目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:ヨルダン・ハシミテ王国(Hashemite Kingdom of Jordan)
首都:アンマン(Amman)
人口:10,820,644人(2021年推定)
面積:92,300㎢(北海道の1.1倍)
気候:砂漠気候
・標高が高いため冬はかなり寒いが、夏は日差しが強く、暑い。
・国土の大部分は高原で占められている。標高はおおむね700~1,200mほど。
・年間降水量は多い地域で500mm程度。砂漠は100mm以下。
・国土の大部分は砂漠、北西部は半砂漠標、標高1,000m以上の一部地域は緑に覆われている。
・首都アンマンの標高は約800m。地溝は温暖で乾燥しており、生活しやすい。
・首都アンマンの夏場の平均気温は最低が18~20℃、最高は30~33℃。
・首都アンマンの冬場の平均気温は最低が4~10℃、最高は13~20℃。
・砂漠エリアは昼夜の寒暖が大きいため、服装に注意。
・観光に適した時期は4月、5月、10月。夏は暑いためおすすめしない。
経済:
・開発途上国(新興市場)
・GDPは430億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはアメリカ(25%)、サウジアラビア(13%)、インド(8%)
・主要輸入パートナーは中国(14%)、サウジアラビア(14%)、アメリカ(10%)
・主要輸出品は繊維、肥料、カリ、リン酸塩、医薬品など。
・アメリカ、カナダ、シンガポール、マレーシア、EU、チュニジア、アルジェリア、リビア、トルコ、シリアと自由貿易協定(FTA)を締結している。
・石油の埋蔵量は少なく、国内のエネルギー需給の90%以上を天然ガスに依存している。
・水不足、石油と天然ガスへの依存、そして地域の不安定性に悩まされている。
・2016年の対外債務はGDPの約94%に達した。
・行政サービス、金融、製造、輸送、ホスピタリティ産業は、シリア内戦の影響を強く受けている。
・中東で最もリベラルな国のひとつ。
・隣国のシリアやイラクに比べると経済はかなり安定しており、治安もよい。
・パレスチナ難民約210万人とシリア難民約140万人が生活している。
人種(民族):
・アラブ人 98%(CIAワールドファクトブック推定)
・アルメニア人 1%
・チェルケス人 0.5%
・チェチェン人 0.5%
言語:
・アラビア語(公用語)
・英語
・その他
宗教:
・イスラム教 97.2%(CIAワールドファクトブック推定)
・キリスト教 2.7%
・仏教 0.4%
・ヒンドゥー教 0.1%
・無宗教 0.2%
・その他 0.3%
ヨルダン・ハシミテ王国
政治(目次に戻る
君主:アブドゥッラー・ビン=フセイン(Abdullah II of Jordan)
首相:ビッシャー・アル・カソーネ(Bisher Al Khasawneh)
政治体制:立憲君主制
・国家元首は国王、任期は死ぬまで。
・国王は議会を一時停止または解散し、会期を短縮または延長することができる。
・国王の拒否権は議会の3分の2以上の賛成で覆すことができる。
・政府の長は首相、任期に制限はない。
・二院制。
・上院の議員定数は65人、任期は4年。
・下院(衆議院)の議員定数は130人、任期は4年。
・王室のメンバーは政治(政府)に参加できない
・他の中東諸国に比べると汚職は少ないと考えられている。
・一部の過激な議員は議会内で武器(アサルトライフルなど)を使用することがある。
法律:ヨルダン・ハシミテ王国の憲法
・司法の独立を保障している。
・中東では比較的自由な国と考えられているが、主要先進国に比べると自由度は低い。
・国王への侮辱、政府または外国の指導者の誹謗、宗教的信条の侵害、宗派間の争いや暴力を扇動した場合、最大3年の実刑判決を受ける可能性がある。
・諜報機関はテロ事件の容疑者から自白を引き出すために拷問を多用する。一般的な戦術は殴打、睡眠不足、長期の独房監禁、水責めなど。
・他の中東諸国に比べると女性の権利を尊重している。
・中東で同性愛を合法化している数少ない国の一つ。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年6月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年6月時点)
