東京パラリンピックに登場する、もしくは登場する予定の超一流アスリートを紹介する。なお、個人的な主観で選んでいることをご理解いただきたい。日本代表パラアスリートの前に立ちはだかるであろう強豪国の超人たちは、国の誇りとプライドをかけて競技に臨む。常人離れした実力は、真夏の東京を熱く盛り上げるだろう。
※2020年3月25日、東京オリンピックおよびパラリンピックの1年延期が決定!

目次

 1.ボート
   女子:モラン・サミュエル(イスラエル)
   女子:グレース・プレンダガスト(ニュージーランド)
 2.射撃
   女子:張翠平(中国)
   女子:ヴェロニカ・バドビチョワ(スロバキア)
 3.シッティングバレーボール
   男子:イラン代表
 4.水泳
   男子:ブラッドリー・スナイダー(アメリカ)
   女子:レベッカ・マイヤーズ(アメリカ)
 5.卓球
   男子:ピーター・ローゼンマイヤー(デンマーク)
   女子:チュ・カンカソンポー(フランス)
 6.トライアスロン
   男子:リッジ・シャボット(アメリカ)
   女子:メリッサ・ストックウェル(アメリカ)
 7.車いすバスケットボール
   男子:カナダ代表
 8.車いすフェンシング
   男子:アントン・ダツコ(ウクライナ)
   女子:ベアトリーチェ・ヴィオ(イタリア)
 9.車いすラグビー
   オーストラリア代表
10.車いすテニス
   男子:ステファン・ウデ(フランス)
   女子:イスケ・グリフィオン(オランダ)

まとめ

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ボート目次に戻る

2016年リオパラリンピック『ボート』のメダリスト(抜粋)は以下の通りである。

種目
男子シングルスカルロマン・ポリャンスキー
(ウクライナ)
エリック・ホリー
(オーストラリア)
トム・アッガー
(イギリス)
女子シングルスカルレイチェル・モリス
(イギリス)
王麗霊
(中国)
モラン・サミュエル
(イスラエル)
混合ダブルスカルイギリス代表中国代表フランス代表
混合舵手ありフォアイギリス代表アメリカ代表カナダ代表

 パラローイング(通称パラボート)は比較的新しいパラ競技のひとつである。世界選手権が初めて開催されたのは2002年、パラリンピックに採用されたのは2008年北京大会から。障がいの区分によって種目分けされており、2020年東京大会ではPR1(車いすを使用している選手)、PR2(下肢障がいを持つ選手)、PR3(上下肢、視覚、脳性に障がいを持つ選手)でメダルが争われる

 同競技の強豪国は欧州勢、それにアメリカと中国が続く。最近は中国代表選手が凄まじい勢いで実力をつけているため、例年メダルを独占してきたイギリス代表選手との激しい主導権争いに注目したい。なお、ボート競技の大会では健常者と障がい者が一緒にレースを行うことも多い。これは障がいを持つ者でも、上半身をしっかり鍛え上げ、パドルさばきを上達させれば、健常者と互角以上に戦えるためだろう

【種目】
・PR1 シングルスカル(男子/女子)
・PR2 ダブルスカル(混合)
・PR3 舵手ありフォア(混合)

モラン・サミュエル(イスラエル)

 『モラン・サミュエル(Moran Samuel)』は、幼い頃にバスケットボールを始め、将来はオリンピックへの出場も有望視される選手だった。イスラエル空軍への兵役経験もあり運動神経は抜群だったが、2006年に脊椎の病気を患ったことで、車いすを必要とする身体になった。しかし、厳しいリハビリの後、大学に入学、理学療法士の資格を取得し、自分と同じ障がいを持つアスリートのためにパラリンピックスポーツ協会と協力し、活動を始めた

 同選手はパラボート(パラローイング)の選手であると同時に、車いすバスケットボール選手でもある。後者については、イスラエル国内における同競技の認知/人気を高めるため、そして前者については、パラリンピック等の国際大会で素晴らしい戦績を残しつつあり、2020年東京大会への出場もほぼ間違いない。

 モラン・サミュエルがパラ/車いす競技を本格的に始めたのは2010年頃から、世界大会を目指しパラボートの訓練を開始した。翌年、初めて出場した世界選手権で銀メダル、W杯でも銅メダルを獲得、さらに同年、車いすバスケットボールの欧州選手権でも代表入りを果たし、国際大会で優勝を飾った

 2016年リオ大会、モラン・サミュエルはパラボート女子シングルスカルに出場し、見事銅メダルを獲得した。「何かを始めるのに遅すぎるということはない」「限界を決めずにチャレンジすれば、結果の有無に関係なく、人間的に成長できる」、と同選手は言う。「二足の草鞋(わらじ)」を履く怪物パラアスリートは、イスラエル国内で障がいを持つ選手たちの境遇を改善すべく戦い続けている。

まとめ
2016年リオ大会、パラボート女子シングルスカルで銅メダル獲得
2019年の世界選手権でもメダルを獲得しており、東京大会への出場はほぼ間違いない

選手名モラン・サミュエル
(Moran Samuel)
出場競技/種目PR1 シングルスカル(女子)
パラリンピック出場実績2016年リオ/銅メダル
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/2個
銀メダル/3個
銅メダル/4個

外部サイトへのリンク
world rowing 公式ホームページ

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מחר ב10:00 בבוקר ( שעון אוסטריה) מזנקת במקצה המוקדמות באליפות העולם. סוף סוף הרגע הזה מגיע, בתום מחנה אימונים ארוך ואינטנסיבי. עוד שנה בדיוק נפתחים המשחקים הפראלימפים בטוקיו וכל הספורטאיות/ם שנמצאות/ים פה בלינץ רוצות/ים להיות שם! Finally, after a long and Very intense training camp, the moment to preform has come. Tomorrow 10:00am (Austria)is my heat at the world Championship. In one year Tokyo 2020 will be officially on, and all athletes here want to get there! Live streaming at www.worldrowing.com #pararowing #pararowing_ISR #paralympic #rowtotokyo #road_to_tokyo #worldrowing #אלטשולרשחם #MAN Photo by @osnat_fliessdouer

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ローレン・ローレス(イギリス)

 イギリスはボート及びパラボートの超強豪国として知られる。ここで紹介する『ローレン・ローレスLauren Rowles』もそのひとり、競技を始めて僅か1年でパラリンピックを制したイギリスパラボート界のニューヒロインである

 2001年、当時13歳だった同選手は脊椎の病を患い、胸から下の感覚を全て失った。常人であれば、人生に絶望し生きる気力を失ってもおかしくないだろう。しかし、ローレン・ローレスは長いリハビリを終えると車いす陸上への参戦を決意。それから2年後の2014年、同選手は車いす陸上16歳以下女子100m、200m、1,500m走のイングランド代表に選ばれ、欧州選手権等に出場した。

 翌2015年、ローレン・ローレスはパラローイングと出会い、車いす陸上からの転向を決断。陸上の短距離レースで上半身、特に腕力を鍛え上げていたおかげで、スムーズにパラローイングを始めることができたという。同年、「ローレンス・ホワイトリー」とダブルスカル(混合)でペアを組み世界選手権に出場、銀メダルを獲得し、2016年リオ大会への出場権を獲得した。

 2016年リオ大会、ローレン・ローレスはパラボートを始めて僅か1年で金メダルを獲得、現在に至る。胸から下が完全に麻痺した状態になっても絶望することなく、翌年には車いす陸上を始め身体を鍛え上げた胆力には恐れ入る。驚異的な成長スピードは「努力の証」であり、パラボート界の頂点に立つことは必然だったのかもしれない。なお、同選手はイギリスの超名門「オックスフォード大学」に入学。法律の勉強を行う傍らパラボートを続け、2019年の世界選手権を制しイギリス代表に内定、東京大会への出場権を獲得した。

