『kenta475699』です。
九州地方のガチでヤバいおすすめ?心霊スポットを紹介します。現地に行った結果、呪われた、お腹が痛くなった等の申し出は一切受け付けません。全て自己責任でお願いします。 なお、個人的な主観で選んでいることをご理解下さい。
目次
・戦地や墓地の多い九州地方
・伝説の島
〇九州地方のおすすめ?心霊スポット
1.菊姫の首塚(福岡県宮若市倉久 )
2.旧仲哀トンネル(福岡県京都郡みやこ町)
3.岡藩 鏡処刑場跡(大分県竹田市大字会々)
4.キリシタン殉教記念公園(大分県大分市葛木)
5.虹の松原(佐賀県唐津市)
6.岸岳城跡地(佐賀県唐津市)
7.富岡吉利支丹供養碑(熊本県天草郡苓北町富岡)
8.田原坂公園(熊本県熊本市田原坂)
9.仏舎利塔(宮崎県宮崎市青島)
10.青島グリーンパーク(宮崎県宮崎市折生迫)
11.城山公園(鹿児島県霧島市)
12.開聞トンネル(鹿児島県指宿市開聞川尻)
13.ムー大陸博物館(鹿児島県指宿市開聞十町)
14.万座毛(沖縄県国頭郡恩納村)
15.嘉数高台公園(沖縄県宜野湾市嘉数)
まとめ
戦地や墓地の多い九州地方
戦国時代の九州地方は、大名家が生死を懸けた戦いを繰り広げていました。島津、大内、大友を中心とした争いは混迷を極めます。豊臣家や徳川家のような”大”大名がおらず、実力が拮抗していたのが要因のひとつでした。戦いは長期化する傾向にあり、数えきれないほどの民が命を落とします。なお争いが落ち着いても、疲弊した国はまともに農作物等の収穫も出来ず戦死者以上の餓死者を出したと言われています。
江戸幕府擁立後は、九州地方もある程度安定します。しかし、1800年代に入ると様相は一変しました。明治維新に関連する争い、戦争、飢饉で再び九州地方で多くの民が命を落とします。しかし、戦国時代から明治維新までの戦いをはるかに超える地獄は、まだ始まってもいませんでした。”第二次世界大戦”では、数十万人の市民が空襲や地上戦で命を落としたのです。正確な死者数は現在でも分かっていません。最大の死者数を記録した出来事は”沖縄での地上戦”で、約188,000人、次に多いのが”長崎への原爆投下”で約75,000人です。
九州地方には多くの戦地、墓地があります。歴史的な遺産から地元の方でも知らない場所まで様々ですが、全ての場所に共通していることがあります。そこに行けば、亡くなった方たちの魂を感じることが出来るのです。私は”非常に感じやすい”タイプらしく、戦地や墓地に踏み入ると死者たちに声をかけられたような感覚に陥ります。身内の墓参りも必ず天気の良い昼間に行かなければなりません。子供の時、嫌々肝試しに参加し、ガチで💩💩💩を漏らしました。なお、脅かされたからではなく、お化け役として墓地で待機していた時のことです。
今回紹介するおすすめ?心霊スポットは、観光地として有名な場所もあります。人が大勢いる時であれば問題ないかもしれませんね。しかし、暗くなると様相が一変します。あくまで紹介するだけなので、不用意に足を踏み入れない方がいいかもしれません。なお、”霊などクソくらえだ”と言う方は、ぜひ夜中に現地を訪れて下さい。何が出るかは行ってからのお楽しみです👻
伝説の島
九州地方には、地上から消えてしまった伝説の島が数多くあります。”冗談は顔だけにしろ”と思われる方。海の底に沈んだ島を想像してください。金銀財宝や未知のお宝があるかは分かりませんが、ワクワクしないようであれば、心が疲れている証拠です。仕事ばかりしてると”社畜”になりますよ。伝説の島が本当にあったと証明することは出来ませんが、文献等に記録が残っていることと、活火山の密集した九州地方を足せば答えは見えてくるはずです。
大分県の近海にあったといわれる”瓜生島(うりゅうじま)”は、一晩で消滅したと文献に残されています。地上から消えて理由は誰にも分かりませんが、大規模な火山活動で島が丸ごと吹き飛んだ、もしくは沈んだと考えるのが一番しっくりきます。種子島の北東にある”鬼界カルデラ”が約7000年前に起こした”超極大カルデラ破局噴火”は、九州地方の縄文文明を根絶させたと言われています。火山が本気を出せば、島一つ消し飛ばすことなど造作もないでしょう。なお、阿蘇カルデラがガチ噴火すれば、成層圏まで飛び出した火山灰の影響で地球は氷河期になるそうです。日本が滅ぶのは言うまでもありません。
伝説の島には、多くの島民が住んでいた”かも”しれません。九州地方は、世界でも有数の活火山密集地帯です。我々現代人が経験したことのない超巨大噴火で命を落とした者がいてもおかしくありません。彼らの霊に会えるかは分かりませんが、もし私がコンタクトを取れた時は、伝説の島の話を聞きたいと思っています。
九州地方のおすすめ?心霊スポット
菊姫の首塚(福岡県宮若市倉久 )(目次に戻る
福岡県宗像市にある”山田地蔵尊 増幅院”は、地元の方たちに親しまれている寺院です。この付近は福岡市中心部から少し離れていますが、開発が少しずつ進み今ではベットタウン的存在になりつつあります。春になると桜が美しく咲き乱れ、秋は周囲の山々が真っ赤に染まる素晴らしい寺院です。さらに、歴史的価値の高い文化財として認められており、歴史の営みを感じさせる施設や資料等を多数有しています。
増幅院は、この地で命を落とした”菊姫”の菩提所(位牌を納めている)として知られています。過酷な家督争いに巻き込まれこの地まで逃げ延びましたが、追っ手に捕らえられ斬首されました。遺体は弔われることなくその場に埋められます。結果、「菊姫の首塚」と呼ばれる小さなスペースが心霊スポットとして恐れられるようになったのです。この地に出来た増幅院は、斬首されその場に捨て置かれた菊姫たちを弔っています。
なお、菊姫の首塚は正式名称ではありません。地元の方たちは”乳授け地蔵”と呼んでおり、観光パンフレット等にも記載されています。増幅院から徒歩30分ほどの山中にあり、手入れされていない雑木に周囲を覆われている状態です。登山者が入ることもないようで、林道も整備されていません。正直、不用意に近づかない方がいいでしょう。なお、時期によってはマムシやスズメバチが出る可能性もあります。どうしても見に行きたい方は、防護対策を整えた方がいいかもしれません。