治安:悪い
・2018年以来、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府組織の活動は減少傾向にある。
・隣国のシリアやイラクに比べると治安は安定している。
・シリアとの国境往来は2018年に再開されたが、国境付近の治安は不安定と考えた方がよい。
・銃火器が市場に流通しているため、誰が武装しているか分からない。
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・首都アンマンなどの繁華街では引ったくり、置き引き、スリに注意。
・高級腕時計や貴金属類は身につけないこと。
・女性は服装に注意。肌を露出すると治安部隊に拘束される可能性がある。
・スラム街にはイスラム国(IS)やアルカイダとつながりのある組織が潜伏していると考えられているため、近づかないこと。
・現地の最新情報に基づき、危ないと伝えられているエリアには近づかないこと。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は6社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は40局以上。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は10局。
・報道と言論の自由を保障しているが、国王、政府、預言者ムハンマドに批判的なジャーナリストは嫌がらせや逮捕に直面する可能性がある。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は60~70%。
・検閲は厳しい。
・政府機関の許可を得ていないニュースWebサイトは閲覧できない。
【国営メディア/設立年】
・JRTV 1968年
【民間メディア】
・ヨルダンチャンネル
・ヨルダンニュース
・アラケカ
・ロヤTV
・その他多数
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:74位
・軍人数:180,000人(推定)
即戦力 100,000人
予備兵 65,000人
準軍組織 15,000人
・陸軍と空軍を保有。
・国防予算:20億ドル(推定)
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、現在のヨルダンを含む周辺地域はオスマン帝国の統治下から自然に抜け出し、無政府状態に陥っていた。オスマン帝国はこの地域を重要視していなかった。
・各地域の部族長たちはお互いに領土を主張し合い、小規模な戦闘を繰り返したと伝えられている。
1800年代
・1803年、ワッハーブ派がトランスヨルダンの一部地域を占領。
・1818年、エジプト王国のイブラヒム・パシャがワッハーブ派を根絶する。ワッハーブ派の残党は超正統派イスラム運動に発展したと伝えられている。
・1833年、エジプト王国のイブラヒム・パシャはオスマン帝国の事実上の支配の終了とイスラム国家の統一を宣言した。
・1834年5月、エジプト王国の統治に反対するヨルダンのパレスチナ人農民が反乱を起こす。戦闘は3か月以上続き、反乱軍のリーダーは処刑された。エジプト軍は農民10,000人以上を殺害したと伝えられている。
・1841年、オスマン帝国がトランスヨルダンを含む周辺地域の支配を回復。エジプト王国は撤退した。
・1864年、オスマン帝国が税制と土地改革(タンジマート)を実施。これにより、トランスヨルダンの農業と畜産業は繁栄した。
1900年~第一次世界大戦
・1905年5月、ショウバク地方でオスマン帝国に対する反乱が発生。シュウバクの住民はオスマン帝国の重税に抵抗したが、反乱はあっという間に鎮圧され、住民150人が殺害もしくは処刑された。
・1910年12月、カラク地方でオスマン帝国に対する大規模な反乱が発生。カラクの住民はオスマン帝国の弾圧的な支配、重税、過去の厳しい取り締まりに反発した。戦闘は1週間ほど続き、反乱軍のリーダー10人が処刑され、住民数百人が投獄されたと伝えられている。