まとめ
13歳で大切なものを失った少女は、他の追随を許さぬ努力と成長スピードでパラボート界の頂点に立った
オックスフォードで法律を学ぶ神童は、2020年東京大会で同種目連覇を狙う

選手名ローレン・ローレス
Lauren Rowles
出場競技/種目PR2 ダブルスカル(混合)
パラリンピック出場実績なし
主な戦績世界選手権通算戦績
金メダル/2個
銀メダル/2個

外部サイトへのリンク
BRITISH ROWING 公式ホームページ

射撃目次に戻る

2016年リオパラリンピック『射撃』のメダリスト(抜粋)は以下の通りである。

種目
男子10mエアライフル立射 SH1董超
(中国)
イ・ジェヒ
(韓国)
セルベル・イブラギモフ
(ウズベキスタン)
女子10mエアピストル SH1サレ・ジャバンマディドドマニ
(イラン)
オリハ・コワルチュク
(ウクライナ)
アイシェギュル・ベフリバンラル
(トルコ)
混合10mエアライフル立射 SH2ペセルカ・ペベツ
(スロベニア)
ゴラズド・フランチュク・ティルシェク
(スロベニア)
キム・グンス
(韓国)
混合50mライフル伏射 SH2張翠平
(中国)
アブドゥッラ・スルタン・アルアルヤーニ
(UAE)
ラスロ・シュラニ
(セルビア)

 パラ射撃で扱う銃は「ライフル」「エアライフル」「ピストル」「エアピストル」。障がいの種別(上肢で銃を保持できる「SH1」とできない「SH2」)、銃を構える姿勢でクラス分けされメダルを争う。なお、エアは空気銃、そうでないものは火薬で弾を発射、どちらの種目も安全最優先が徹底されており、選手たちは発砲する直前まで引き金(トリガー)には指をかけない

 パラ射撃では、所定の位置に設置された「」目掛けて弾を放ちポイントを競う。的の中心部に当てるほどポイントが高く、選手たちは全神経を集中させ引き金を引く。同競技に必要とされるものは「集中力」のみ。観客からの声援、他の選手の動向に心を乱されることなく、冷静に的を撃ち抜き続けた選手が金メダルを獲得するだろう

【種目】
ライフル(R)
・R1 10mエアライフル立射 SH1(男子)
・R7 50mライフル三姿勢 SH1(男子)
・R2 10mエアライフル立射 SH1(女子)
・R8 50mライフル三姿勢 SH1(女子)
・R3 10mエアライフル伏射 SH1(混合)
・R4 10mエアライフル立射 SH2(混合)
・R5 10mエアライフル伏射 SH2(混合)
・R6 50mライフル伏射 SH1(混合)
・R9 50mライフル伏射 SH2(混合)
ピストル(P)
・P1 10mエアピストル SH1(男子)
・P2 10mエアピストル SH1(女子)
・P3 25mピストル SH1(混合)
・P4 50mピストル SH1(混合)

張翠平(中国)

 スポーツ大国中国のパラアスリートたちは、2008年北京大会以降、素晴らしい活躍を見せている。2016年リオ大会でのメダル獲得数は239個(うち金107個)、2位のイギリスに100個近い差をつける圧倒的な強さを見せつけた

 『張翠平(Zhang Cuiping)』は中国女子パラ射撃界のエースである。2008年北京大会、当時21歳だった同選手は計3個のメダル(銀×2、銅)を獲得。翌年以降も国際大会で結果を残し、リベンジをかけて挑んだ2012年ロンドン大会で2冠を達成、4年後のリオ大会でも2種目を連覇した。

 1990年、同選手は「脊髄性小児麻痺(ポリオ)」に感染し、両足に麻痺が残った。それから14年後、当時通っていた高校でパラ射撃と出会い競技を開始。大会等にも出場、経験を積み、同校卒業後、河北省の実業団チームにリクルートされた。パラ射撃の中国代表候補は強豪選手揃いだったものの、同選手は20歳で国際大会デビューを果たし、素晴らしい戦績を残した。

 先に述べた通り、射撃およびパラ射撃で必要とされるものは「集中力のみ。張翠平は驚異的な集中力と精神力で的の中心を次々に打ち抜き、2015年には世界記録を3度更新、世界選手権でも圧倒的な強さで金メダルを獲得した。そして2016年リオ大会、2種目連覇という偉業を達成し、女子パラ射撃界の頂点に立った。

 射撃およびパラ射撃では、ベテラン選手が当たり前のように活躍する。60代の選手がメダルを獲得した実績もあるというから驚きだ。張翠平はまだ33歳、これからさらに世界記録を伸ばす可能性もあるだろう。パラリンピック2種目連覇という偉業を達成した最強の女スナイパーは、東京大会での3連覇を狙い、引き金を引く

まとめ
同選手は2012年リオ大会から2種目を連覇中。東京大会では3連覇を狙う
スポーツ大国中国のパラアスリートたちは、厳しい環境下に身を置き、トレーニングを行っている

選手名張翠平
(Zhang Cuiping)
出場競技/種目R8 50mライフル三姿勢 SH1(女子)他
パラリンピック出場実績2008年北京/銀メダル
2012年ロンドン/2冠
2016年リオ/2冠
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/6個
銀メダル/6個
銅メダル/2個

外部サイトへのリンク
国際パラリンピック委員会 公式ホームページ

画像はイメージです。クリックすると動画が再生されます
射击 赛前训练 | Cuiping Zhang

ヴェロニカ・バドビチョワ(スロバキア)

 『ヴェロニカ・バドビチョワ(Veronika Vadovičová)』はスロバキアで最も有名なパラアスリートのひとりである。先天性の病の影響で生まれた時から下肢が動かなかったものの、幼い頃からスポーツに興味を持ち、学生時代にはスキーやバイアスロンなどに挑戦。スキーの授業が中止になった際、初めてエアライフルを扱い、パラ射撃への転向を決断したという

 1999年、当時16歳のティーンエイジャーは国際大会デビューを果たし、以降素晴らしい戦績を残す。2008年北京大会でパラリンピック初の金メダルを獲得、2012年ロンドン大会では銀メダルに終わるも、4年後のロンドン大会では「R2 10mエアライフル立射 SH1(女子)」と「R5 10mエアライフル伏射 SH2(混合)」を制し、さらに同種目のパラリンピック記録も更新した

 子持ちのママさんアスリートが国際大会で獲得したメダルは計10個(うち金8個)、年を重ねるごとに技術/実力は増し、2018年のワールドカップでも他を寄せ付けぬ圧倒的な強さで優勝、東京大会への出場権を獲得し、スロバキア代表にも内定した

 ヴェロニカ・バドビチョワがパラ射撃で獲得したのはメダルだけではない。障がい者競技の発展に貢献/尽力したことなどを評価され、これまでに200を超える賞を受賞したという。同選手は現在37歳、東京大会では複数種目に出場する予定であり、リオ大会に続くメダル獲得、連覇も十分射程圏内だろう。

 最後に、ヴェロニカ・バドビチョワは「スロバキアパラリンピック委員会(SPI)」のアスリート委員を兼任しており、同国内のスポーツ施設のバリアフリー化にも尽力しているという。己の限界を決めず前進し続ける最強の「ママさんガンマン」は、虎視眈々と東京大会に標準を合わせている。

まとめ
2016年リオ大会では2冠を達成。東京大会への出場権も得ており、連覇に期待
同選手は障がい者競技の発展に尽力したことを評価され、スロバキアで最も有名なパラアスリートになった

