イースター島に閉じ込められた25人
チリ領、ポリネシアの火山島、イースター島を訪れた25人の旅行者たちは、世界中で猛威を振るうコロナウイルスのロックダウンに巻き込まれ、自宅から遠く離れた島で約6カ月間立ち往生している。
中国発のコロナウイルスは欧州、アメリカ大陸、アフリカ大陸を制圧し、世界を細かく分断。帰郷したくても出来ない状況が続いている。
しかし、南アメリカ大陸から遠く離れたイースター島に閉じ込められた25人の苦悩を見れば、少し帰郷ができないぐらいでブーブー言うべきではない、と思うはず。
6カ月前、男女25人のグループは、フランス領ポリネシアのタヒチ島から広大な海を越えて、イースター島に到着した。
彼らは数週間現地に滞在する予定だった。しかし、コロナウイルスが世界を席巻し、チリに本社を置くLATAM航空グループは政府が発出したロックダウンの影響で、フライトをキャンセルせざるを得なかった。
イースター島から出る術を失った男女25人は行き詰まった。なお、LATAM航空グループによると、フライトの再開時期は未定だという。
モアイ像の島に閉じ込められた21歳のミヒノア・テラカウハウ・ポン氏は、自宅の夫と長男に早く会いたいと語り、疲れ果てた表情を浮かべた。
ミヒノア・テラカウハウ・ポン氏:
「もう泣くこともできない。涙は枯れ果て、心は冷え切っている」
熱帯の楽園と考えられているタヒチ、そしてモアイ像で有名なイースター島などの島々は、ロックダウン後、南国の刑務所に変貌した。
3月に現地入りした観光客たちは、タヒチやイースター島などに数週間滞在し、自国に戻るつもりだった。しかし、コロナウイルスの影響で国境が封鎖され、帰国便は離陸できず、空港に約6カ月間駐機したままである。
彼らは毎日チリ当局に通い、「帰国させてほしい」と訴え続けてきた。しかし、当局も「できる限り努力する」としか答えることができず、6カ月が経過した。
イースター島のチリ当局に国境を解放する権限、そして、LATAM航空グループのフライトを再開させる権限はない。しかし、”提案”することはできた。
彼らは飛行機のチャーター、もしくは軍用船のリフトで約4,200kmを航海できないか検討した。
しかし、当局の提案を検討するたび、非現実的な費用の壁に阻まれ、諦めざるを得なかった。
人口約8,000人のイースター島は、広大な太平洋にポツンと浮かぶ164㎢(東京都23区の面積の25%)ほどの小さな島である。
南太平洋の中間地点、チリ領に属し、数百年前に住民たちが火山岩から切り出した巨大な石像、モアイ像はあまりに有名である。
イースター島民にとって、タヒチ(フランス領)は別格の場所だった。
タヒチは島民たちが比較的簡単に外の世界とつながれる島であり、コロナが発生する以前は当たり前のように航空機が行き来していた。
LATAM航空グループはチリのサンティアゴ空港からイースター島への直行便、そして、タヒチまでの便を定期便として運航していた。
LATAM航空グループのスポークスマンはABCの取材に対し、「コロナウイルスの影響で便の再開目途は全くたっていない」と述べた。なお、他の航空会社は同様のルートを運行していない。
【フランスとチリの感染状況/9月25日】
累計感染者 | 累計死者 | 新規感染者 (直近) | |
フランス (タヒチ) | 49.7万人 | 31,511人 | 16,096人 |
チリ (イースター) | 45.2万人 | 12,469人 | 1,731人 |
21歳のミヒノア・テラカウハウ・ポン氏は、1月にタヒチを訪れ、両親と共に近くの島で生活する兄弟を訪ねたという。彼女も3月に帰国する予定だった。
世界のメディアが少しずつコロナウイルスを話題にし始めた2月初旬。テラカウハウ・ポン氏は「まさかフライトがキャンセルされるとは夢にも思わなかった」と述べた。
この頃、コロナウイルスの影響をそこまで真剣に考えている人はいなかった。しかし、3月に入るとその波は一気に世界を覆い、南太平洋の小さな島もあっさり飲み込まれた。
テラカウハウ・ポン氏は、遠く離れた地で自分の帰りを待つ夫が、ロックダウンの影響でホテルの仕事を失ったと聞き、泣いた。
現在、テラカウハウ・ポン氏の母親はガーデニングを始め、父親は漁師顔負けの技術で魚を釣り上げ、毎日の食事には困っていないという。
テラカウハウ・ポン氏の母親:
「これが生き残る唯一の道。フライトが再開されることを信じ、待つしかない」
一家は本土のチリ当局に支援を求め、イースター島の首長に手紙も書いた。しかし、帰国は許可されず立ち往生が続いている。
しかし、一家とグループの帰国を実現させるべく、戦っている者もたくさんいる。
4月に母国のイースター島で新しい仕事に就く予定だった技術者のキッシー・ボード氏(タヒチ在住)は、テラカウハウ・ポン氏と頻繁に連絡を取り合い、帰国への道を模索している。
ボード氏は25人の帰国担当者(非公式)になった。さらに、ソーシャルワーカー、メディカルケアワーカー、SNS等でグループの現状を発信するスポークスマンも兼務し、チャンスを伺っている。
キッシー・ボード氏:
「彼女たちは、タヒチ人の寛大さに救われた」
「25人は手元の資金を使い果たし、途方に暮れていた。しかし、この島の人々は彼らを誰一人見捨てず、食べ物と宿泊施設を今も無償で提供し続けている」
ボード氏は、コロナウイルスによる影響が出るまでは、イースター島に戻ることを切望していたという。
彼女もそこで待っている母親との再会を楽しみにしながら、新しい仕事の準備を進めていたのである。
しかし、コロナウイルスの影響でボード氏もタヒチから出国できなくなり、父親と一緒に母国への帰国を待ち続けている。
ボード氏は、テラカウハウ・ポン氏たちが模索するルート、ロサンゼルスとサンティアゴを結ぶ遠回りルートが、帰国への最短ルートかもしれないと語った。
しかし、それの達成も容易ではなく、費用、ロックダウンなどの難題をクリアしなければならない。アメリカに渡ることができても、そこからの航路がなければ再び行き詰まってしまうだろう。
イースター島に取り残された16人の女性と9人の男性には、計7人の子供がおり、10月3日頃にはもうひとり増える予定である。
グループの何人かは、食料を得ることの難しさを痛感したと述べた。ただし、イースター島の島民たちは彼らを見捨てず、力を貸してくれる。
また、オンライン寄付ページを新たに設立し、資金を集めることにも成功したという。
ボード氏はグループの置かれている現状を話すと感情的になってしまう、と述べた。
キッシー・ボード氏:
「イースター島にコロナウイルスが再上陸することを恐れている人もいる。島民たちもそれを一番恐れているはず」
「ただ故郷に戻りたい」
2020年7月/コロナウイルス、イースター島の学校が再開