・1914年7月、第一次世界大戦勃発。
・1916年5月、イギリスとフランスがサイクス・ピコ協定を批准。これによるい、オスマン帝国の支配下に置かれていたアラブ諸国は分割された。
・1916年6月、トランスヨルダンを含むアラブ諸国およびイギリス軍がオスマン帝国に宣戦布告した。(アラブ反乱戦争)イギリス軍はアラブの反乱を支援するために多くの兵士を派遣した。
・1916年12月、T.E.ローレンス(アラビアのロレンス)はオスマン帝国の攻撃をはじき返すべく、イギリス海軍に支援を求めた。ローレンスはイギリスとアラブ諸国の緊密な関係の構築に尽力した。
・1918年1月、第一次世界大戦終結。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・トランスヨルダンは第二次世界大戦に関与していない。
・1918年10月、アラブ反乱戦争終結。ムドロス休戦協定が締結され、アラブ諸国はオスマン帝国に勝利した。
<アラブ反乱戦争>
・両軍参加者:15万~20万人(推定)
・両軍負傷者:数万人(推定)
・両軍死亡者:50,000人以上
・1920年7月24日、トランスヨルダンを含む大シリアはフランス軍の攻撃に屈し、占領された。
・1921年3月、イギリス議会はトランスヨルダンをパレスチナの委任統治下に置くことを決定した。この委任統治はアラブ人とユダヤ人の和解を規定していなかった。
・1921年4月11日、アブドラ1世を国王とするトランスヨルダン首長国が成立。
・1922年、国際連盟はトランスヨルダンをイギリスの管理下に置くことを承認した。
・1924年、君主制に反対するワッハーブ派が勢いを取り戻し、各地で暴動を引き起こす。
終戦~現在
・1946年5月25日、トランスヨルダン・ハシミテ王国が独立を宣言。
・1948年5月15日、ヨルダン王国はアラブ・イスラエル戦争(第一次中東戦争)に他のアラブ諸国と共に介入した。
・1949年3月、イギリスの委任統治領パレスチナでイスラエル国が創設された。これにより数千人のパレスチナ人(アラブ系イスラエル人)がヨルダン川西岸とヨルダン王国に逃亡した。
・1949年4月26日、国名を「ヨルダン・ハシミテ王国」に変更。
・1950年4月24日、エリコ会議に基づき、ヨルダン王国は正式にヨルダン川西岸を併合した。
・1950年6月12日、アラブ諸国は西岸の併合を一時的な措置と主張し、ヨルダン王国は将来の和解まで受託者として領土を管理すると宣言した。
・1951年7月20日、ヨルダン王国のアブドラ1世がパレスチナ人に暗殺される。パレスチナ人はイスラエルに強く反撃しなかったヨルダン王国を非難していた。
・1952年8月、アブドラ1世の後を継いだタラル国王が退位。これを受け、息子のフセイン(17歳)の即位が決まった。
・1955年12月14日、国連に加盟。
・1957年、イギリス軍がヨルダンからの撤退任務を完了する。
・1967年6月、イスラエルは第三次中東戦争中にエルサレムとヨルダン川西岸地区を占領し、支配下に置いた。アラブ諸国はイスラエルに敗れ、敗走した。
・1970年9月6日、ヨルダン内戦勃発。(ヨルダン王国vsパレスチナ解放機構・シリア)
・1971年7月17日、ヨルダン内戦終結。ヨルダン王国はシリア軍を撃退し、パレスチナ解放機構をレバノンに追放した。一連の内戦終結後、パレスチナの組織ブラック・セプテンバーが活動を本格化させることになった。
<ヨルダン内戦>
・両軍参加者:12万~15万人(推定)
・両軍負傷者:10,000~15,000人(推定)
・両軍死亡者:4,000~4,500人(推定)
・1972年、軍事クーデター未遂事件が発生。
・1973年、エジプトとシリアはイスラエルに戦争(第四次中東戦争)を仕掛け、ヨルダン川西岸の停止線に沿って戦闘が勃発した。ヨルダン王国はシリアに大隊を送り、シリア領土のイスラエル軍を攻撃したが、自国の領土からは攻撃を仕掛けなかった。
・1986年、フセイン国王はPLOとの政治的つながりを断ち切り、ヨルダン川西岸の本部を閉鎖するよう命じた。
・1989年、物価の高騰を受け、一部の都市で暴動が発生
・1989年、約20年振りの総選挙。1963年の政党設立禁止法により、立候補を許可された候補者は全員無所属だった。