選手名ヴェロニカ・バドビチョワ
(Veronika Vadovičová)
出場競技/種目R3 10mエアライフル伏射 SH1(混合)他
パラリンピック出場実績2008年北京/金メダル
2012年ロンドン/銅ダル
2016年リオ/2冠
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/8個
銀メダル/1個
銅メダル/1個

外部サイトへのリンク
スロバキアパラリンピック委員会 公式ホームページ

画像はイメージです。クリックすると動画が再生されます
Veronika Vadovicova | GOLD | Women's 10m Air Rifle | Osijek 2019 Shooting Para Sport World Cup

シッティングバレーボール目次に戻る

パラリンピック『シッティングバレーボール』のメダル獲得国(抜粋)は以下の通りである。

種目
2016年リオ大会男子イランボスニア・ヘルチェコビナエジプト
2016年リオ大会女子アメリカ中国ブラジル
2012年ロンドン大会男子ボスニア・ヘルチェコビナイランドイツ
2012年ロンドン大会女子中国アメリカウクライナ
2008年北京大会男子イランボスニア・ヘルチェコビナロシア
2008年北京大会女子中国アメリカオランダ

 パラリンピックのシッティングバレーボールでは、下肢に障がいを持つ選手のみ出場できる。大まかなルールはバレーボールと同じ、コート内にいる選手たちは、床に「臀部(おしり)」を常時つけた状態でプレーしなければならない

 同競技もバレーボールと同じく身長が大きな武器になる。コートの中央に設置されたネット(男子高さ:1.15m、女子高さ:1.05m)を超えてアタック、ブロックする際、身長が高いほど有利になることは言うまでもないだろう。強豪国は男子がイランとボスニア・ヘルチェコビナ、女子は中国とアメリカが突出している。なお、競技人口を増やす試みとして、公式大会以外では健常者の参加(ルール順守のうえで)も認められていることが多い

【種目】
・シッティングバレーボール(男子/女子)

イラン代表

 先に述べた通り、シッティングバレーボールでは常に臀部をつけた状態で移動、アタック、ブロックを行わなければならない。つまり、全員が同じ姿勢でプレーするため、身長は大きなアドバンテージになるのだ。ここで紹介する『イラン代表』は、同競技が初めて採用された1988年ソウル大会から圧倒的な強さを誇ってきた

 イランでは1980年代からシッティングバレーボール選手の育成に力を入れてきた。バレーボールの強豪国であったため、選手たちは実績のあるコーチの元でトレーニングを行った。また、同国のバレーボール協会も大会等を積極的に誘致、努力が実を結び、初代パラリンピック王者に輝いた。

 以降、イラン代表はパラリンピックを4連覇、1984年から始まった世界選手権でも5連覇を達成した。他を寄せ付けぬ強さの秘密は、鍛え上げられたスピードバレーと選手個々の身体能力にある。他国よりも早くシッティングバレーボールに目をつけ選手の育成に力を入れた結果、トレーニングと競技のノウハウは世界でも群を抜いている。選手たちは座っている状態とは思えない速さでボールをコントロールし、アタックを繰り出すのだ。

 イラン代表は2020年東京大会への出場を既に決めており、当然優勝候補筆頭に挙げられている。チームのキーマン「モルデザ・メヘルザード」は、オリンピックおよびパラリンピック史上最も背の高い選手として知られ、その身長は何と247cm。前回リオ大会でも圧倒的な高さとパワーで同国を優勝に導いた。イラン代表は世界最強の巨人とスピードバレーで他国を圧倒する。

まとめ
シッティングバレーボールイラン代表(男子)はパラリンピックを6度制した最強チーム
身長247cmのモルデザ・メヘルザードを止めなければ、他国に勝機はない

チーム名イラン代表
出場競技/種目シッティングバレーボール(男子)
パラリンピック出場実績8回
金メダル/6個
銀メダル/1個
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/12個
銀メダル/2個
銅メダル/1個

外部サイトへのリンク
WORLD ParaVolley 公式ホームぺージ

水泳目次に戻る

2016年リオパラリンピック『水泳』のメダリスト(抜粋)は以下の通りである。

種目
男子100m自由形S6ロレンソ・ペレス・エスカローナ
(キューバ)
ネルソン・クリスピン・コルソ
(コロンビア)
オレクサンドル・コマロウ
(ウクライナ)
女子100m背泳ぎS9エリー・コール
(オーストラリア)
ヌリア・マルケス・ソト
(スペイン)
ハンナ・アスプデン
(アメリカ)
男子100mバラフライS11イスラエル・オリベル
(スペイン)
木村 敬一
(日本)
オレクサンドル・マシチェンコ
(ウクライナ)
女子100m平泳ぎSB4サラ・ルイーサ・ルング
(ノルウェー)
ジュリア・ギレッティ
(イタリア)
ルイ・シ・テリーザ・ゴー
(シンガポール)
混合4×50m 20ポイントリレー中国代表ブラジル代表ウクライナ代表

 パラ水泳は障がいの種別により細かくクラス分けされており、ルール等の細かい変更も認められている。例えば、両手が欠損している選手であれば、スタート時に身体を固定する器具の使用やサポート者の補助。飛び込みができない選手であれば、入水状態からのスタートも可など、誰もが公平に泳げる環境を作っている。

 同競技は陸上に次ぐ種目数を誇り、様々な国の選手が出場する。そのため、オリンピックでは脚光を浴びない国の選手がメダルを複数獲得することも珍しくない。さらに、健常者と変わらぬスピードで泳ぐ選手、視覚なしでも真っすぐ泳ぐ選手、身体の一部を失っても全力で奮闘する選手など、オリンピックにはない感動と興奮も味わえるだろう

【種目※障がいの種類によるクラス分けあり】
・50m自由形(男子/女子)
・100m自由形(男子/女子)
・200m自由形(男子/女子)
・400m自由形(男子/女子)
・50m背泳ぎ(男子/女子)
・100m背泳ぎ(男子/女子)
・50m平泳ぎ(男子/女子)
・100m平泳ぎ(男子/女子)
・50mバラフライ(男子/女子)
・100mバラフライ(男子/女子)
・150m個人メドレー(男子/女子)
・200m個人メドレー(男子/女子)
・4×100m 34ポイントリレー(男子/女子)
・4×100m 34ポイントメドレーリレー(男子/女子)
・4×50m 20ポイントリレー(混合)
・4×100m S14リレー(混合)
・4×100m 49ポイントリレー(混合)

ブラッドリー・スナイダー(アメリカ)

 スポーツ大国アメリカがオリンピック競泳で獲得したメダル数は553個(うち金246個)、2位のオーストラリア(188個)に3倍近い差をつけており、他の追随を許さぬ異次元の強さでメダルを独占してきた。そして、パラ水泳においてもその強さは変わらない。毎年素晴らしい選手を輩出、競争の激しい同競技の先頭を走り続けている。

 『ブラッドリー・スナイダー(Bradley Snyder)』は、米国海軍士官学校卒業後、同海軍に入隊、様々な任務と訓練を経て2011年にアフガニスタンへ派遣され、爆弾処理班として活動していた。同年9月、即席爆破装置(IED)から民間人を救い出す際に両目を負傷、視力を失った。

 同選手は海軍を退役、入隊前から行っていた競泳のスキルを活かし、パラ水泳への参戦を決める。視力を失った選手専用の種目で国内大会に出場し、いきなり好成績を残した。翌2012年にはロンドンパラリンピックの代表選考会に参加、100mおよび400m自由形の世界記録を更新しアメリカ代表に選ばれた

