。アルバニアは領土の主権を認められた。しかし、イタリアに占領された一部領土は変換されず、国境問題も未解決のままだった。

・アルバニアの領土は欧州の大国に狙われ続け、政府はまともに機能しなかった。また、戦争で国内経済はガタガタになり、市民の生活は終戦後も一向に改善しなかった。

・1924年6月、六月暴動勃発。農民軍が首都ティラナを制圧し、首相はユーゴスラビアに逃亡した。

・1924年12月、ユーゴスラビアに逃亡した首相が首都ティラナを奪還し、「アルバニア公国」を廃止した。

・1924年12月、「アルバニア共和国」の設立を宣言。

・1928年、ゾグ1世が君主制への移行を宣言。新憲法制定、上院廃止、一院制体制を確立した。国王兼大統領兼首相に就任したゾグ1世は「アルバニア王国」の設立を宣言した。

・1932年、世界恐慌の影響でアルバニア王国の経済は総崩れになり、政府は債務を返済できなくなった。

・イタリアのムッソリーニ政権は、アルバニア王国にアメ(関税引き下げなど)とムチ(イタリア人の入植を認めさせる)を提供した。

・1934年、ユーゴスラビアおよびギリシャと貿易協定を締結。

・1939年4月7日、ファシストイタリアがアルバニア王国に侵攻。イタリア軍は数時間でアルバニアの港を完全制圧。ゾグ国王はギリシャに逃亡した。

・1939年4月7日、アルバニア王国はファシストイタリアの占領下に置かれた。(イタリアの入植)

・1939年9月1日、第二次世界大戦勃発。

・1943年9月、ファシストイタリアの降伏に伴い、ナチスドイツがアルバニア王国の全領土を引き継いだ。

・ファシストの支配に抵抗するアルバニア人は各地でゲリラ活動を展開した。

・1944年11月、ドイツ駐留軍撤退。アルバニアの反ファシスト共産党部隊が歴史的勝利を収めた。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

<第二次世界大戦:アルバニア王国>
参加者:数十万人(国連統計)
負傷者:数十万人(国連統計)
死亡者:約30,000人(国連統計)

終戦~現在

・共産主義者は王国時代の政権閣僚、野党議員、裁判官など、合わせて数千人をひとり残らず処刑した。また、処刑された者の家族、数千~数万人を労働収容所や刑務所に投獄した。

・1945年12月、人民議会選挙。共産党以外の立候補は認められなかった。

・1946年1月、人民議会成立。指導者のエンヴェル・ホッジャが「アルバニア人民共和国」の設立を宣言した。

・1956年、ソビエト連邦との同盟関係が破綻する。

・1978年、中国との同盟関係が破綻する。

・社会主義への移行後、アルバニアの経済は急速に発展した。

・1960~1970年、アルバニアの国民所得の年平均増加率は世界平均より29%プラス、欧州平均より56%も高かった。また、共産党は課徴金や税金を完全撤廃(世界で唯一)し、市民の生活は安定したと伝えられている。

・1985年4月11日、国を約40年間統治したエンヴェル・ホッジャが死去。

・1990年、共産党指導部が海外旅行を認める。

・1991年3月、議会選挙。共産党は政権を維持したが、他の民主政党と連立内閣を発足し、西側との関係強化を開始した。

・1991年3月、ラミズ・アリアが大統領に就任。

・1991年12月25日、ソビエト連邦解体。

・ヨーロッパの共産主義は崩壊し、アルバニア人もその潮流に乗った。

・1995年、北大西洋条約機構(NATO)への加盟を要請。

・1998年11月28日、新憲法批准。法の支配に基づく民主的な政治システムを確立し、基本的人権の尊重を保障した。

・1998年11月28日、「(民主)アルバニア共和国」の設立を宣言。

・2000年10月、地方選挙で社会主義勢力が台頭した。

・政府は民主的な改革と法の支配の維持に努めた。

・2009年、NATOに加盟。

・2013年6月、議会選挙。社会党が勝利し、エディ・ラマが首相に就任した。

・ラマ首相は経済の近代化と司法や法執行機関などの完全な民主化に焦点を当てた改革を実行した。結果、失業率は着実に減少し、経済は緩やかに成長した。

・2014年6月、欧州連合(EU)への加盟を要請。現在も加盟交渉中。

・2017年4月、議会選挙。社会党が勝利し、ラマ首相は続投。イリル・メタが新大統領に就任した。

文化(目次に戻る

イスラム教とキリスト教文化が平和的に共存している

・民族の文化と伝統が社会活動に大きな影響を与えている。

・オダと呼ばれる部屋にゲストを招き、歓迎する文化がある。

・ゲストを手厚くもてなす「おもてなし」文化が根付いている。

・沿岸部のシーフード料理が人気。

・オリーブオイルをこよなく愛している。

・若者は西洋のポップカルチャーをこよなく愛している。

アルバニア共和国/観光地

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はサッカー。

・2015年、サッカー代表チームのFIFAランキングは22位まで上昇した。

・人口300万人の国(茨城県と同じぐらい)とは思えないほどスポーツ部門に力を入れている。

・強豪ひしめく欧州選手権でメダルを数十個獲得している。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

その他(目次に戻る

・沿岸地域はヨーロッパを代表する観光スポットのひとつ。

植民地化、ファシストとの戦い、共産主義の台頭などを経て、20世紀末にようやく民主化を達成した

アルバニア共和国/首都ティラナ
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