・1991年1月、ヨルダン王国は湾岸戦争に参加しなかった。
・1991年10月、ヨルダン王国はアメリカとソビエトが後援するマドリッド会議で、イスラエルとの平和条約に向けた交渉を開始することに合意した。
・1994年10月26日、イスラエル・ヨルダン平和条約締結。46年間続いた戦争状態に終止符が打たれた。
・1996年、国際通貨基金(IMF)がヨルダン王国への支援を停止。これにより食糧価格が高騰し、全国で暴動が発生した。
・1998年、フセイン国王がアメリカでリンパ腫の治療を受ける。
・1999年2月、フセイン国王崩御。長男のアブドラ皇太子が王位を継承した。
・2000年9月、ヨルダン軍は、イスラエルとアメリカに対する攻撃を企てた罪で、ヨルダン人の容疑者6人に死刑を宣告した。
・2001年、ヨルダン、シリア、エジプトの3ヵ国を結ぶ送電線網が運用を開始。建設費は3億ドル(約330億円)と伝えられている。
・2002年1月、拘留中の若者が死亡したことを受け、南部の都市マーンで暴動が発生。
・2002年9月、ヨルダンとイスラエルが紅海から死海にパイプラインで水を送る計画に合意した。このプロジェクトの建設費用は推定8億ドル(約1,000億円)で、両国の共同事業としては過去最大規模になった。
・2002年10月、アメリカの上級外交官ローレンス・フォーリーが、首都アンマンの自宅外でアルカイダの戦闘員に射殺される。
・2003年6月、議会選挙。王に忠誠を誓う無所属の候補者が議席の3分の2以上を獲得した。
・2004年2月、アブドラ国王とシリアのバシャール・アルアサド大統領がワハダムプロジェクトの式典に出席。プロジェクトの開始を宣言した。
・2004年4月、政府当局はアルカイダ関連の容疑者数人を逮捕し、爆発物を大量に積載した車を押収した。容疑者たちは首都アンマンの諜報機関本部を爆破する予定だった。
・2005年3月、イスラエル駐大使を任命。
・2005年4月、改革のペースの遅れを指摘されていた首相が辞任。アドナーン・バドラ率いる新内閣が発足した。
・2005年8月、アルカイダがヨルダン国内から3発のミサイルを発射し、2発がアカバ港の米海軍の艦艇、1発がイスラエルのエイラート空港近くに着弾し、ヨルダンの兵士1人が死亡した。
・2005年11月、首都アンマンにある3つの国際ホテルで自爆テロが発生し、60人の死亡が確認された。爆発後、イラクのアルカイダが犯行声明を発表した。犠牲者の大半はヨルダン人だった。
・2006年6月、イラク政府は、イラクのアルカイダの指導者であるヨルダン生まれのアブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーを空爆で殺害したと発表。ヨルダン王国はテロリストの死亡を歓迎した。
・2007年7月、約8年振りの地方選挙が実施され、主要野党のイスラム教徒行動戦線は、政府の不正を非難した後、選挙から撤退した。
・2007年11月、議会選挙。部族の無所属指導者やその他の親政府候補者が圧勝し、野党のイスラム行動戦線は議席を失った。穏健派のネーダー・アル・ダハビが首相に就任した。
・2008年8月、アブドラ国王がイラクを訪問。2003年のイラク戦争以来、最初にイラクを訪れたアラブの指導者になった。
・2009年11月、アブドラ国王が議会に解散を命じる。
・2009年12月、経済改革を推進するアブドラ国王は新しい首相を任命したうえで、議会に改革を推し進めるよう命じた。
・2010年5月、新しい選挙法が施行される。
・2010年10月、イスラムジハード軍の指導者が軍へのテロを企てた容疑で投獄される。
・2010年11月、議会選挙。野党イスラム行動戦線は選挙をボイコットし、親政府派の候補者が圧勝したと発表された直後、暴動が発生した。
・2011年1月、チュニジアで発生した大統領の辞任を求める大規模な抗議運動がヨルダンを含むアラブ諸国に広がる。(アラブの春)
・2011年2月、アブドラ国王は大規模な街頭抗議を受け、元陸軍大将のマルーフ・バキットを新首相に任命し、政治改革の実施を命じた。
・2011年10月、アブドラ国王は小規模な抗議活動が各地で続いたことを受け、バキット首相をハーグの国際司法裁判所の元裁判官であるオーン・アルカサウネに置き換えた。