私はお線香と花を持って現地に向かいました。当日は快晴でしたが、雑木林に入ると陽が遮られ薄暗くなります。菊姫の首塚は思いのほか綺麗に整理されていました。増幅院の方もしくは地元民が定期的に訪れているようです。お花を添え線香を上げ、斬首された菊姫たちに祈りを捧げました。周りには外灯ひとつなく、夜に訪れるのは本当に危険なのでやめましょう。霊だけでなく、野生動物に遭遇するかもしれません。私の友人が”地蔵を頂こう”と冗談を言ったので、”ふざけるな”と一喝したことを覚えています。
増幅院に戻り車に乗り込むと、友人が”お腹が痛い”と呻きだしました。菊姫の怨念かはたまた食べ過ぎかは分かりませんが、”乳受け地蔵”を訪れた際は非業の死を遂げた者たちのことを想い、必ず祈りを捧げるようにしましょう。その後友人は一週間体調を崩しました。
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<山田地蔵尊 増幅院 ホームページ>
旧仲哀トンネル(福岡県京都郡みやこ町)(目次に戻る
福岡県京都郡(みやこぐん)みやこ町を走る国道201号線は、”仲哀峠”と呼ばれ交通の要所として知られています。人口20,000人弱の町民が利用し、福岡県民にとっても欠かせない道路と言えます。この峠はカーブが多く、事故多発地点としても有名です。綺麗に舗装され無茶な運転をしなければ走りやすい道ではありますが、冬になると路面凍結と雪でチェーンもしくはスタッドレスタイヤが必須になるため、注意しましょう。
国道201号線が整備される以前、町民は”旧道”を利用していました。この道は現在も通行することが出来ます。しかし、途中にある「旧仲哀トンネル」は落盤の恐れがあるため、通行止めになっています。非常に狭い道でガードレールのない箇所も多く、離合できないポイントがいくつもあります。現在も旧道を利用しているのは、周辺の地主や林道管理者ぐらいとみやこ町役場の方に教えていただきました。
国の有形文化財にも登録されている旧仲哀トンネルは、知る人ぞ知る心霊スポットとして恐れられています。その理由は、50年以上前に起きた殺人事件の舞台になったこと。そして、交通事故等が多発したことなどが挙げられます。しかし、何より恐ろしいのはこのトンネルが120年前に人力で掘られて施設であることです。この周辺は”炭鉱の町”として栄え、多くの労働者が行き来しました。現代のように安全管理が徹底されている訳もなく、多くの者が命を落とした地と言われています。旧仲哀トンネルを開通させる際も同じでした。頑強な岩山に作られたトンネルではありますが、工事中に死亡事故が無かったと考える方が難しいでしょう。
旧仲哀トンネルは今でも歩いて通行出来ます。しかし、落盤の危険性が高いため推奨出来ません。またフェンスも設置されており、許可なく立ち入れば罰せられる可能性もあります。肝試しで通行されている方もいるようですが、やめた方がいいでしょう。私は外から入り口眺めるだけにしました。殺人事件の舞台として恐れられていますが、炭労やトンネル工事中の事故で亡くなった方たちの霊の方が100倍恐ろしいです。
なお、みやこ町役場と図書館で旧仲哀トンネルの工事記録を探しましたが、現存していないことが分かりました。事故記録等も残っておらず、死亡事故が発生したかも分からないと担当者の方にお聞きしました。現代のトンネル工事は、安全対策が整っており死亡事故が発生することはほとんどありません。しかし前述の通り、旧仲哀トンネルは120年以上に前に人の手によって掘られ開通しています。違法な環境で働かされていた労働者がいても不思議ではありません。この近くでツルハシを持った人を見かけたら、生霊だと思いましょう。
外部サイトへのリンク
<仲哀峠 Wikipedia>
岡藩 鏡処刑場跡(大分県竹田市大字会々)(目次に戻る
温泉の街として有名な大分県には、毎年多くの観光客が訪れています。特に”別府温泉”と”湯布院温泉”は、日本でも3本の指に入る超有名温泉街です。またシイタケ、とり天、からあげなどの特産品でも有名ですね。今回紹介する「岡藩 鏡処刑場跡」も、一応観光地としてパンフレット等に明記されています。しかし、名前を聞いただけで”楽しい場所ではない”と確信を持たれるはず・・・
竹田市大字会々にある鏡処刑場跡は、戦国時代から江戸時代初期にかけて”使われた”と記録が残っています。迫害を受けた隠れキリシタン、罪人、大名家に逆らった者たちがこの地で処刑されたのです。現在は墓が建てられており、当時の様子を伺い知ることは出来ません。また観光ツアー等も行われており、昼間はそれなりに人の出入りがあります。しかし、夜になると人の姿はなく外灯もほとんどないため、恐怖の心霊スポットに様変わりします。出入りは自由なので車を使って現地へ向かいましょう。
この地で命を落とした者の数は分かりません。役場の方曰わく、記録等も残されておらず処刑場であったこと以外は不明とのこと。ここでは、不当な嫌疑をかけられて処刑された者たちが多々いました。キリスト教を信仰しただけで殺されるなど、現代の日本では絶対に考えられないことです。信教の自由は”日本国憲法”にも謳われています。しかし400年以上前では異端と罵られ、斬首、さらし首にされたのです。昼間でも首のない霊が現れるので注意しましょう。
当時の日本には処刑場があちこちにありました。普通に近所の河原で公開処刑が行われていたのです。罪を犯した者たちが裁かれるのは当然でしょう。しかし、鏡処刑場跡では信教の自由を侵害された者たちが非業の死を遂げていました。キリストを信仰した結果、多くの者がこの地で命を落としたのです。比較的立ち入りの容易な心霊スポットとして紹介しますが、呪われた場合は自己責任でお願いします。また非常に強い怨霊を感じるため、極力二人以上で行動しましょう。刀を持った武士や首のない遺体を見た時は、線香をたきお経を唱えるしかありません。興味のある方はぜひ!