 2012年ロンドン大会、ブラッドリー・スナイダーはパラリンピック初出場ながら2冠を達成し、4年後のリオ大会でも3冠に輝く。爆発で視力は失ったものの、身体には大きなダメージを受けなかったことが幸いしたのだろう。その後も複数種目で世界記録を更新する大活躍を見せた。

 2019年、同選手はパラトライアスロン競技に参戦し、国際大会でメダルを獲得するなど、素晴らしい活躍を見せている。なお、東京大会パラ競泳に出場できるか否かは現在のところ未定だが、同国の代表選考レースには参加することを明言している。全盲のスイマーの辞書に「不可能」の文字はないようだ。

まとめ
2012年ロンドン大会では2冠、リオ大会でも同種目を含む3冠を達成
現在はパラトライアスロンで身体を鍛え上げている。なお、東京大会パラ競泳の代表選考レースには出場する意向

選手名ブラッドリー・スナイダー
(Bradley Snyder)
出場競技/種目100m自由形(男子)他
パラリンピック出場実績2012年ロンドン/2冠
2016年リオ/3冠
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/8個
銀メダル/2個

外部サイトへのリンク
ブラッドリー・スナイダー 公式webサイト

レベッカ・マイヤーズ(アメリカ)

 『レベッカ・マイヤーズ(Rebecca Meyers)』は先天性の病で生まれた時から耳が聞こえなかった。さらに生後間もなく目の病を患い、視力を完全に失う。同選手がパラ水泳に出会ったのは6歳の頃、興味本位で始めた競技にのめり込みメキメキと実力をつける。15歳で初めて「デフリンピック(聴覚障がい者の大会)」に参加し、全盲というハンデを乗り越え銅メダルを獲得した。

 デフリンピックから3年後の2012年、レベッカ・マイヤーズは18歳で初めてパラリンピックに出場し、銀メダルと銅メダルをそれぞれ1個ずつ獲得、この敗戦が同選手を大きく成長させることになった。翌年、世界選手権で複数個のメダルを獲得、さらに翌々年には2種目で世界記録を更新、2015年にも同じく2種目で世界記録を更新した。

 リベンジをかけて臨んだ2016年リオ大会、同選手は出場した4種目中3種目で金メダル獲、別格の泳ぎで世界の頂点に立った。その後も文句のつけようがない活躍を見せ、国際大会で獲得したメダル数は25個(うち金10個)、複数種目の世界記録を保持している

 2019年、レベッカ・マイヤーズは世界選手権で複数個のメダルを獲得し、さらに2種目の世界記録を更新。アメリカ代表内定を決めると同時に東京大会への出場権を獲得した。同選手の武器は、限界まで自分を追い込むトレーニングと、そこから生み出される驚異的なストロークにある。毎朝毎夕数キロ泳ぎ、さらにジムで体力増強を欠かせず行えば、結果が出るのは必然であろう。全盲のスイマーは東京大会でも金メダルの最有力候補に挙げられている

まとめ
同選手は全盲というハンデをものともせず、毎朝毎夕厳しいトレーニングを欠かさず行っている
2016年リオ大会では3冠を達成。東京大会でも複数種目に出場、金メダルと世界記録の更新を狙う

選手名レベッカ・マイヤーズ
(Rebecca Meyers)
出場競技/種目400m自由形(女子)他
パラリンピック出場実績2012年ロンドン/銀メダル
2016年リオ/3冠
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/10個
銀メダル/11個
銅メダル/4個

外部サイトへのリンク
TEAM USA 公式ホームページ

卓球目次に戻る

2016年リオパラリンピック『卓球』のメダリスト(抜粋)は以下の通りである。

種目
男子シングルスC1ロブ・デービス
(イギリス)
チュ・ヨンデ
(韓国)
ナム・ギウォン
(韓国)
男子団体C6-8ウクライナ代表スウェーデン代表イギリス代表
女子シングルスC9劉猛
(中国)
雷麗娜
(中国)
カロリナ・ペク
(ポーランド)
女子団体6-10ポーランド代表中国代表ブラジル代表

 パラ卓球では、「肢体不自由者、知的障がい者、聴覚障がい者」が障がいの重さによってクラス分けされる。基本的なルールは一般的な卓球と同じ、一部特殊ルールを設けている種目もある。同競技の魅力は、障がいや年齢など物ともしない選手たちの頑張り、努力を見れることだろう。

 両手を失った選手がラケットを口にくわえて高速ラリーを行う様は、まさに圧巻。また、60歳を超える代表選手も多く、出場権を得るために弛まぬ努力を積み重ねてきたことは想像に難くない。卓球の競技人口は3億人超、誰もが平等に楽しめるスポーツであるが故、これほどの人気を得ているのだろう。なお、パラ卓球の強豪国は中国、その後ろに欧州勢が続く。

【種目※障がいの種類によるクラス分けあり】
・シングルス(男子/女子)
・団体(男子/女子)

ピーター・ローゼンマイヤー(デンマーク)

 パラ卓球界もオリンピックの卓球競技と同じく、中国勢が素晴らしい活躍を見せており、メダル獲得数は群を抜いている。その後ろには欧州勢や韓国などの強豪国が続いており、メダル争いは非常に激しい。ここで紹介『ピーター・ローゼンマイヤー(Peter Rosenmeier)』は、デンマークを代表するパラアスリートである。同選手は「先天性横軸形成障がい」の影響で、右ひじから先が欠損した状態で生まれた。

 デンマーク国内におけるパラ卓球の認知度は決して高くない。競技人口も少なく、代表選手は手薄な状態、パラリンピックへの出場権を確保することすら難しい状況だった。しかし、同選手がデンマーク代表に選ばれ、国際大会で結果を残し始めたことで、同国内のパラ卓球を取り巻く環境は少しずつ変わり始めた

 2004年アテネ大会、ピーター・ローゼンマイヤーはパラリンピック初出場で銅メダルを獲得。中国や他の欧州勢のように訓練環境は恵まれていない中でもしっかり結果を残した。そして4年後の北京大会で初の金メダルを獲得、その後の国際大会でも素晴らしい戦績を残す。しかし、2012年以降は勝ちに恵まれず苦しい時期を過ごした。

 2016年リオ大会、ピーター・ローゼンマイヤーは2大会振りの金メダルを獲得、台頭する中国や欧州の若手選手をものともせず、見事復活を果たした。一時は引退を覚悟する状態まで追いつめられたものの、弛まぬ努力でそれを克服し、再び世界の頂点に立ったのだ。さらに2018年の世界選手権、2019年の欧州選手権も制し、「シングルスC6(男子)」での東京大会出場を決めた

デンマークのパラ卓球界を支え、鼓舞し、盛り上げ続けてきた男は、2020年東京大会で連覇に挑戦する。

まとめ
パラリンピックには4大会連続出場中。東京大会への出場も確定しており、同種目連覇を狙う
同選手はデンマーク国内におけるパラ卓球の発展に貢献、同じ環境下に身を置く選手たちの訓練環境を改善すべく活動している

選手名ピーター・ローゼンマイヤー
(Peter Rosenmeier)
出場競技/種目シングルス(男子)
パラリンピック出場実績2004年アテネ/銅メダル
2008年北京/金メダル
2012年ロンドン/銅メダル
2016年リオ/金メダル
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/12個
銀メダル/6個
銅メダル/7個

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国際パラリンピック委員会 公式ホームページ

チュ・カンカソンポー(フランス)

 『チュ・カンカソンポー(Thu Kamkasomphou)』はラオス人民民主共和国で生まれ育ち、家族と共に渡仏、同国の国籍を取得した。12歳から卓球を始め、フランス代表に選ばれるほどの実力をつけるも、18歳の頃に原因不明の難病「結節性動脈周囲炎(PAN)」を患う。