・2012年4月、アルカサウネ首相が辞任を表明。首相は改革の要求およびイスラム教徒の反対勢力に一定の力を与えるという問題に対処できなかった。アブドラ国王は、後任としてファーイズ・タラーネを首相に任命した。
・2012年10月、アブドラ国王が1月に早期議会選挙を行うよう野党に呼びかける。しかし、ムスリム同胞団の野党イスラム行動戦線は、選挙区の規模が等しくなく、議会に権力がないことに抗議して、ボイコットを続けると宣言した。その後、アブドラ国王は、元大臣で民主改革の擁護者であるアブドラ・エンスールを首相に任命し、野党の機嫌を伺った。
・2012年11月、君主制の廃止を求める抗議者と国王の支持者が首都アンマンで衝突し、暴動に発生。少なくとも3人が死亡した。
・2013年1月、議会選挙。野党イスラム行動戦線はボイコットし、親政府の候補者が議席を独占した。
・2013年3月、アブドラ国王は、現職のアブドラ・エンスール首相の再任を決めた。
・2014年6月、陰謀罪で1998年に告発されたイスラム教の説教者アブ・カターダは、数年にわたる法廷闘争の末、無罪を証明した。カターダはイギリスで逮捕され、その後ヨルダンに強制送還されていた。
・2014年9月、ヨルダンはシリアのイスラム国(IS)に対するアメリカの掃討作戦への参加を表明。ヨルダンを含むアラブの4ヵ国が対イスラム国戦争に参戦した。
・2014年11月、ヨルダン当局は、国内で数年間にわたって活動していたムスリム同胞団の副司令官を逮捕した。
・2015年2月、イスラム国は拘束したヨルダンのパイロット、ムアズ・カサースベの公開処刑動画をオンラインで配信した。これにヨルダン軍は強く反発し、ISに対する空爆を強化したうえで、ISの戦闘員を公開処刑した。
・2015年2月、EUはシリアとイラクのイスラム国戦争に対処するために、ヨルダンに1億ユーロ(約130億円)を提供すると発表した。
・2015年3月、ヨルダンはイエメンを実行支配するイスラム過激派組織フーシに対するサウジアラビア主導の空爆に参戦。
・2016年9月、議会選挙。比例代表制での選挙は1989年以来。
・2016年12月、カラクの町にある十字軍の城で観光客を含む10人がイスラム国関連のグループに殺害される。
・2017年8月、イスラム国のバグダッドへの後退を受け、ヨルダンとイラク間を結ぶ国境検問所が2年振りに運用を再開した。
・2018年6月、緊縮計画の一環として導入された増税およびその他の政策に反対する抗議活動が発生。ハニ・ムルキ首相は責任を取って辞任し、教育大臣兼経済学者のオマル・ラザズが首相に就任した。
文化(目次に戻る
・西側諸国の文化を積極的に取り入れている。
・人口の90%以上が大都市アンマンで生活している。
・アメリカとイギリスが政治や外交問題に深くかかわっており、その影響で西洋化が進んでいる。
・国内の料理は主にトルコ、エジプト、シリアのいいところを取っている。
・国内のロケ地で複数のハリウッド映画が撮影されている。近年ではスターウォーズシリーズの最新作(スカイウォーカーの夜明け)がワディ・ラムで撮影された。
・ゲストをもてなす風習が浸透しており、どこに行っても「ようこそ」と言われる。
・主食は米と小麦。主菜はラム、野菜全般、ひよこ豆、ヨーグルト、ナッツ全般、チーズなど。
スポーツ(目次に戻る
・一番人気はサッカー。
・その他の人気スポーツはラグビー、バスケットボール、スケートボード、自転車競技、テニス、乗馬など。
・プレミアリーグを参考にして設立されたヨルダンリーグを運営している。
・サッカー代表のFIFAランキング最高位は37位。(2004年)
・オリンピックでのメダル獲得数は1個。(金:1個)
・2016年のリオ五輪で同国史上初の金メダルを獲得した。
・ヨルダン・オリンピック委員会はファイサル・ビン・アル・フセイン王子が率いている。
・冬季オリンピックに出場したことはない。
【有名スポーツ選手】
・アフマド・アブグハウシュ(Ahmad Abughaush)テコンドー選手。2016年リオ五輪金メダリスト。
その他(目次に戻る
・治安は比較的安定しているが、シリアとイラクの国境付近はイスラムジハード軍の活動エリアと考えられているため、近づかない方がよい。
・他の中東諸国に比べると女性の権利を尊重している。