外部サイトへのリンク
<大分県観光情報公式サイト 鏡処刑場跡>
キリシタン殉教記念公園(大分県大分市葛木)(目次に戻る
九州地方で起きた”島原の乱”では、多くのキリスト教信仰者が殺されました。日本の歴史上最大の”一揆”が発生、鎮圧して以降も、日本各地でキリシタンへの厳しい迫害と弾圧は継続されました。島原の乱から約20年後、大分県大分市でも同じような事件が発生します。「キリシタン殉教記念公園」は、非業の死を遂げた殉教者たちを供養する目的で整備され、現在では多くの観光客が訪れています。
国道21号線沿いにあるキリシタン殉教記念公園は、緑に囲まれた美しい景観が印象的です。四季を問わず市民の憩いの場にもなっており、入園料もかかりません。”市街地のど真ん中に心霊スポットがあるのか?”と思われる方もいるでしょう。残念ながら、この公園には200名以上の殉教者たちの魂が彷徨っていると噂されています。なお正確な死者数は誰にも分かりません。一説には1000人以上という話もあるそうです。ひとつ確かなのは、この地で起きた大規模な迫害により罪のないキリシタンが殺されたことだけです。
私は約1年前にここを訪れました。昼間に園内を散策した時は、それなりに人の出入りがあり、不穏な気配を感じることはありませんでした。敷地も決して広くないため、木々に覆われたスペースでも容易に立ち入れる印象です。しかし、夜になると事態は一変しました。国道や住宅街からの明かりは入ってきますが、人の姿もほとんどなくなり、危険度は一気に急上昇。たまに公園内を歩く人の姿を確認出来るも、本当に人間なのかも分からない状態でした。地元民曰わく、”夜になると人魂がたくさん飛んでるよ”とのことです。
正気じゃないと思いましたが、信教の自由を侵害された罪のないキリシタンたちの魂は、今でもこの公園を彷徨っているのかもしれません。”霊などクソくらえ、立ちションしてやるぜ”という感じの酔っぱらいを見ましたが、改めて考えると彼も本当に人間だったのかと不安になります。写真や映像であれば、人魂を移すのは簡単だと聞きました。しかし到底試す気にはなれず、ガチガチ震えながらホテルに戻ったことを覚えています。キリシタン殉教記念公園で多くの殉教者が出たことは紛れもない事実です。今回心霊スポットとして紹介はしましたが、立ち入る際は亡くなった人たちへの挨拶を忘れてはいけませんよ。夜中、無断で”住処”に入られて気分のいい霊などいません。
外部サイトへのリンク
<大分市観光協会 キリシタン殉教記念公園>
虹の松原(佐賀県唐津市)(目次に戻る
九州一魅力のない街と言われる佐賀県には、吉野ケ里遺跡、ワラスボ、ワケノシンノスなどの名所や特産品があります。しかし、沖縄の海、大分の温泉、鹿児島の桜島のように集客力のある観光地はなく、中途半端なポジションから脱却出来ずにいるのが現状です。しかし、私は不穏な心霊スポットの穴場として佐賀県を推したいと考えています。”嬉しくねえよ、このドアホ”と怒りの正拳突きを見舞いたい佐賀県民もおられるでしょう。しかし、一大心霊スポットとして認定されれば怖いもの見たさの観光客たちが押し寄せてくるでしょう。
佐賀県の超危険心霊スポットのひとつが「虹の松原」と呼ばれる松林です。唐津市の北部に広がる広大な敷地には200万本を超える松の木が植えられており、防風林の役目を果たしています。日本の海岸線によく見られる光景ですね。風や津波を防いでくれる有難い松林が心霊スポットとして有名になった理由は、その地域で起きた過去の出来事にありました。”虹の松原一揆”は、一滴の血も流れずに集結したと言われています。しかし、それを主導した者たちは藩によって処刑されてしまったのです。また、虹の松原一帯は自殺の名所として知られており、あまりいいイメージをもたれていません。
周辺には道路や海水浴場もあり、それなりに人の往来はありますが、松林に立ち入る者はほとんどいません。この付近一帯は”保安林”に指定されており、伐採業者等の出入りもないそうです。地元民も道路を通行するぐらいだと大分県に住む知人から聞きました。しかし、虹の松原は知る人ぞ知る心霊スポットとして注目されています。私は先月この付近を散策しました。近くまで車で移動し、一人で松林に突入したのです。
虹の松原に入って分かったことは、”夜には近づくな”ということです。唐津市役所の市民課を訪れて事前に話を聞いてはいましたが、一人で入るのは昼間でもおすすめしません。イノシシや野犬、シカ、サル、リス、タヌキなどの動物がウロウロしており、夜にもなれば辺りをうろつく霊と区別がつきません。身の危険を感じ、1分でその場を離れました。敷地も広大で段差も多く、暗い中歩くのは自殺行為といえるでしょう。人魂や周囲を徘徊する霊の目撃情報も絶えないことから、心霊スポットというより”超危険区域”として認識頂きたいと思います。どうしても入りたいという方は、複数人で装備を整えて突入しましょう。なお、警察が定期的にパトロールを行っているので、補導されないように注意して下さい。
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<佐賀県の観光情報ポータルサイト あそぼーさが>
岸岳城跡地(佐賀県唐津市)(目次に戻る