 PANは全身の血管で炎症が発生する難病である。主な症状として、発熱、猛烈な倦怠感、皮膚の壊死や癌を誘発することもあり、先述の通り発症原因は不明、同選手は健常者の大会に出場できなくなり、オリンピックへの出場も諦めざるを得なかった

 2000年シドニー大会、31歳になったチュ・カンカソンポーは、パラ卓球フランス代表入りを果たし、金メダルを獲得する。「立位の部 シングルスC8(女子)」では、健常者と変わらぬ激しいラリーが展開されるものの、同選手はPANの影響を感じさせない動きを披露。5大会連続出場を果たした2016年のリオパラリンピックでは、若手選手に引けを取らない活躍ぶりを見せ、48歳で銀メダルを獲得した

 2018年、同選手は50歳で世界選手権に出場し銀メダルを獲得、翌2019年には欧州選手権を制し、東京大会フランス代表に内定した。チュ・カンカソンポーの通算メダル獲得数は21個(うち金12個)、フランスの国内C8の部で16回チャンピオンに輝き、50歳を超えた現在も一線で活躍し続けている。なお、同選手はPANを克服した訳ではない。常人離れした胆力で病と闘いつつ、競技を継続しているのだ。

まとめ
パラリンピックには5大会連続出場中。2018年の世界選手権と翌年の欧州選手権を制し、東京大会内定済みである
原因不明の難病と闘いつつも結果を残す胆力は驚異的。東京大会では6大会連続のメダルを狙う

選手名チュ・カンカソンポー
(Thu Kamkasomphou)
出場競技/種目シングルス(女子)
パラリンピック出場実績2000年シドニー/金メダル
2004年アテネ/銅メダル
2008年北京/金メダル
2012年ロンドン/銀メダル
2016年リオ/銀メダル
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/12個
銀メダル/4個
銅メダル/5個

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2016年リオパラリンピック『トラアスロン』のメダリストは以下の通りである。

種目
男子座位クラスPT1イェツェ・プラット
(オランダ)
ヘールト・スキパー
(オランダ)
ジョバンニ・アケンツァ
(イタリア)
男子立位クラスPT2アンドリュー・ルイス
(イギリス)
ミレーレ・フェッラリン
(イタリア)
ムハンマド・ラハナ
(モロッコ)
男子立位クラスPT4マルティン・シュルツ
(ドイツ)
ステファン・ダニエル
(カナダ)
ハイロ・ルイス・ロペス
(スペイン)
女子座位クラスPT1アリッサ・シーリー
(アメリカ)
ヘイリー・ダニサビッチ
(アメリカ)
メリッサ・ストックウェル
(アメリカ)
女子立位クラスPT2グレイス・ノーマン
(アメリカ)
ローレン・ステッドマン
(イギリス)
グラディース・ルムシウ
(フランス)
女子立位クラスPT4ケイティ・ケリー
(オーストラリア)
アリソン・パトリック
(イギリス)
メリッサ・リード
(イギリス)

 パラトライアスロンは、障がい者の行う競技の中でもTOP3に入る過酷さを誇る。スイム(競泳)、バイク(自転車)、ラン(長距離走)、を連続で行うには、厳しいトレーニングと体力が欠かせない。しかし、同競技に参加するパラアスリートたちは、健常者と変わらぬ速さで泳ぎ、パドルを踏み込み、走り、そしてゴールを目指す

 パラトライアスロンも他の競技と同じく、障がいの重さによってクラスが分けられており、自立歩行できないパラアスリートであれば、仰向けに乗って漕ぐリカンベントタイプの自転車を、視覚障がい者であれば、同性の選手と一緒に泳ぎ(走り)、二人乗り自転車を使用するなど、ルールが細かく異なる。なお、2020年東京大会では、障がいの軽い選手が有利になりやすい条件を改めるべく、クラス分けの見直しを行っている。

【種目】
・座位クラス/PTWC(男子/女子)
・立位クラス/PTS2(女子)
・立位クラス/PTS4(男子)
・立位クラス/PTS5(男子/女子)
・視覚障がいクラス/PTVI(男子/女子)

リッジ・シャボット(アメリカ)

 先に述べた通り、スイム(競泳)、バイク(自転車)、ラン(長距離走)を連続で行うパラトライアスロンは、パラ競技の中でも特に過酷と言われている。その中でも、両足を欠損した選手が出場できる「PTWC(車いすの部)」は、人間の限界に挑戦する種目と言っても過言ではない。

 『リッジ・シャボット(Krige Schabort)』は1966年から始まった「ナミビア独立戦争(南アフリカ国境戦争ともいう)」に南アフリカの兵士として従軍、任務中に空爆を受け両足および小腸と胃の一部をコナゴナに吹き飛ばされる瀕死の重傷を負い、生死の境を彷徨うことになった

 1989年、リッジ・シャボットは1年超のリハビリを乗り越え軍病院を退院。第二の人生に相応しいスポーツを探し、車いすマラソンに出会う。1992年バルセロナ大会でパラリンピック初出場を果たし、銅メダルを獲得、以降も不屈の精神でチャレンジを続け、様々な国際大会で素晴らしい戦績を残した。なお、同選手は2012年に家族を連れアメリカに渡り市民権を取得した。

 2012年ロンドン大会、同選手はパラトライアスロンのアメリカ代表に選ばれた。そして、49歳とは思えぬレースを披露し入賞を果たす。両足を欠損してなお走り続ける原動力/モットーは「諦めないこと」。荒れ狂う波に立ち向かい、ハンドサイクル自転車を漕ぎ、車いすで疾走するパラトライアスロン競技は、厳しい人生を生き抜くことと同じだという

 2020年東京大会、56歳を迎えた同選手がアメリカ代表に選ばれるかはまだ分からない。不撓不屈の精神で戦い続ける超人は、7度目のパラリンピック代表を虎視眈々と狙っている。

まとめ
1年超のリハビリを乗り越え車いすマラソンを開始。1992年バルセロナ大会で銅メダルを獲得した
同選手のモットーは諦めないこと。不撓不屈の精神で戦い続ける56歳の超人は、東京大会出場とメダルに照準を合わせている

選手名リッジ・シャボット
(Krige Schabort)
出場競技/種目座位クラス/PTWC(男子)
パラリンピック出場実績1992年バルセロナ/銅メダル
1996年アトランタ
2000年シドニー/銀メダル
2004年アテネ
2012年ロンドン
2016年リオ
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/3個
銀メダル/3個
銅メダル/2個

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国際トライアスロン連合 公式ホームページ

メリッサ・ストックウェル(アメリカ)

 『メリッサ・ストックウェル(Melissa Stockwell)』は、イラク戦争(2003年回戦)に従軍した米国陸軍の元兵士である。翌2004年、彼女は警戒任務の最中、道端に仕掛けられていた爆弾の爆発に巻き込まれ左足を太ももの付け根まで失った。イラクに従軍した米国女性兵士が重傷(手足の欠損)を負った初めての事例だった

 2005年、メリッサ・ストックウェルは勲章を授与されたのち、陸軍を除隊。自分と同じ境遇にある兵士たちのために「義肢装具士」として働きつつ、パラ競技を開始した。除隊から3年後の北京パラリンピックにはパラ水泳の選手として出場。メダル獲得はならなかったものの、出場した種目全てで入賞を果たし、閉会式では旗手も務めた