佐賀県の史跡に認定されている「岸岳城跡地」は、唐津市観光協会でも紹介されている観光地です。本体は残されていませんが、石垣や階段、堀の跡などが残っており、城マニアや”城ガール”には垂涎ものの施設といえるでしょう。しかし、岸岳城の主”波多氏”が歩んだ道と最期を知れば、不用意に近づこうという気は失せてしまいます。”戦国時代の出来事など知らん!このうつけ者め”と激昂された方。現地を訪れる際には、その土地で起きた歴史を勉強すべきと提言させてもらいます。
波多一族を蹂躙し家臣たちを追い詰めたのは、戦国時代を治め全紇統一を果たした”豊臣秀吉”です。朝鮮出兵を拒否したことが原因でした。全国から九州に集まった”大”大名の一団に敵う訳もなく、波多一族は粉砕されます。覇王秀吉の指示は徹底しており、女や子供も見逃すことはありませんでした。城主は追放され、それを嘆いた多くの家臣がこの地で腹を切ったと言われています。さらに女や子供が蹂躙されることを案じた者たちは、自ら家族を手にかけました。岸岳城跡地周辺には、”姫落としの谷”や”百人腹切り塚”という名のスポットも存在します。
岸岳城跡地の保存状態は非常に良く、”何か”が出てくるような雰囲気を醸し出しています。地元民には超有名な心霊スポットとして知られており、ここを訪れる城マニアや城ガールが心配だと頭を抱えている人もいるほどです。自殺の名所にはなっていないようですが、施設に立ち入った者は体調が悪くなるという伝説もあるそうです。私は先月ここを訪れ、自宅に戻ってすぐインフルエンザを発症しました。”予防接種を受けなかったのか?この馬鹿め”と嘲笑された方。岸岳城跡地にぜひお越しください。なお、夜は普通に危ないのでやめましょう。転んでケガをするぐらいではすみませんよ。
戦国時代、一族皆殺しは全く珍しくなく、日常的に行われていました。波多氏より酷い運命を辿った者もたくさんいます。城巡りが流行し、九州各県も城やその跡地を観光の目玉として大きくアピールするケースが増えています。観光地として繁盛することは素晴らしいと思います。しかし、まずはそこで過去に起きたことを理解しなければなりません。数千人が命を落とした城もあるでしょう。怨霊がいればあなたやあなたの家族が大変な目に合います。心霊スポットに立ち入る際は、死者に一声かけて突入して下さい。生きて出られない可能性もありますが、その時はあなたの行いが悪かったということです。
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<唐津観光協会 公式ホームページ>
富岡吉利支丹供養碑(熊本県天草郡苓北町富岡)(目次に戻る
九州地方でもトップクラスの心霊スポットとして恐れられているのが、「富岡吉利支丹(とみおかきりしたん)供養碑」です。しかし、観光地としての知名度も高く、毎年多くの観光客を誘致しています。”史跡名勝天然記念物”にも認定されており、熊本県のパンフレットには必ず名前が出てきます。熊本市の中心部から距離はありますが、観光の方、そして心霊スポット巡りをされている方は、必ず立ち寄って頂きたい場所です。
ここには島原の乱で命を落とした3000人以上の”キリシタンの首”が埋葬されています。数の多さに度肝を抜かれたと思いますが、戦いの最中に命を落とした死者の”3分の1”が葬られているに過ぎません。国内史上最大の一揆は、キリスト教の迫害が原因で起こったものと考えられています(諸説あり)。富岡吉利支丹供養碑は、亡くなったキリシタンたちの魂を静める為に作られたのです。
有名観光地として知られ、市民からも支持されている富岡吉利支丹供養碑は、命を落としたキリシタンたちの魂が眠る心霊スポットとして恐れられています。ここを訪れて最初に感じたことは、自分の足元に3000人の首が埋まっているという畏怖の念です。異端というだけで殺された者たちが、無念の最期を迎えたことは想像に難くありません。今でこそ観光地になっていますが、不用意に人が立ち入っていい場所ではない気もします。慰霊碑は眺めの良い場所に建てられており、建立者の気づかいと優しさ、そして命を落とした者たちへの配慮が感じられます。
地元民の間では、”夜に訪れると首だけが宙を舞っている”、”無数の人魂が飛び回っている”など、恐ろしい逸話がいくつも残されています。私は夜に2度訪れたことがあります。2度とも満点の星空に迎えられ、さらに素晴らしい夜景まで堪能出来ました。しかし、慰霊碑の近くには恐ろしくて近づけませんでした。島原の乱で起きたことを詳しく知らなければ、お線香をあげていたかもしれません。3000人の魂が眠る富岡吉利支丹供養碑を訪れる際には、お花とお線香を準備しましょう。死者を供養する気持ちがあれば、あなたの目の前に霊が現れることは”たぶん”ないでしょう。
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<一般社団法人 天草宝島観光協会 ホームページ>
田原坂公園(熊本県熊本市田原坂)(目次に戻る
心霊スポットとして恐れられる場所には類似点があります。過去に大きな戦争が起きた、多くの人が亡くなった、殺人事件があった等々です。九州地方も同じ傾向にあり、人々から恐れられる場所は大抵過去にとんでもない出来事が起こっています。その代表的存在といえる「田原坂公園」は、日本最後の内戦”西南戦争”の激戦地として知られています。鹿児島の偉人”西郷隆盛”率いる反乱軍vs明治政府軍の戦いは、13,000人以上の死者を出しました。
熊本市にある田原坂公園は、市民の憩いの場になっています。広い敷地には木々が鬱蒼と茂り、春になると桜を目当てに多くの観光客が訪れます。年末以外は開園しているため、ランニングや散歩コースとして利用されている方も多いようです。西南戦争の歴史を紹介する”西南戦争資料館”などの施設もあり、歴史を勉強するにはもってこいの場所と言えるでしょう。しかし、この公園は夜になると”真の姿を現す”と恐れられています。
田原坂の戦いで亡くなった兵士は3,000人弱と言われています。また、元々この地に住んでいた民の多くも戦争に巻き込まれ命を落としました。公園内にある”無縁墓地”が戦いの激しさを物語っています。夜に訪れると、人魂が出るのは当たり前。馬に乗った少年が追いかけてくる。林の中から無数の足音が聞こえるなど、怪現象を体験された方がたくさんいるのです。命を落とした兵士の中には、自分が死んだことに気づいていない者もいるのでしょう。私がここで見た霊は”銃を持った若い青年”でした。その場に正座しお経を唱えたおかげで難は逃れましたが、成仏出来ていない死者がたくさんいることは間違いありません。
過去の歴史を知るうえでも、田原坂公園は後世に残さなければなりません。そして、最恐の心霊スポットとしても恐れられるべきだと個人的には思いました。この地で多くの命が失われたことは紛れもない事実です。そのことを絶対忘れない為に、成仏出来ない霊たちが奮闘しているのです。公園を汚す連中がいれば、銃を手に襲いかかってくるでしょう。熊本の自然、西南戦争、そして心霊スポットに興味のある方は、ぜひ田原坂公園にお越しください。なお、昼間でも霊の目撃情報はあります。明るいから大丈夫と油断すれば、背後から首をかき切られることになりますよ。
外部サイトへのリンク
<熊本市観光ガイド 西南戦争資料館、田原坂公園>
仏舎利塔(宮崎県日向市日知屋櫛の山)(目次に戻る
世界中に建てられている「仏舎利塔」は、宮崎県日向市にもあります。仏教世界の神王”釈迦”の遺骨が納められている塔は、一般的な建造物とは明らかに異なる外観をしており、不気味に思う人も少なくありません。日本にある仏舎利塔は、戦後の復興と平和を願う象徴として建てられたものがほとんどです。なお私は”チーム仏教”ではないため、釈迦や”シャカシャカ”など知ったことではないという人間です。しかし、この地を訪れた回数は先月で5回目・・・理由は”霊”が出るからです。
仏舎利塔のある日向市”櫛の山公園”は、素晴らしい景色と自然を楽しめます。日向市はサーフィンのスポットとして有名です。しかし、公園に観光客はほとんどこないと現地民にお聞きしました。宮崎市中心部から離れているため、わざわざ県北部の海岸線沿いには足を運ばないのかもしれません。なお櫛の山公園は桜の名所として有名で、季節になると地元の方たちが花見に訪れます。仏舎利塔本体は公園の山頂にあり、そこからも美しい桜を眺めることが出来ますよ。
前述の通り、日向市の仏舎利塔も戦後の復興と平和を祈念して建てられました。この地で人が亡くなったり殺されたという話は地元民も知らないと言っています。400年以上前に”日知屋城”というお城があったそうですが、大きな戦争や虐殺等が起こったという記録は見つかっていません。しかし、仏舎利塔にはなぜか霊が頻繁に出没します。私は計5回ここを訪れていますが、毎回不思議な体験をしています。なお仏舎利塔の近くには、”一家惨殺事件”の舞台になった住宅があると噂されています。しかし地元民曰わく、そこはただの空き家で殺人現場ではないとのことでした。
戦後の平和を祈って建てられた施設には、近くにいる霊たちが集まってくるのかもしれません。2年前に見た子供の霊は、嬉しそうに塔の周りを走り回っていました。一瞬本物の子供かと思いましたが、数秒後には突然姿を消してしまったのです。真昼間の出来事で、写真を撮る暇さえありませんでした。仏舎利塔に現れる霊たちは、成仏したくて釈迦の元を訪れているように思えます。
最後に、地元民に聞いた恐ろしい話を紹介します。数年前、ヤンチャ盛りの男二人が仏舎利塔に”小便”をぶっかけたそうです。彼らはオフロードバイクで山頂付近まで登っていました。用を足し終えた二人がバイクに乗ると、突然アクセルが全開になったそうです。そのまま棖に向けてフルスピードで正面衝突・・・しかし、気がつくと人の姿はなく、無人のバイク二台が残されていました。目撃者は、仏舎利塔の内部に吸い込まれたと証言したそうです。なお、男たちは現在も行方不明者扱いになっています。
外部サイトへのリンク
<仏舎利塔 基本情報>
青島グリーンパーク(宮崎県宮崎市折生迫)(目次に戻る
小規模な植物公園兼宿泊施設として建設される予定だった「青島グリーンパーク」の残骸は、陽の目を見ることなく閉鎖されてしまいました。”有限会社青島グリーンパーク”は実態のない”幽霊企業”になっています。宮崎に住んでいる知人曰わく、建設途上で資金繰りに行き詰まり夜逃げしてしまったそうです。資金を融資した銀行は”不良債権”を背負わされることになりました。なお、私の住む鹿児島でも似たような話はいくつもあります。中途半端に建設されたホテルや公園が残され、県が泣く泣く処理費用を負担するパターンが多いですね。