 同選手がパラトライアスロンを始めたのは2010年から、水泳で鍛えた体力を発揮し、同年開催の世界選手権「PTS2(立位クラス)」を制した。さらに翌年、翌々年の世界選手権でも金メダルを獲得し、強豪として名高いアメリカ女子パラトライアスロン代表の中心選手に成長する

 2016年リオ大会、アメリカ代表選手はPTS2の部で表彰台を独占、メリッサ・ストックウェルは銅メダルを獲得した。この時同選手は36歳、他の若手選手に引けを取らない泳ぎと走りを披露できた理由は、「弛まぬ努力」以外にない。また、夫の献身的な協力と理解、そして息子の存在も大きかったという

 アメリカの代表権争い、選考レースのレベルは世界一高い。しかし、40歳を迎えた同選手は東京大会出場を目指しトレーニングを続けており、2019年アメリカ国内のチャンピオンを決めるレースで銀メダルを獲得、さらに同年開催のワールドカップでは優勝を果たし、代表入りはほぼ手中に収めている

まとめ
メリッサ・ストックウェルはイラク戦争に従軍し、左足を失った
40歳を超えてもなお世界のトップを維持できる理由は、弛まぬ努力以外にない

選手名メリッサ・ストックウェル
(Melissa Stockwell)
出場競技/種目立位クラス/PTS2(女子)
パラリンピック出場実績2008年北京
2016年リオ/銅メダル
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/11個
銀メダル/6個
銅メダル/3個

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メリッサ・ストックウェル 公式webサイト

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パラリンピック『車いすバスケットボール』のメダル獲得国(抜粋)は以下の通りである。

種目
2016年リオ大会男子アメリカスペインイギリス
2016年リオ大会女子アメリカドイツオランダ
2012年ロンドン大会男子カナダオーストラリアアメリカ
2012年ロンドン大会女子ドイツオーストラリアオランダ
2008年北京大会男子オーストラリアカナダイギリス
2008年北京大会女子アメリカドイツオーストラリア

 車いすバスケットボールは、下肢等に障がいを持つ車いすアスリート向けの競技である。基本的なルールは一般的なバスケットボールと同じだが、障がいの重さによって選手一人ひとりにポイントが付与されており、コート内に入る代表5名の合計点を「14点」以内に収めなければならない。最も障がいの重い選手に付与されるポイントは1.0。そこから0.5刻みでクラス分けされ、最も障がいの軽い選手は4.5となる。

 同競技の強豪国はバスケットボール発祥の地アメリカとカナダ、オーストラリアなど。一流選手たちのボールさばき、スピード、そしてシュート精度の高さは凄まじく、さらに車いす同士がぶつかる、クラッシュすることも日常茶飯事である。2020年東京大会では、前回11位という屈辱の結果に終わった前々回王者カナダ代表(男子)と、連覇を狙うアメリカ代表に注目したい。

【種目】
・車いすバスケットボール(男子/女子)

カナダ代表

  車いすバスケットボールの歴史は古く、競技として確立したのは第二次世界大戦以前。下肢に障がい持つ、もしくは障害を負った選手のために考案され、今ではパラ競技/パラリンピックの中で1、2位を争う人気競技になった。

 同競技の強豪国のひとつに挙げられる『カナダ代表』は、2000年シドニー大会で初の金メダルを獲得した。なお、同代表の女子チームはパラリンピック3連覇を達成するなど世界的に注目を集めていたが、男子チームが脚光を浴びたのはこの年が初めてだった

 カナダ代表を牽引した「パトリック・アンダーソン」は、車いすバスケットボール界の「マイケル・ジョーダン」と呼ばれ、圧倒的な技術で他国の選手を翻弄した。さらに、当時のカナダ代表には素晴らしい選手が複数名おり、2004年のアテネ大会で連覇を達成、2008年北京大会ではオーストラリアに敗れたものの、世界トップレベルを常に維持していた

 2012年ロンドン大会、カナダ代表は3度目の金メダルを獲得し。そして、大会終了後にパトリック・アンダーソンは現役引退を表明、カナダ代表は以前の勢いを失ってしまう。迎えた2016年リオ大会、同代表は出場12か国中11位という屈辱的な惨敗を喫し、5大会連続のメダル獲得は雲散霧消した

 カナダ代表選手のレベルは非常に高いが、大黒柱を失ったことでチームはまとまりを欠き、数年前までは圧勝していた国にすら勝てなくなった。これを見かねたパトリック・アンダーソンは引退を撤回、若手選手の育成を行うと同時に、2020年東京大会で金メダルを奪還すると明言した。同選手は今年で41歳、ベテラン選手の域に達している。カナダ代表復活のカギは、最強選手の系譜を受け継ぐ若手の成長と活躍にかかっている。

まとめ
カナダ代表は2000年シドニー大会で初優勝を果たし、以降3大会連続メダルを獲得した
2016年リオ大会での惨敗をうけ、パトリック・アンダーソンは現役復帰を決断。2020年東京大会での金メダル奪還を狙う

チーム名カナダ代表
出場競技/種目車いすバスケットボール(男子)
パラリンピック出場実績2000年シドニー/金メダル
2004年アテネ/金メダル
2008年北京/銀メダル
2012年ロンドン/金メダル
2016年リオ/11位
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/4個
銀メダル/2個
銅メダル/4個

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TEAM CANADA 公式ホームページ

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2016年リオパラリンピック『車いすフェンシング』のメダリスト(抜粋)は以下の通りである。

種目
エペ男子個人カテゴリーA孫剛
(中国)
ピアース・ギルバー
(イギリス)
田建全
(中国)
フルーレ女子個人カテゴリーBベアトリーチェ・ヴィオ
(イタリア)
周景景
(中国)
姚芳
(中国)
サーブル男子個人カテゴリーAアンドリー・デムチェク
(ウクライナ)
リチャールド・オシュバート
(ハンガリー)
田建全
(中国)
エペ男子団体フランス代表中国代表ポーランド代表
フルーレ女子団体中国代表ハンガリー代表イタリア代表

 フェンシングは「騎士道精神(行動・道徳規範)」を大切にしており、それはパラフェンシングでも同じである。フルーレとサーブルでは、相手の剣を先に打つ、払う、もしくは攻めに出ることで「攻撃権(優先権ともいう)」が認められ、その時に相手の上体(有効面)を突く/切ることでポイントが加算される。防御に徹する選手は、同じく相手の剣を打つもしくは払い、攻めに転じれば攻撃権を奪い返せるのだ。

 パラフェンシングでは、専用の治具に車いすを固定、相手との距離を一定に保ち剣を振るう。選手たちは上半身しか動かせない状態の中で相手の動きを読み、有効面に突き/斬りを当てなければならない。選手間の駆け引き、そして攻撃権の奪い合いに注目しよう。なお、エペは攻撃権の有無に関わらず、相手の上体(有効面)を突けばポイントになる

【種目】
エペ
・個人 カテゴリーA(男子/女子)
・個人 カテゴリーB(男子/女子)
・団体(男子/女子)
フルーレ
・個人 カテゴリーA(男子/女子)
・個人 カテゴリーB(男子/女子)
・団体(男子/女子)
サーブル
・個人 カテゴリーA(男子/女子)
・個人 カテゴリーB(男子/女子)

アントン・ダツコ(ウクライナ)

 東京パラリンピック車いすフェンシングへの出場権/出場枠の詳細は、2020年4月に発表される予定である。なお、2016年リオ大会では種目(エペ・フルーレ・サーブル)、カテゴリー(A・B)別の世界ランキング上位12名に出場権が与えられたため、東京大会でも同じ条件になるものと思われる。