青島グリーンパークの残骸は、現在も建設当時の姿を残しています。敷地も広大で処理、維持費用のことを考えると、宮崎県も手が出せないのでしょう。廃校と化した施設は、心霊スポットとして有名になりました。入り口が全開なので誰でも入ることは出来ますが、地権者の許可なく入ると罰せられる可能性もあります。青島グリーンパークの管理者が知りたい方は、法務局に行けばすぐ分かりますよ。
敷地内に突入すると、ボロボロの廃屋が現れます。長い間風雨にさらされてきたことがひと目で分かりました。崩壊する恐れもあるので、とても入る気にはなれません。舗装された道をさらに進むと、野生動物のフンがあちこちに転がっていました。当然手入れは全くされていません。草を掻き分け奥を目指すと、ボロボロの宿泊施設(と思われる)が視界に飛び込んできます。霊がいるかは分かりませんが、シカやタヌキ、キツネにサルがいることは間違いありません。夜に入るのは非常に危険なので絶対やめましょう。
心霊スポットではなく”ジャングルスポット”と化した青島グリーンパークの残骸には、立ち入らない方が無難です。霊に会う前に野生動物の襲撃を受ける可能性が高いでしょう。外から見ると不気味な雰囲気を醸し出していますが、おすすめ心霊スポットとは到底言えません。地元民曰わく、”さっさと取り壊してほしい施設の筆頭”と嘆いていました。青島グリーンパークは”別の意味で”近づいてはいけない心霊スポットと言えるでしょう。
外部サイトへのリンク
<青島グリーンパーク 廃坑検索地図>
城山公園(鹿児島県鹿児島市)(目次に戻る
鹿児島県鹿児島市にある「城山公園」は、西郷隆盛終焉の地として全国的にも有名な観光スポットです。地元民からも絶大な支持を受けており、散歩やランニング等で利用されている方もいます。また西南戦争の最終決戦地とは思えない美しさを誇っており、桜や紅葉の季節には多くの観光客が訪れます。”そんな場所が心霊スポットになり得るのか?”と思われた方。ご安心下さい。ここは知る人ぞ知る”心霊スポット”として人気を博しているのです。なお、鹿児島県霧島市にも同じ名の公園があるので注意しましょう。
私は100回以上城山公園遊歩道を歩いてきましたが、何度となく霊を目撃しました。熊本市にある”田原坂公園”と同じで、多くの戦死者を出した激戦地だからかもしれません。数千人の命が散った地であり、成仏出来ない者に出会う可能性も高いはずです。ここの展望台から見る桜島は何度見ても飽きることがありません。もしかすると霊たちも桜島を見に来ているのでしょうか・・・
城山公園は立ち入り自由のため、好きな時間に入ることが出来ます。心霊スポット巡りをされている方は、ぜひ夜に訪れて下さい。ただし、夏休みや天候の良い日は意外と混雑します。美しい夜景を見れるスポットとしても人気で、真夜中も人の出入りが頻繁にあります。なお、城山公園の近くには色々な史跡があり、そちらも隠れた心霊スポットとして人気です。西郷隆盛たちが最後にたてこもった洞窟や、自害した地も名所になっています。残念ながら、西郷さんの霊を見たという方は一人もいません。
西南戦争の最終決戦地になった城山公園には、たくさんの心霊スポットがあることを理解いただけたと思います。最後に、鹿児島県”霧島市にある城山公園”を少し紹介します。こちらには多目的広場やアスレチックなどの施設があり、家族連れで訪れれば1日遊べるでしょう。なお、営業時間が決められているので気をつけて下さい。ここでは過去に”死体遺棄事件”や自殺が発生しています。公園の管理事務所で働く友人曰く、”閉園時間を過ぎても、アスレチックで遊んでいる子供たちがいる”とのこと。頻繁に目撃するため意を決して注意しすると、皆林の中に逃げ込んでしまうそうです。
外部サイトへのリンク
<鹿児島市 西南戦争最終決戦地 城山>
開聞トンネル(鹿児島県指宿市開聞川尻)(目次に戻る
日本百名山にも選ばれている”開聞岳”は、毎年多くの登山者を受け入れています。周りに他の山はなく、美しい円錐型が目印です。鹿児島県指宿市を訪れた際にはぜひ立ち寄って頂きたいスポットのひとつです。そのすぐ近くにある「開聞トンネル」は、鹿児島県民の間でもかなり有名な心霊スポットとして知られています。1号トンネルと2号トンネルがり、車での通行も一応可能です。
開聞トンネルが心霊スポットとして有名になった理由は、人を寄せ付けぬ不気味な雰囲気と洞内に照明がひとつも設置されていない為です。”そんなトンネル全国にいくつもある”と思われるでしょう。しかし、700mを超えるのに照明ひとつないのは”マジで問題大あり”です。天井に外の明かりを取り込む開放部はありますが、通行する際は安全対策を十分に行いましょう。なお、徒歩で通行する場合は懐中電灯が必須です。トンネルの幅は異様に狭く、車1台通行するのがやっとです。対向車との離合は不可能、人をかわすことも困難。自分がいると”意思表示”しないと、轢かれて命を落とすことになるでしょう。
指宿市役所に務めている女友達曰わく、開聞トンネルは”いわくつき”の設備で、開通時から事故が絶えなかったとのこと。記録は残されていないが、子供が事故死したという”噂”まであるそうです。真実を突き止めるべく市立図書館に向かいました。しかし、残念ながら開聞トンネルに関する事故資料、新聞記事等は残されていませんでした。地元民の中でも意見が分かれており、何が真実か分からない状態です。昔小学生がひき逃げされ、バラバラの状態で発見されたとも聞きました。いずれにしても、いわくつきの設備であることは間違いありません。
小心者の私は軽自動車で通行しました。噂通りトンネル内で離合するのは不可能であり、ドアも開けられない状態です。ところどころにある天井の開放部から”女性が覗き込んでくる”と話を聞いていたので、一回所ずつ車を停めて確認しました。女友達は”さっさと脱出しろ”と罵声を浴びせてきますが、知ったことではありません。しかし・・・残念ながら霊に遭遇することはありませんでした。歩いて通行すれば違うかもと女友達に提案すると”死ね”と頬を叩かれたことを今でも鮮明に覚えています。
開聞トンネルは心霊スポットとしては”イマイチ”という結論が出ました。狭く危なっかしいうえに、事故があった証拠もありません。ただのヘンテコなトンネルが、薄暗くて不気味というだけで心霊スポットになったのです。しかし・・・帰り道、時間を無駄にしたとアクセルを踏み込むと、突然女友達が絶叫しました。”デカいカメムシが服についてる”と泣き叫ぶので、”臭い”と優しく慰め、そのままホテルに直行したのは良い思い出です。
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<開聞トンネル Wikipedia>
ムー大陸博物館(鹿児島県指宿市開聞十町)(目次に戻る
はるか昔、鹿児島県の上空30,000mの地点に浮いていた神の住む大地”ムー大陸”は、龍の巣と呼ばれる超巨大積乱雲に覆われていたそうです。今でも地球上のどこかを浮遊していると言われていますが、その姿を見た者は一人もいません。そして現在・・・鹿児島県指宿市にある「ムー大陸博物館」は、なぜか心霊スポットとして人気を博しています。初めてこの施設の存在を知った時、”伝説の島は本当に存在するのか?”と胸が高鳴ったことを鮮明に覚えています。ムー大陸を発見すれば、世界の歴史がひっくり返ることは間違いありません。
現地を初めて訪れて感じたことは、”ここには危険な何かが隠されている”でした。キラキラの塔が景色に全く溶け込んでおらず、心なしか開聞岳も怒っているように見えます。さっそく目的地に向かうと、不気味な赤い門に進路を阻まれます。”ここから先にはいかせない”という固い決意を感じました。無人施設かと訝ると、受付に人の姿があります。元気よく挨拶すると、”いらっしゃいませ―”と返事を頂き、入館を許可されました。今のところ、霊もしくは霊と思われるものには遭遇していません。
施設内をゆっくり進むと、ついにムー大陸博物館を発見しました。”危険な香りがプンプンする”と同行の女友達が言います。中に入ると、ムー大陸に関連する資料がところ狭しと並べられていました。ひとつひとつチェックし、周囲に霊がいないかも確認しつつ見学します。心霊スポットとして恐れられている理由はまだ分かりません。不気味な赤い門に建物、そして空を浮遊する神の住む大地・・・施設を一通り見学し終え、私たちは外に出ました。霊の”レの字もない”状態に頭が混乱しています。なぜここが心霊スポットとして有名なのか。その時、背後から突然声をかけられます。”ついに出たか”と勢いよく振り向くと、パンフレットを持った女性が笑顔を浮かべながら近づいてきました。
謎の女性に話を聞き、ムー大陸博物館は”平等大彗会”と呼ばれる宗教施設の一部であることが分かりました。”ここは心霊スポットなのか?”と確認すると、”あなた面白い人ね。好きよ”と言い、距離を縮めてきます。10分ほど絡まれましたが、何とか猛攻をかわすことが出来ました。そして去り際、女性は”ムー大陸は実在するわよ”と捨て台詞を吐いたのです。
ムー大陸博物館は心霊スポットではなく宗教施設でした。あまり軽々しい気持ちで入ることはおすすめしません。人が寝泊まりする施設もあるらしく、夜に来ても誰かに出迎えられるでしょう。結局、ムー大陸の真実は分からず、霊にも会えずじまいでした。心霊スポットとして興味のある方は、少し離れたところから眺めるようにしましょう。宗教活動内容に興味のある方は、正面から堂々と入場しましょう。
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<平等大彗会 ホームページ>
万座毛(沖縄県国頭郡恩納村)(目次に戻る
九州でNo.1の人気を誇る観光地”沖縄県”の中でも3本の指に入る超人気観光スポットが「万座毛」です。観光パンフレット等にも必ず紹介されるほど有名で、20mを超える断崖絶壁から素晴らしい景色と美しい海を眺めれば、一生の思い出になるでしょう。観光客が絶えることはなく、特に夏休みシーズンは人を見ているのか景色を見ているのか分からなくなるほどです。恩納村は観光に特化した施設も多く、土産物屋やホテルなども充実しています。”そんな超人気観光スポットがなぜ心霊スポットなんだ?”と訝る方、現地に行けば理由が分かるはずです。