 ここで紹介する『アントン・ダツコ(Anton Datsko)』は、ウクライナを代表する車いすフェンサーである。2012年ロンドン大会の「サーブル個人 カテゴリーB(男子)」で銀メダル、2016年リオ大会同種目では金メダルを獲得した。その後も国際大会で素晴らしい戦績を残しており、世界ランキング1位(2020年2月時点 サーブル個人B)を堅持している

 同選手は高校時代の事故で下肢が麻痺。リハビリ生活を送っている中で医師にスポーツを進められ、パラフェンシングに出会った。同競技を始めたのは2003年から、翌々2005年にウクライナの代表入り果たした。初めて出場した2008年北京パラリンピックでは7位入賞の好成績を収め、世界の頂点を目指すべく、さらに厳しいトレーニングを開始する。その後は国内、国際大会で経験を積み、先に述べた通り2012年ロンドン、2016年リオでメダルを獲得した。

 車いすフェンシングでは、「経験」が大きな武器となる。アントン・ダツコが同競技を始めたのは20歳から、強豪選手の中では遅い部類に入るが、大会等で経験を積み重ね、さらにトレーニングを欠かさなかった結果、33歳で世界の頂点に立ったのだ。東京大会に向けての首尾も上々であり、世界ランキング上位での出場は間違いないだろう。車いすフェンサーは、前回大会王者としてライバル達を迎え撃

まとめ
同選手が車いすフェンシングを始めたのは20歳。経験と鍛錬を積み重ね、33歳で世界の頂点に立った
世界ランキング1位を堅持しており、東京大会出場はほぼ間違いない。狙うは連覇のみ

選手名アントン・ダツコ
(Anton Datsko)
出場競技/種目サーブル個人 カテゴリーB(男子)
パラリンピック出場実績2008年北京/7位
2012年ロンドン/銀メダル
2016年リオ/金メダル
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/11個
銀メダル/6個
銅メダル/7個

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国際パラリンピック委員会 公式ホームページ

ベアトリーチェ・ヴィオ(イタリア)

 『ベアトリーチェ・ヴィオ(Beatrice Vio)』はイタリアで最も支持されているパラアスリートである。19歳でパラリンピック初出場を果たし、「フルーレ個人 カテゴリーB(女子)」で金メダル、団体でも銅メダルを獲得し、スター選手の仲間入りを果たした。

 2008年、当時11歳だった同選手は重い「髄膜炎」を発症、抗生物質の投与が遅れたことで生死の境を彷徨い、両足(膝から下)と両腕(肘から先)を失った。何とか一命は取り留めたが、顔と身体の一部にあざも残り、幼い少女がどん底に叩き落とされたことは想像に難くない。しかし、ベアトリーチェ・ヴィオは自分の身体に残った傷を受け入れ、驚異的な勢いで坂を駆け上がり始めた

 同選手が車いすフェンシングを始めたのは13歳の頃、両手を失っていたため、特別な治具を使って「フォイル(剣)」を固定し、トレーニングを開始した。学業に専念しつつも大会等に参戦し、2014年の欧州選手権で初の金メダルを獲得、以降圧倒的な強さで無配街道をひた走り、個人戦で敗北を喫したことはない

 2019年、ベアトリーチェ・ヴィオは同年開催のワールドカップを全て制すという離れ業を達成した。世界ランキング(2020年2月時点 フルーレ個人B)はダントツの1位、仮に1年間国際大会の場から離れたとしても、2位の選手とのポイント差は圧倒的で、抜かれることはまずあり得ない。東京大会出場、イタリア代表入りはほぼ確定だろう

 ベアトリーチェ・ヴィオはありのままの自分を受け入れ、車いすフェンシング以外の場でも活躍している。髄膜炎の抗生物質を世界に広める活動、人気雑誌のモデル、起業など、例を紹介すると枚挙にいとまがない。パラアスリートというカテゴリーを超えつつある22歳は、東京大会で連覇を狙う。

まとめ
両手足を失った少女は、19歳でパラリンピックを制し、以降も世界のトップを走り続けている
世界ランキングはダントツ1位。東京大会での大活躍に期待

選手名ベアトリーチェ・ヴィオ
(Beatrice Vio)
出場競技/種目フルーレ個人 カテゴリーB(女子)
パラリンピック出場実績2016年リオ/金メダル
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/12個
銀メダル/1個
銅メダル/2個

外部サイトへのリンク
ベアトリーチェ・ヴィオ 公式webサイト

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パラリンピック『車いすラグビー』のメダル獲得国は以下の通りである。

種目
2000年シドニー大会混合アメリカオーストラリアニュージーランド
2004年アテネ大会混合ニュージーランドカナダアメリカ
2008年北京大会混合アメリカオーストラリアカナダ
2012年ロンドン大会混合オーストラリアカナダアメリカ
2016年リオ大会混合オーストラリアアメリカ日本

 車いすラグビーは、先に述べた車いすバスケットボールと同じく、障がいの重さと種別によって、選手一人ひとりにポイントが付与される。最も障がいの重い選手のポイントは0.5、そこから0.5刻みでクラス分けされ、最も障がいの軽い選手は3.5、コート内に入る4名の合計点を「8点」以内に収めなければならない

 車いすラグビーは男女混合で争われる。コート内に女性を入れたチームはアドバンテージを得られるため、各国の戦略にも注目したい。また、同競技は車いす種目としては唯一、「意図したタックル」が認められている。そのため、トライを狙う選手は機動性の高い「攻撃型車いす。守備重視の選手は、前方にバンパーを取り付けた「守備型車いす」を使用、激しい肉弾戦が繰り広げられる

【種目】
・車いすラグビー(混合)

オーストラリア代表

 車いすラグビーは肢体等に障がいを持つ選手向けに考案され、2000年シドニー大会から正式競技に採用された。ここで紹介する車いすラグビー『オーストラリア代表』は、同国開催のパラリンピックで銀メダルを獲得、以降の国際大会でも結果を残し、東京大会でも金メダル最有力候補に挙げられている強豪チームだ

 先述の通り、同競技は車いす種目としては唯一「意図したタックル」を認められている。女性選手の割合は決して多くないものの、男女が激しく交錯しぶつかり合う様子を見ると、選手たちが障がい者であることを忘れてしまう程だ。そして、激しく荒々しい戦いを制する上で最も重要視されること、それはラグビーと同じく「チームワーク」である。

 オーストラリア代表の武器は、チームメート間の信頼関係と、タックルを受けても当たり負けしないフィジカルにある。同競技のコートサイズは「横15m×縦26m」。コートの広さに対して、入る選手の数は4名と少なく、ただボールを追いかけるだけでは、簡単にトライを奪われてしまう。限られた人数で攻撃/防御を行うためには、一人ひとりが決められた役割を全うしなければならない

 オーストラリア代表の選手たちは、自分の役割を全うしつつ、仲間へのサポート/フォローも忘れない。なお、自分のポジションを守りながらバックアップに回ると、いやが上にも体力を消耗する。しかし、コート内にいる4人全員が仲間のために自己犠牲を払い、限界を超えてでもボールを確保、タッチダウンを狙うのだ。そして、それを可能にする強靭なフィジカルは鍛錬の賜物である。

 2018年の世界選手権、オーストラリア代表は日本代表に1点差で競り負け、連覇を逃した。2020年東京大会はパラリンピック3連覇を狙うと同時に、リベンジをかけた戦いにもなるだろう。

まとめ
オーストラリア代表は世界ランキング1位(2020年2月時点)を堅持。ヲ016年リオ大会で金メダルを獲得し、パラリンピック連覇を達成した
2018年の世界選手権では日本代表に競り負け銀メダルに終わった。東京大会はリベンジをかけた戦いになる