万座毛には不思議な魅力があります。断崖絶壁からの美しい景色を眺めていると、なぜか無性に飛び降りたくなるのです。20m下は岩場。激しく波が打ち寄せ、一度落ちれば這い上がることは不可能です。私も新婚旅行で訪れた時、本気で飛び降りたくなりました。”これから始まる地獄の夫婦生活を想像したのか?この根性なしめ”と不謹慎なことを考えた方。断崖絶壁から飛び降りたくなる理由は分かりません。ただ、何かに呼ばれているような気がするのです。
観光地として有名な万座毛ですが、実は自殺の名所としても知られています。不慮の事故で亡くなった方もおられるようです。遺書や遺留品が残っていなければ、誰にも気づかれない可能性もあるでしょう。万座毛で亡くなられた方の正確な人数は分かっていません。またここは、第二次世界大戦中の”地上戦”から逃れたアメリカ兵が集団自決を図った場所とも言われています。資料等が残されていないため推測の域を出ませんが、軍服を着た兵士たちを見たという目撃情報が頻繁に上がっているようです。
夜に訪れることも出来ますが、周囲に明かりはなくかなり危険です。崖に近づかなければ大丈夫かもしれませんが、霊に引っ張られて墜落という可能性も否定出来ません。なお、私は夜に単身現地を訪れたことがあります。星空が綺麗だったことを今でも鮮明に覚えています。これから始まる夫婦生活を思い、自殺しようと思った訳ではないのであしからず・・・残念ながら霊には会えませんでしたが、恐ろしい呻き声を聞くことは出来ました。波の音だと自分に言い聞かせましたが、声は止まず崖の方から何かが近づいてくる気配もします。突然の出来事に言葉を失い、来た道を戻ろうとしました。しかし、金縛りを受けたような感覚に陥り、身体がピクリとも動きません。
断崖絶壁に向けて身体が勝手に動き出し、柵を乗り越えました。自分の意思に反した行動を取った理由は今でも分かりません。死を覚悟しましたが、あと5cmというところで身体が自由になったことを覚えています。おかげさまで何とか生き延び、さらに万座毛の秘密も理解出来たような気がします。沖縄県を訪れた方は、ぜひ恐るべき心霊スポット”万座毛”を見学しましょう。ただし、心の疲れている方や、精神状態に問題を抱えている人は控えた方がいいかもしれません。
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<沖縄観光チャンネル ホームページ>
嘉数高台公園(沖縄県宜野湾市嘉数)(目次に戻る
最後に紹介するのは「嘉数(かかず)高台公園」です。観光地ではありませんが、地元民や一部のマニアックな人たちが立ち寄る公園と言われています。展望台からの景色は素晴らしく、宜野湾市を一望出来ます。またあの有名な”普天間基地”が目の前にあり、轟音と共に飛び立つ戦闘機やオスプレイもバッチリ見れますよ。嘉数高台公園は、第二次世界大戦で犠牲になった方々と恒久の平和を祈念して造られました。
沖縄県は、戦時中、日本で唯一地上戦が展開されました。その中で最も多くの死傷者を出したと言われるのが”嘉数の戦い”です。死者数は日米合わせて90,000人弱(諸説あり)とも言われています。なお、当時の戦いの名残は公園内に残されています。近くにハリウッド映画”ハクソー・リッジ”の舞台となった断崖絶壁もあり、慰霊碑等も建てられています。嘉数高台公園が心霊スポットとして恐れられている理由が分かりました?
憩いの場になっている公園は、デートスポットとしても人気だと友人に聞きました。沖縄県民は霊を怖がらないのかもしれません。私は友人を連れ真夜中にトーチカとその周辺を散策しました。90,000人もの方が亡くなった公園は、人の気配もなく虫の鳴き声しか聞こえません。トーチカの中に入り、兵士たちがどんな気持ちだったかを考えました。日本の為に命がけで戦った者たちを想うと、涙が出てきます。残念ながら霊には会えませんでしたが、恐ろしい噂をたくさん聞けただけで満足でした。
想像を絶する地獄をくぐり抜け、沖縄県は日本有数の超人気観光地になりました。美しい海と不思議な味のする特産品。遊べる場所もたくさんあり、旅行には打ってつけの場所と言えるでしょう。そして、この地を訪れる際には、ぜひ過去の苦い歴史も知って頂きたいと思います。嘉数高台公園は観光者向けではありませんが、興味のある方は足を運んで下さい。平和な世の中が、いかに尊いかを理解出来るはずです。なお、トーチカには不用意に入らない方がいいかもしれません。私は地元に戻った直後の交通事故で全治3か月の大けがを負い、友人は離婚後自殺しました。
外部サイトへのリンク
<沖縄観光チャンネル 嘉数高台公園>
まとめ
今回は九州の心霊スポットを紹介しました。個人的な主観で選んでいることをご理解下さい。なお、訪れても霊が見れる保証はありません。また、人の土地を通行しなければたどり着けないスポットもあります。トラブル等が発生しても責任は負いかねますのでご了承下さい。
心霊スポットで”命の危険(呪われる、霊が現れ地獄に引きずり込まれる)”を感じた時は、すぐにその場を離れましょう。逃げ切れなかった時は自己責任です。亡くなった方たちの為に花や線香、数珠なども用意しておきましょう。霊と遭遇し逃げれない時は、ひたすらお経を唱えるしかありません。最後までお読みいただきありがとうございました。