選手名オーストラリア代表
出場競技/種目車いすラグビー(混合)
パラリンピック出場実績2000年シドニー/銀メダル
2004年アテネ/5位
2008年北京/銀メダル
2012年ロンドン/金メダル
2016年リオ/金メダル
主な戦績国際大会通算戦績
金メダル/4個
銀メダル/6個
銅メダル/2個

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パラリンピック オーストラリア代表 公式ホームページ

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2016年リオパラリンピック『車いすテニス』のメダリスト(抜粋)は以下の通りである。

種目
男子シングルスゴードン・リード
(イギリス)
アルフィー・シューウェット
(イギリス)
ヨアキム・ジェラール
(ドイツ)
女子シングルスイスケ・グリフィオン
(オランダ)
アニーク・ファン・コート
(オランダ)
上地 結衣
(日本)
男子ダブルスフランス代表イギリス代表日本代表
女子ダブルスオランダ代表オランダ代表イギリス代表
混合クアードシングルスディラン・アルコット
(オーストラリア)
アンディ・ラプソーン
(イギリス)
デビッド・ワグナー
(アメリカ)
混合クアードダブルスオーストラリア代表アメリカ代表イギリス代表

 車いすテニスはパラスポーツの中でも上位を争う人気競技である。最も権威のあるテニス大会「グランドスラム」の車いす部門では、パラリンピックを超える熱戦が繰り広げ、全世界の注目を集める。選手たちは八の字型」の車輪を有す超軽量型車いすを駆使し、コート上を猛スピードで疾走、ラケットを振るう

 車いすテニスは個々の技量を問われる競技であり、国や地域/人種に関係なく、世界中から強豪選手が誕生している。日本代表のエース「国枝 慎吾」は、パラリンピック男子シングルスで唯一連覇を達成、四大大会優勝回数(車いす部門)は歴代最多の43回を誇る。またパラリンピックでは、普段個人で戦っている世界の超一流プレーヤーが国の威信をかけて同国のライバルとダブルスを組むことも多い。超人たちのフットワークとラケットさばきに注目しよう。

【種目】
・シングルス(男子/女子)
・ダブルス(男子/女子)
・クアードシングルス(混合)
・クアードダブルス(混合)

ステファン・ウデ(フランス)

 車いすテニスでは、「男子プロテニス協会(ATP)」「女子テニス協会(WTA)」と同じ規模のツアー大会が毎年開催されており、四大大会(グランドスラム)は全世界の注目を集める。『ステファン・ウデ(Stéphane Houdet)』は世界を代表する車いすテニスプレーヤーのひとり、四大大会通算29勝を誇るレジェンドだ。

 同選手は幼い頃にテニスを始め、ジュニア大会等で結果を残してきた。その後もメキメキと実力をつけ、将来を有望視される選手に成長、しかし、1996年にバイク事故を起こし、左ひざから先とプロテニス選手になる夢を失った。スポーツの世界から退いたのち、大学で専攻していた獣医学の博士号を取得、獣医クリニックを設立する。

 同選手は獣医として活動を始めるも、プロテニス選手への夢を諦めることができず、2005年に車いすテニスを開始。幼いころからラケットを振り続けてきた経験を活かし、初出場の大会で優勝を飾る。同年、「NEC車いすテニスツアー」への参戦を表明、2008年にはプロ契約を結び、一度は諦めた夢を38歳にして叶えた

 2020年東京パラリンピック車いすテニスの出場選手は、世界ランキングの上位から選出される。今年49歳を迎えるステファン・ウデは、男子シングルス3位、ダブルスでは1位を堅持しており、東京大会出場はほぼ間違いないだろう。自身の持つ車いすテニス競技における最年長メダル獲得記録の更新は射程圏内だ。遅咲きのレジェンドは、年を感じさせぬスマッシュで世界の頂点を狙う。

まとめ
一度は諦めたプロテニス選手への夢を叶え、パラリンピックでメダルを獲得、さらに四大大会を29回制し、今なお活躍し続けている
2016年リオ大会ダブルスで金メダルを獲得。東京大会への出場は当確であり、同種目連覇の期待大

選手名ステファン・ウデ
(Stéphane Houdet)
出場競技/種目シングルス(男子)他
パラリンピック出場実績2008年北京/金メダル
2012年ロンドン/銀メダル
2016年リオ/金メダル
主な戦績グランドスラム車いす部門優勝29回

外部サイトへのリンク
ステファン・ウデ 公式webサイト

イスケ・グリフィオン(オランダ)

 最後にオランダ代表として数多くのメダルとタイトルを獲得した『イスケ・グリフィオン(Jiske Griffioen)』を紹介する。同選手は先天性の病(二分脊椎)により、生まれた時から下肢が動かなかった。しかし、障がいをものともせず、幼い頃から様々なスポーツにチャレンジし、車いすテニスと出会う。

 イスケ・グリフィオンは車いすバスケットボールと車いすテニスを愛し、両競技を5年以上継続した。2000年シドニー大会、弱冠15歳のティーンエイジャーは、車いすバスケットボールのオランダ代表に選ばれ、4位入賞という好成績を残す

 同選手は2000年シドニー大会で素晴らしい戦績を残したのち、車いすバスケットボール競技から引退、車いすテニスに集中することを決断する。翌年、「NEC車いすテニスツアー」で初優勝を果たし、強豪選手の仲間入りを果たした。その後も成長速度は全く衰えず、四大大会(グランドスラム)を複数回制し、2008年北京大会「女子ダブルス」でパラリンピック初となるメダルを獲得、4年後のロンドンでも同種目で銀メダル、そして2016年リオ大会では女子シングルスとダブルスを制し2冠を達成した

 女子車いすテニス界には、才能あふれる若手選手が多い。障がいを抱える未来のスター候補たちは、先人の努力、国際大会やパラリンピックでの活躍を知り、自分も頑張りたい、世界の頂点に立ちたいと考える。イスケ・グリフィオンは入れ替わりの激しい世界で2年以上世界ランキング1位を堅持し、2017年に現役を引退した

 東京大会に出場する各国の代表は続々と決まっており、ランキング上位を争う選手たちによる素晴らしい熱戦が期待できるだろう。女子車いすテニス界を牽引してきたオランダの英雄はラケットを置いた。しかし、同選手の活躍が見たかったと残念に思う必要はない。彼女の意志は若手選手たちに受け継がれ、東京パラリンピックを熱く盛り上げるからだ。

まとめ
同選手は2008年北京、2012年ロンドン大会でそれぞれ銀メダルを獲得。2016年リオ大会では女子シングルスとダブルスを制し2冠を達成
女子車いすテニス界を牽引してきたオランダの英雄は、2017年に現役を引退した

選手名イスケ・グリフィオン
(Jiske Griffioen)
出場競技/種目ダブルス(女子)他
パラリンピック出場実績2008年北京/銀メダル
2012年ロンドン/銀メダル
2016年リオ/2冠
主な戦績グランドスラム車いす部門優勝18回

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まとめ

 今回は東京パラリンピックに登場する、もしくは登場する予定の超一流アスリートたちを紹介した。なお、個人的な主観で選んでいることをご理解いただきたい。

 東京大会を目指す各国の代表候補は、障がいをものともせず、弛まぬ努力、鍛錬、トレーニングを惜しまない。さらに、選手たちの使用する義肢、補助具の性能は年々向上しており、競技によっては健常者を超える記録が出ることすらある

 超一流アスリートたちは、国の威信とプライド、そして競技生活を支えてくれた人たちのために限界を超えて戦う。東京大会に出場する選手全員の奮闘と活躍を祈りたい。最後までお読みいただきありがとうございました。

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